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埃を被ったオーブン
「ここで大丈夫?」
「はい。こいつ軽いんで。ほんとにどうもありがとうございましたっ」
「じゃあ。気をつけて」
背中に絆を背負い、車が入れるとこギリギリまで送ってくれた高階さんが走り去るのを見送ってから、角を曲がった先の絆の家を目指した。
そういやあ、前ここにきた時は、あそこにあの先輩がいたなぁ。
いろいろ複雑だ。
例えば、今またあそこにあの先輩がいたら、背中の酔っ払いは、もうこんな風に酔うこともないんだろうか。
それとも。
あ。
今になって、浮かぶ可能性。
二股……かけられてたりして?
まさかの?
いやいやいや。そんなん許さねえよ!?
よし。例え絆にとって俺が取るに足らない存在だったとしても、だ。やっぱり一回ちゃんと話すぞ!
かろうじて意識のあるうちに手に入れた家の鍵でドアを開ける。
真っ暗な玄関と、居間へ続く廊下。
そのとたん感じた寒々しさに、腹が冷えた気がした。
全く人の気配のない、冷えた家。
これは今の季節だけが醸し出す空気じゃないだろう。
だって日付が変わって皆が寝静まってたとしても、うちにはこんな冷たさはない。
玄関から一歩踏み込むと、センサーが反応して足元をぼんやりと照らした。
それがまた逆にもの悲しい。
いつの間にこの家はこんな風になってたんだろう。
絆の家は他のメンバーや街からも遠いってこともあったけど、先輩のことがあってか家には寄せ付けたがらなかったから、中へ入るのは久しぶりだった。
前はこんなじゃ、なかった。
こんな、空っぽの、孤独な家じゃ……なかった。
母親がまだ家に居たあの頃、玄関からは生花の香りがして華やかにそこを彩っていたのに、今は白い花瓶だけが残されていて、下駄箱の上に置かれてたはずの家族の写真が一切無くなっていた。
ずり下がる絆を背負い直して、リビングに足を踏み入れる。
たまに遊びにくると、そこからは甘い匂いが漂ってたっけ。
クッキーとか、ケーキとか、シュークリームとか。
うちの母さんはそんな洒落たもん作らないから、綺麗で美味しいものを作ってくれるママが居て羨ましかった。
新築の豪華な家に、それだけが少し浮いていた年季もののオーブンで作られた出来たてのお菓子は、既製品のものとは違って、やたら美味しかったっけ。
母親の愛用品だったオーブン。
駆け落ち同然で結婚して初めて言った我が儘。「子供に自分で作ったお菓子を食べさせたいから」って買ったというそれは。
今じゃポツンと取り残されて、すっかり埃を被っていた。
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