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母のオーブン
飲食店を経営してる絆の父親が、夜の部の出勤前に玄関ドアの鍵を植え込みにおいていってくれてる。
そんな言葉どおり、家の鍵はそこにあった。
父親であるところの弥彦さんからは、ここに向かう途中に連絡があって「手間をかけて悪いな」と言われたけど、その声はお義理もお義理。岳人に言われたからしょうがなくって感じが手に取るように滲みでてた。
こんな感じで、面倒事のように絆に接してるのか?
俺にだけならいいけど、そうじゃないなら──。
鍵を開け、冷たいあのリビングへ、まず向かう。
とりあえず人間腹が減ったらロクなこと考えないからと買ってきたサラダだのおにぎりだの味噌汁だのが混在する袋の中から、あいつの好きなチョコレートのカップアイスと練乳入りの棒アイスを冷凍庫に放り込むためだ。
ちなみに練乳はあいつが好きなのであって、別に垂れ出すのを舐めるところが見たいなんていう俺の趣味は、今回は一切入っていないから。
そこはひとつ。
恋敗れた振られ男にもプライドってなもんがあるってことをご理解いただきたい。
つか……お年頃って……いつまで?
「はぁぁ」
不埒な思いと、嫉妬に焦がされながら踏み込んだリビング。
一瞬で、気づいた。
いや。
だって。
ソファーが……レンガ色の…布張りになってる……。
あれ?
カーテンも……違う。
そこはもう。
あの日抱き合った空間じゃなくなってた。
「……あ……」
そんな気はしたけど。
母親が絆の為にと手に入れたあの埃をかぶったオーブンは──もう、姿を消していた。
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