喪失感

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喪失感

 精一杯の音をたてるようにしてドアの横に背をつけ、床に座り込んだ。  それは帰ってないからな、のアピールと同時に、長期戦の構えを知らしめるため。 「自棄コーヒー飲んできたとこだからなっ! コーヒーにはどんな作用があるか、調べてみたほうがいいぞ!」  ポケットに入れていたスマホから聞こえるメールの通知音。調べなくても作用を知ってたのかどうか、それは ”絆様” からのものだった。  流石に部屋の前にマーキングされるのは嫌だったらしい天照大神ならぬ、”絆様”。久しぶりに絆様が降臨したスマホに、胸がチリリとした。  絆が勝手に ”絆” から ”絆様” へ登録を変えたんだ。  そんなバカバカしいことも、今じゃなんだか遠い昔昔のこと。  そういや、ロングロングアゴーっつった絆に、カズが ”しゃくれがどうした” って聞き返してたっけなぁ。 『帰って』    液晶に浮かぶ文面に、 ”チリリ” が、 ”ズキッ” になっても、帰れ、じゃないことに少し救われる。  俺が絆の恋人なら。  帰るのはお前のとこだとか言ってみたいとこだけど。  違うから、言わんけど。 「せめて顔くらい見せろ。ちゃんとメシ食ってるのか? 冷蔵庫も相変わらずガラガラでさ。……親父さんの再婚のこと、聞いたよ。色々、そりゃ、腹も立つだろうけど、こんなことしてて……」  言葉は、メールで遮られる。 『どうでもいい』  『再婚のことは、俺には関係ない』 『扶養義務は果たしてもらうけど、それだけ』  小刻みに送られてくるメール。  ドアが邪魔をして、その内容が本心なのかどうかがわからない。  だから内容を鵜呑みにはできないまま言葉を継ぐ。   「ならなんで引きこもってんだ!? 学校、3年になってから行ってないってマジかよ? テストだからバンド練習こないとか言って、学校行かないってどういう了見だ、こら。つか……あいつ、あ…朝迎えに来てた同級生とか、心配してるだろうがよっ!」 『友達じゃない』  即座に帰ってきたメールに今度は心臓が”ギュ”だ。  恋人、ですか?  そんなんいちいち訂正せんでいいわ。 『俺には友達なんていない』  俺の返信も返答もまたず、即送られてきたメール。  思わず奥歯を噛み締めた。  お前は、そんな言葉が俺の心を抉るってことは、考えないのか?  俺はもう、お前の友達ですらないってことか?   ショックで……って、これショック、なんだよ、な?  それすらもわからない。  なんか、喪失感。  音のない空間に次に聞こえたのは、絆の、呻くような小さな声だった。
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