15人が本棚に入れています
本棚に追加
第十九話 ケヅ人苦歩
日々の戦いの疲れを癒やす事。
古より、戦士たちを癒やす為の様々な工夫がされてきた。
温かい湯、栄養価のある食事。
……ある団体は、毎週金曜日にカレーを食べる風習がある。
これは、曜日感覚を失わない為だけではない。
純粋に、カレーは美味しいのだ。
『怪異速報。遠松駅にて怪異発生。クラスゴースト。この怪異が配る料理は、栄養価が高く、非常に美味である事がわかっています。福神漬けと合わせて美味しくいただきましょう。繰り返します──』
「……ケヅ人苦歩?」
真理は首を傾げる。
「そうじゃ、『けづじんくふ』と読むらしい。なんとも禍々しい名前よ」
真理にそう力説する静世。
「そんな名前聞いたことないし、資料にもなかったと思う」
「そうか……沢山の怪異を倒してきたであろうマリちゃんも知らぬか……」
静世はがっかりと肩を落とす。
「それよりしずちゃん、今回の怪異だけど……」
「ああ。今回は先生もジルくんも不在じゃ。代わりに我らで処理する他なかろう」
言いながら静世は指差す。
「……あれが怪異?」
静世が指差した先にいたのは、大きな鍋をグルグルと混ぜる、中年くらいの女性。
「こんにちは」
女性は真理にニコッと笑いかける。
「あ、こんにちは」
「鍋の中身はなんじゃろな?」
するっと、静世は鍋の中身を覗き込む。
「む、この香ばしい香りは……」
「カレーです。作りすぎてしまったので、皆様に配ろうと思って」
「食事か!?美味そうな匂いじゃ!」
言いながら、静世は皿に盛られたカレーをぺろりと平らげた。
「あっ……」
真理は、あまりにも早いそのつまみ食いに、そう声を漏らす他なかった。
「うまい!うまいぞマリちゃん!女、もっと食わせろ!!」
「まだまだ沢山ありますよ」
「ほれ、マリちゃんも貰え!」
静世からカレーを手渡される。
「あ、その……えぇ……」
「……怪異ハンターの方ですか?」
女性がそう真理に問う。
「そう……です」
「よかった。私、いつもこうして協会の方にも時折カレーを配布してるのです。毒など入っていませんから安心して召し上がって下さい」
「……」
とは言いつつも、いつもあの恐ろしい怪異たちと戦ってきた真理。怪異が配る食事など……、と警戒する。
「なんじゃ真理、せっかく貰った食事だ。食わないのは失礼に値するぞ」
「しずちゃん!で、でも……」
「……食べないのですか?」
みるみる、女性の表情が曇る。
「じゃ、じゃあ折角なので……いただきます」
真理はカレーをスプーンですくい取り、口に入れた。
「……ッ!!」
真理は衝撃のあまりスプーンを落とす。
「マリちゃん!?」
慌てて静世が駆け寄った。
ふと、ある事を思い出していた。
「私は銀の弾丸」
「放たれた弾丸は、人々の希望となり、異形の者に突き刺さる」
「私は……」
「ま、マリ……ちゃん?」
真理は崩れるように地面に両膝をつき、空を仰いだ。
「だ、大丈夫ですかハンターさん」
女性が心配そうに真理の肩に手を乗せる。
「……う…………す…………」
「マリちゃん?」
「なんなんだよ……これ……」
真理は息を漏らすかのように言う。
「うますぎんだろこのカレー」
この程よいスパイスの香りはクミンだろうか。ほのかにフルーティーな酸味も感じるリンゴが隠し味に入っているのだろう。ゴロゴロ野菜に飴色玉ねぎのやさしい甘み。横に乗せられた福神漬けは、口をさっぱりさせる効果の他に、食感の変化を楽しめるアクセントにもなっている。大人も子供も楽しめる究極のカレーがそこにはあった。
「えっ……な、泣いておるのか?」
空を仰いだまま涙を流す真理の様子に、静世は慌てふためく。
「……かかったな」
女性がニヤリと笑みを浮かべる。
「何ぃ!?」
静世が振り返ると、そこには先程の女性の姿から、異形へと変貌した怪異の姿があった。
「き、貴様は……ケヅ人苦歩!!」
「グハハハ、左様。ようやくあの窮屈な姿から開放されたわ!」
静世は慌てて真理の背中をバシバシ叩く。
「マリちゃん!しっかりしろ!!」
「ウマ……ウマ過ぎ……」
「たわけ!立ち上がるのじゃ!!」
静世は真理を無理やり起こす。
「さあ、この私を止められるかな!?」
「マズイぞマリちゃん!逃げられる!!」
「う、う〜ん……」
ようやく気が付いた真理。
「あ、あれ……、カレーは?」
「カレーはあそこじゃ!あいつ、人の姿に化けたケヅ人苦歩じゃった!!」
「な、なに……?」
「追いかけるぞ!あのカレーを独り占めできなくなる!!」
「ウソッ!急ごうしずちゃん!!」
静世と真理はケヅ人苦歩を追う。全ては、あの鍋の中身を独り占めする為。
「妾の背中に乗れしずちゃん!!」
「うん!」
静世の背中にのり、一気に距離を詰める。
「いけえええ!!!」
「うおおおお!!!」
真理は飛び上がり、ケヅ人苦歩にしがみついた。
「な、何をっ!!」
「そのカレーは私のだああああ!!!」
「……おぉ!?」
真理はケヅ人苦歩からおたまを強奪し、自分と静世の皿に盛る。
「おかわりじゃ!」
「私も!!」
「お、……おおぉ!!?」
次々と鍋の中身が減っていく。
「ふ、ふぅ……結構キツくなってきたの……」
「まだまだ……!おかわり!!」
「おおおぉぉぉ!!??」
そしてついに、鍋の中身は空になった。
「ふぅ……」
「もう満腹じゃ……、何も入らん」
お腹をパンパンに膨らませた二人は、そのまま地面に仰向けになる。
「……あぁ、鍋の中身が無くなってしまったなぁ。沢山食べてくれてありがとう」
そう言って、ケヅ人苦歩はゆっくりと消滅した。
「あぁ〜、私も食べたかった〜!!」
真理から報告を受けた朝比奈は床に両手をついて項垂れた。
「あの怪異、この協会本部には一年に1回しか現れないんだよ〜!!ちくしょー!!」
「え、そんなに来るんですか!?」
真理は驚いたように言う。
「……いつも全国を転々としてるからな。彼女も結構忙しいらしい」
「……確かに、今となってはカレー嫌いな人を探すほうが大変ですからね」
「ああ。協会本部にも年一回カレーを配る事で、我々の指揮向上や、怪異という存在の再認識にも繋がるんだがな……」
「……なるほど」
「にしてもたった二人で完食なんて聞いたことねーぞ!次からは必ず協会本部の人間を呼ぶこと。いいな!!」
「は、はい……すみませんでした」
─遠松駅前ケヅ人苦歩のカレー配布会─
○飯山朱莉(26)
ケヅ人苦歩のカレーを2食分食した。ケヅ人苦歩にじゃがいもが溶けない方法を聞いていた。
○野木太郎(57)
ケヅ人苦歩のカレーを2.5食分食した。ケヅ人苦歩のアドバイスを参考に、カレーのスパイスのメモを取っていた。
○神ヶ原静世(416)
ケヅ人苦歩のカレーを41食分食した。協会に協力的な怪異であり、3級ハンターの倉田真理と行動を共にする。体の大きな蛇の怪異であるため、食事量は妥当であると思われる。
○倉田真理(17)
ケヅ人苦歩のカレーを54.5食分食した。明らかに食べ過ぎである。
本怪異の歴史は古く、かつて馴染みのないカレーの見た目を『牛のゲロ』と評価し敬遠していた日本人達にとっては厄介で、カレーを完食しなければ凶暴化し、配布方法が強引になっていく特性から危険視されていた。しかし、現代においてはカレーは大衆的な料理であり、本怪異の作るカレーは非常に美味である事から、その高い功績を評価し、ほぼ唯一、国内で無許可での活動が認可されている怪異でもある。
最初のコメントを投稿しよう!