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「その現場は、元々事故物件だったんです…」
力無くそう話すのは、初老の不動産屋である。
二階建てアパートの二階一番奥の部屋。
南向きの角部屋で、学生の一人暮らしには十分な環境であった。
驚くべきはその家賃!何と相場の半額!
不動産屋は声をひそめながら、「訳有りの部屋なんですよ…。前の住人だった独身のOLが、部屋で亡くなってしまってね…」
この春、大学に進学した娘の下宿先を探していた両親は、当然ながらこの物件は却下した。
しかし、元々好奇心旺盛な娘のA子は、この曰く付きの部屋を大層気に入り、半ば強引にこの部屋を契約したと言う。
両親も「言い出したら聞かないから…」と、渋々この部屋で娘が下宿することを認めた。
晴れて女子大生となったA子。平日は授業、土日はアルバイトと、日々アパートには寝に帰るだけの生活であった。
曰く付きの部屋であったが、晴れた日は南向きの窓から日が差し込み、快適であった。
「前の住人と私と、何の関係も無いわ。部屋自体はこんなに快適なんだもん!」
至って楽観的に考えていた。
そうして半年が過ぎた頃。
大学にもすっかり慣れ、日々を満喫していたA子。
相変わらず帰宅は遅かった。
その日も日付が変わる頃に帰宅すると、アパート付近を人影がサッと横切るのが見えた。
「え?タツヤ?」
A子はその人影が男性であり、更に「タツヤ」であることを刹那的に悟った。
しかしA子の交友関係に「タツヤ」という名の男性はいない。
しかしその男性は、間違い無く「タツヤ」なのである。
A子は急いで自分の部屋の外側まで回り込んでみた。
部屋の外壁に、菊の花束が手向けられていた。
まだ菊が新鮮味を帯びている。
間違いなく先程「タツヤ」が持って来てくれた菊の花束…。
A子は胸がジンワリ温かくなるのを感じた。
「私の為に、タツヤが花束を…」
それからも、週に一回ほど、「タツヤ」が花束を手向けに来てくれた。
気付かなかっただけで、今までもずっと花束を持って来てくれていたのだろうか。
曜日も時間もバラバラだったけど、いつも菊の花束がA子の部屋のちょうど真下付近に手向けられていた。
花束を持って来る「タツヤ」とはタイミングが合わないのか、なかなか会えない。
しかしA子はその花束を見つめる度に元気が出た。
「タツヤ」が自分を忘れていない…その事実だけで生きていける気がした。
A子がこの部屋に越して来てから一年が過ぎた頃。
「タツヤ」の来訪が明らかに減った。
それでも月に一回ほど、不定期で新たな菊の花束が手向けられている。
しかし、今までのペースからは格段に減った。
「タツヤ、またなの?また私を置いて行くの?」
そのような焦燥感が寝ても覚めてもA子を襲う。
正直、A子にとって「タツヤ」がどんな存在であり、どんな容貌なのかも知らない。
しかし、A子の心は「タツヤ」からの菊の花束が更新されているというそれだけで、救われる想いであった。
ある梅雨の日。
土砂降りの雨の中、A子は部屋の下を確認する。
枯れていた菊の花束が、無惨にも雨に濡れてグチャグチャになっていた。
それを見た瞬間、何かがパチンとA子の中で弾けた。それと同時にドクン…ドクン…と鼓動が早鐘を打つ。
「やっぱりもう一回。もう一回やらないとダメか。わかった。もう一回やるから、また菊の花束持って来てよね。さもないと許さないから。ね、タツヤ…」
A子が非業の自死を遂げたと、警察と不動産屋から両親のもとへ連絡があったのは、その三日後であった。
奇しくも前の住人と、同じ部屋で、同じ方法で…。
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