夏祭り  理想的な家族8ー良子・こころ・小太郎

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「初めて着た」  両手を広げ、姿見に自分の浴衣(ゆかた)姿を映してみる。  深い紺色の生地に、ほのかに紫が溶け込んだ白抜きの牡丹が、風に吹かれているように軽く、全身を彩っていた。紫色の蝶が一羽、迷い込んだように飛んでいる。  帯は薄いグレーに白い線が走ったシンプルなものだったが、生地の粋を存分に際立たせていた。  正面と後ろ姿を見たくて、しばらく鏡の前でクルクル回っていた良子(りょうこ)は、正面に戻ってきて落ち着くと、ほぉっと感嘆のため息をついた。 「素敵」  日本的なこういったものは、自分には似合わないと思い込んで敬遠していたが、着てみるとやはり嬉しい。 「よく似合ってるよ、りょうちゃん」  良子に浴衣を着つけてくれた夫は、ニコニコしながら満足そうに、良子を見ていた。  そう言う夫も浴衣を着ている。黒色の浴衣だが、よく見ると、細かい格子柄があしらわれている。帯は浅紫色で、彼の可愛らしさによく似合っていた。  良子は半分あきらめた心境で、自分の夫を褒めた。 「小太郎の方が似合ってるよ。すごく可愛い」  良子より年上であるはずの夫は、どこに行っても、誰に会っても、だいぶ若く見積もられる。  その事を不満に思っている小太郎は、少しすねたように口を尖らせた。そういう仕草も若く見られる原因の一つなのだと、いまいち本人は分かっていない。だが、こんな仕草を許される二十代後半の男がそうは存在しないことも、貴重な事実だった。  実際、これにやられる女は多い。  自分もその中の一人かどうかは、考えないでおこう。  その魔性の夫の足もとには、幼い女がぴったりくっついていた。黙って良子を見つめている。  良子の頬は緩むところまで緩んだ。  まぁ、だけど、この子に勝てる奴はいない。 「こころ、おいで」  良子が我が娘を呼ぶと、こころはおっかなびっくり良子の側にやってきた。 「ママ、きれい…」  そういって恐る恐る良子の浴衣に触れている。むやみに抱きついていいものか、悩んでいるようだった。  良子はしゃがんで、こころに目線を合わせると、ニッコリと笑った。 「ありがとう。こころもとても可愛い」  白地に朝顔の子どもらしい浴衣だ。ふわふわの黄色い兵児帯が可愛い。  こころは今年で三歳になる。可愛い盛りだ。  浴衣がくしゃくしゃにならないように気を付けて、娘を抱きしめる。  二人に会うと、自分に家族がいるという事実に、良子は圧倒される。嘘のような幸せ。そんなことを思ってしまう。  普段仕事でなかなか日本に帰れない良子が、久しぶりに長めの休みをもらえて、日本に帰ることができた。  ちょうど日本はお盆近くで、夏祭りの時期だった。  良子が「夏祭りに行ったことがない」と言ったのを、小太郎が驚いて、「じゃあ行こう」ということになったのだ。  帰ったら、小太郎が良子とこころの浴衣を用意して待っていてくれた。自分の浴衣は、若い頃に着ていたものらしい。  浴衣の値段はとんと良子には分からないが、安くはなさそうな仕立てを見て、思わず肩をすくめた。いまだにパティシエの弟子である小太郎の給料は、そうよくはない。もしかして、自分の浴衣を実家に取りに行ったついでに、お小遣いをもらったりしたのではあるまいか。  そんな疑心が頭をかすめるが、久しぶりに会った夫や娘との時間を大事にしたくて、良子はその疑惑を頭のすみっこに追いやった。
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