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物語が終わるころ、遠くで鳥が鳴きはじめた。
気づけば虫の声は盛りを越え、周囲の闇が青みを帯びている。私たちが身を起こすと、草むらに二つの窪みが残った。夏の草花は、あっという間にこの跡を覆い隠すだろう。
「……もう行かないと」
名残惜しげに顔を寄せようとした彼が、唐突に身を離した。そのままとびすさった全身が躍るようにけいれんするのを見て、私は振り返る。
月は山の端に、完全に隠れていた。変化が始まったのだ。
ぎくしゃくと四肢を突っ張る彼の全身から、豊かに生えそろっていた体毛が抜け落ちる。高くまっすぐだった鼻梁は押し潰されるように縮み、肉色の不恰好な突起物となった。
さらに頭部が瓜のように丸く形を変えはじめると、彼はうめきながら前足で顔を隠そうとした。さっきまで私に触れていたその足からは奇妙に長い指が生え出し、先端の爪も薄く丸く変形している。指の間から白目がちの目がのぞいたかと思うと、彼は体ごと顔を背けた。
すっかり毛皮が剥がれ落ち、ぬるりと白い皮膚のさらされた彼の肩。生き生きと動いていた尾も失われてしまった。
彼はそのまましばらく病んだサルのようにうずくまっていたが、日光の最初のひと筋がさすころ、ようやく二本の足で立ち上がった。憔悴した様子を心配して一歩近づくと彼が振り返り、私たちはいっとき見つめ合う。
そのとき、背後の山から遠吠えが響いた。夜が明けても帰らない娘を心配して、私の一族が呼びかけているのだ。彼は山に目をやり、かぶりを振るときびすを返した。
「また、次の満月にくるよ」
最後にそう言い残して。
散らばっていた衣服を身に着けると、男はもう振り返らず人里に向かって坂道を下りはじめた。残されたオオカミはしばらくその場にとどまっていたが、男の姿が見えなくなると身をひるがえして山の中に駆けて行った。
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