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「あぁ」  辰郎は気だるい返事をした。だが心臓はスーパーボールのように跳ねている。  まさか浮気相手の佐伯(さえき)朱莉といるときに電話がかかってくるとは――。  まして辰郎と朱莉はいまベッドの上にいる。 「出張先のホテルで外泊してる、ってことにしてるんだよね」 「そう。常多(つねた)町にいることにしてある」 「ウケる。ここから一時間以上もかかる場所じゃん。バレないようにしてよ」 「当たり前だろ」  辰郎はベッドから出るとスーツに着替えた。 「え、もう行くの?」 「朝まで一緒にいたら朱莉の香水の匂いがついちゃうだろ」  ベージュのチェスターコートを羽織る。黄色に近い派手なタイプなので、正直気に入ってはいない。だが、妻がプレゼントしてくれたものなので着ないわけにはいかなかった。 「今夜はカプセルホテルにでも泊まるよ」 「ちぇっ。つまんないのー」  朱莉は頬を膨らませて辰郎を薄く睨んだ。  アパートを出たのは、午後九時半だった。冬の寒さに身を縮こませながら駅へと歩く。  朱莉の住む古富(ふるとみ)町は街全体が閑散としている。外灯の光は闇夜に飲み込まれそうなほどわびしい。革靴の底が地面に擦れる音だけが響いた。  だが、薄暗い高架下を進んだ時だった。奥から人の声が聞こえてきた。 「舐めてんじゃねーぞコラ!」  どうやら言い争っているようだ。その声は悪意と狂気に満ちている。 ――喧嘩か?  辰郎は目を凝らし、声のする方を見やる。 「お前なんか殺してやるよ!」 「やめろ。・・・・・・離せよ、オッサン」  二人の男が取っ組み合っていた。
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