第一章 高貴な遺伝子

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第一章 高貴な遺伝子

 今思うとあれはなんだったのだろう。  それは今でも記憶の片隅に残っていて、夢だったのかもしれないとも思う。  俺は子供の頃酷く高熱を出してうなされたことがあった。  その時誰かが部屋に入ってきた。そいつは戸惑っている様子だったが、俺がぜいぜい言っているのが気になるらしく、最初は恐る恐る近づいてくる。ベッド脇に来てそいつの背の高さから俺と年が近い子供だったように思う。  何故か耳が尖っていて、その先は赤かった。 でもそれ以外は普通の人間だった。そして俺を覗き込んだ瞳はとても優しかった。  彼が手の平でそっと僕の額に触れるとそれはとても冷たくて、一瞬光ったような気がした。何故かその翌日体調もよくなり、熱が下がった。 ***********************************  それにしても今日はやけに暑い。  俺はそれほど汗をかかない体質だったのに、最近度々体が火照り汗が首元を伝う。  最近こうした気温の変化を感じるようになってきた。     俺たちの住む地域は空調も制御できるように透明なドーム型の建物に収まっているはずなのに。調整装置が壊れているのか。  芝生の公園の木の陰で寝転びながら俺、羅姫アヤト(らひめ あやと)は時折タオルで汗を拭いながら、抜けるようなの雲一つない青空を仰ぎ見ていた。  隣で、同じように樹に背中を預けて涼んでいた宝田琉(たからだ りゅう)は澄ました顔でデジタルの本を眺めている。  時折前髪をかきあげながら長く綺麗な指先は迷うことなく画面に触れ、次のページを閲覧している。  ふと画面から目を離すと切れ長の瞳が俺を見下ろした。 「どうした?」 「……いや。最近やけに暑くないか?」  そう尋ねても琉はそうか? という顔で特にいつもと変わらない様子だった。  俺は汗を拭くために外した一番上のシャツのボタンを留めると、乱れた服装を整えた。  タオルを折りたたみ、もっていたカバンのポケットにしまう。  空気は正常だ。どこも濁った気配はない。  俺たちにとってこのクリーンな世界は当たり前の景色だ。  しかしそれが限られた地域のみだと気づかされたのは、過去にエリア外に行った時だった。  課外授業で琉と一緒に自分たちの住むサウスエリアからノースエリアに行った時のことだ。  そこは正直空気がここより汚れていると感じたし、建物や施設も簡素で面白みのないものだった。  なによりも雑然としていて、普段から部屋や周囲を綺麗に整えていないと気がすまない俺には、なんだか落ち着かないところだった。  町並みも雑多で、美しいというよりは少しでも安く作り上げ、むしろ最低限の機能があればいいというようだった。  俺たちみたいに個人用の医療アンドロイドなどはおらず、地域ブロックごとに一体のアンドロイドが数人を慌しく診るという環境だった。  たまたま産まれ落ちた場所が悪かったために、自分たちよりも劣った生活をしている。  自分の両親はアルファ種の男とベータ種の男だった。  この世界には様々な人種が存在する。男と女という性別があり、昔は女という生き物だけが子どもを産んでいた。  それらは今も続いているが、現在は子を産むものが女性に限ったことではなくなっている。  大きく分けると三種の人種が産まれた。  遺伝子的に最も優れた能力を持つアルファ種。だが繁殖能力はない。  普通の能力を持つベータ種。彼らは繁殖能力があるが、昔からいる旧人類のそれと似た存在だ。  ベータのユキトが自分の母体ではあったが、彼はアルファの父、ミチルのようなやや上級階級の人間だったから、自分も結婚するならベータの男か女がいいと思っている。  親は常に俺を自慢の息子として思ってくれている。俺も子供の頃から自分が人類の種族の最高位であるアルファであることを誇りに思っている。  ただ、アルファである俺が少しだけ病弱であることだけを悔いていた。  過去と違い今は医療も発達していて旧時代に解決できなかった癌や症例の少ない難病もかなり治せる時代にはなってきている。  だが、まだすべてではないようだ。    ふと琉が眺めている画面が視界に入り、俺はもやもやと重苦しい気持ちになる。  そこにはデータを集めるための日程表が書かれてあり、俺の気に入らない地名が眼に入ったからだ。 「お前、またノースエリアに?」  ノースエリアにある中央都市大学付属高校は、俺が苦手とするオメガの人間が多く集まるところだ。  そう、三つ目の種。人類の滅亡を防ぐべく繁殖に特化したオメガ種。  何もオメガだからと言ってそいつら全てを否定するわけじゃない。  元の能力が高くなくても、中には必死に勉強をして、それなりの地位に上り詰めた奴がいることも確かだ。  だが……。  琉が大学の医学部を目指していく上で、ヒトゲノムの調査をするために様々な人種のサンプルが欲しいことはわかっている。  大学に入れればそれらはすぐに手に入るのだが、彼は単にデータを見るだけでは満ち足りないようだ。  琉は実験結果だけでなく、自ら赴き、多くの人種と触れ合うことにどこか重きを置いている。それが俺にはあまりいい気がしない。    もちろん琉は、嫌がる俺を苦手なオメガたちのいる研究室へ行かせるようなことはしないし、研究結果としてやはりアルファ種がいかに優秀であるかを証明してくれることもあるから、あれこれと俺が口を出すことではないと頭ではわかっている。  琉の誘いがきっかけだったが、中央都市大学を訪れて印象に残ったのは、オメガの学生たちの俺たちを見る露骨に怯えたような視線、卑屈な態度だった。  けれど、中には鋭い目つきの男がいて、思わずそいつに睨まれた。  そいつには俺が肩にしているアルファのバッヂが見えたはずだ。  俺が相手にしないようにそいつを無視して通り過ぎようとすると、そいつはすれ違いざま呟いた。 「今だけそうやって上から目線で澄ましてろよ。時代は刻一刻と変わっていく。いつまでもお前らの時代ではない」  俺は奴の挑発めいた言葉に少しだけ胸がざわめいたが、もちろん表にその感情を見せることはない。  彼の肩にあるバッチを見ると彼はどうやらベータのようだ。 「ふ、最近のなんでも平等主義ってやつか……。けれどどんなにがんばったところで、お前らは所詮は下級であり、弱い生き物だ。力にも限界がある。そして何よりも本来の目的である繁殖を放棄して、表向きだけでもアルファの つ も り になりたがる奴らがいかに多いか」 「なんだと?」 「いいか。お前らベータにもはっきり言ってやる。身分はあった方がいい。それぞれの種族にはそれに見合った能力がある。それなのに最近のお前たちは少し調子に乗っているようだな」  俺の言葉に他のベータたちが反応した。 「どんなに頑張っても、どんなにいい薬で抑え込んでも、アルファという最高位の血より上に立つことはできない。それだけは覚えておけ。アルファの活躍があるからこそ、お前たちが今日まで生きてこれた」 「なんだと!」  男が俺に掴みかかろうとして、他の奴がそれを抑えた。 「よせ、やめろ」 「……くっ」  そいつはどうやらオメガのようだ。 「今の政権が少しだけ俺たちオメガにチャンスを与えてくれている。でもそれは俺たちがちゃんとしているのが前提なんだぞ。こんなところでアルファに逆らっても俺たち自身を貶めるだけだ。そうだろ?」  男を庇うようにして他の仲間も彼をなだめた。  オメガの奴らの中には、俺を睨みつけ肩を震わせ涙目になりながらぐっとこらえる者もいた。  俺は何も間違ったことを言ってはいない。奴らもそれが正論だと思っているからぐうの音も出ずにいる。  全ての種が平等だと市民運動の平和団体が叫んでみたところで、やはりアルファの血はどの種よりも優れている。その証拠にアルファ以外の人種は誰もが尊敬と畏怖の混ざった眼差しで俺たちを見ている。  憧れ、羨むような視線が俺はたまらなく嬉しく誉れ高かった。  それと同時にオメガのやつらが酷く惨めに感じた。  ふと、廊下の片隅でそれを見ていた男の視線が視界の端に入る。  見たことがない奴だったが、男は黒髪のザンギリ頭でお世辞にも身分がいいようには見えなかった。  彼が去っていく時に彼の肩にはベータのバッジがついていたのを俺は見逃さなかった。  その時のことを思い出して俺はため息をつくと大きく深呼吸をした。  この辺りは空気が特別いい。防塵マスクも必要ない。  普段意識することのない透明なドームは空が届きそうなほどの大建築物だ。  時折ゆったりとした飛行船があちらこちらを移動して、上空の空気を常に清浄化している。  ドームの形も大きさも地域での違いがあるが、ここは特別クリーンな場所だった。  数世紀前には俺たちが今いる環境のような生活は、当たり前に地球全土に存在していたそうだ。  何故人類がこのような形の種に枝分かれしてしまったのか。  それにはこんな話がある。 人類はDNAを解読したことにより、人間の設計図を手に入れたと奢った。  そして性別の産み分けやクローン人間の増産という神の領域に踏み入ってしまった。  しかしそれはエラーという形で不可思議なミュータントを生み出し、世界中を混乱に陥れたのだ。  それらを駆逐するために人間対ミュータント戦となり、核戦争を起こす引き金になってしまった。  その核戦争が、皮肉なことに新たな人類を生み出してしまったのだ。 それが今この世の中で普通に存在し生きている新人類の俺たちだ。    琉がデジタルフレームを閉じると、それらは腕時計型の小さな画面に吸い込まれるようにして消えた。  そして琉は俺に微笑むと、頭にポンと手を軽く置く。 「……んだよ、それは止めろって言ってるだろ?」 「お前だって昔は俺にいつもしてくれていたじゃないか」 「……嫌味かっての!」 「そうか……? 俺は嬉しかったけどな」  琉は小さい頃は俺より身長が低かった。けれどロースクールに上がる頃にはどんどん俺の身長を追い抜き、今では頭一つ分も差がついてしまった。  俺がそれをうっとおしそうに払いのけ、軽く睨みつけると琉はからかうように笑った。  絶対こいつ計算してやってるなと思う。  俺たちは立ち上がると午後の授業を受けに校舎に戻ることにした。  こうして草木のある芝生のある道を歩いていると、教科書で学んだ過去の惨憺たる歴史が嘘のようだ。 「今見ても信じられないな。こんなに澄んだ綺麗な空なのに……」  見渡す限り青いこの空が、かつてすべてが黒い雲に覆い隠され、地上が零下百度を越える気候であったなんて考えられない。  そしてそのまま一世紀も地中で暮らす生活があったということも。  琉も俺と同じように目を細め空を仰ぎ見た。 「二世紀前の戦争は4、5発の核が地球の形だけでなく環境そのものを変えた。そして地下のもっとも深いシェルターに逃れられた人間はしばらく長い間、地下での生活を強いられた。ミュータントの根絶と核で汚れた地上が浄化されるのを待つために……」    しかしこの状況や戦争はある時期よりすでに予想されていたとも言われている。  シェルターの役割はただ避難するための場所というよりも、割り切りをもった科学者たちが英知を集め、生きていくために備えた施設になっていた。 「スモールヌクリア(小さな核)を開発した先人に感謝しないとな」  その頃には核戦争のために太陽光と同じエネルギーや光を生み出すスモールヌクリアなるものを開発することができていた。  それが地下での生活に生かされたのだ。  そしてノアの箱舟ならぬ、ノアの地下施設なるものが開発される。そこは人間が生き延びていくのに必要なありとあらゆる植物、生物がスモールヌクリアと共に備えられたものだった。  スモールヌクリアは自家発電だけにとどまらず、燦々たるありさまとなった地上から放出された害になる放射能を取り込むことで、地上を浄化することもできた。エネルギーで作物は育ち、家畜も育てられたため、人間はそこで過ごすことができた。  地下の住人の生活のために最大限に生かせた施設は、科学者たちの研究成果を存分に発揮するものとなった。 「結局俺たち人類が自分自身を守った」  琉は柔らかく微笑みながら応えると、俺も腕を組みながら頷いた。
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