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「まぁ、いっか。確かにね、実際はアルファの奴らが騒ぐほどに僕たちは見た目には全然変わらない。むしろ理性的だよ。今はもう昔から語られるようなことはないし。体格のいいオメガもいる。発情期はコントロールできるようになってるし、ただ……一つだけ挙げるとしたら、センシティブ的な事があるとは言われてるけどね」
「センシティブ的なこと?」
「例えばまだ未だに存在する、僕たちが抗ってもどうにもならない、つがいって奴を知ってるか? もとアルファなら聞いたことくらいあるだろ?」
俺はついさっきその話で両親から教授とその関係を望まれて、吐き気がしたばかりだ。むしろその生理現象には憤りさえ感じる。
最近までそんな悩みを露とも感じなかった俺が、まさかこんな思いをしなくてはならないなんて……。
「好きな相手とつがいになれるのなら最高なんだけどね」
呟くフロンは俺以外の誰かに想いが向いているようだ。
「……好きな相手ならな」
「もし仮にだよ? 自分に好きな相手がいるのにこっちのが相応しいからって他のアルファが割り込んできたらどう思う?」
「……嫌だ」
俺は流石に俺の両親が沼間教授とつがいになることを望んでいるということまでは話せなかった。
口にするのも嫌だったし、そんなものは不快で仕方なかったからだ。
「アルファっていうのはなんでも自分が世界を掌握してると勘違いしているんだ。このつがいという生理現象も、昔ほどはなくなったとしても、さらに奴らを調子づかせてる証拠だよ。僕たちはなんでそんな強引な繁殖方法が人間の意思と違うところで起きるのか、たぶん、さっき言った製薬会社の中の僕の知り合いが、そのつがいについて研究してたような気が……」
「……え」」
「フロン、その話は本当なのか……?」
バルコニーの入り口から声がして、俺たちは振り返った。
「琉さん……!」
「その話、よかったら俺にも聞かせてくれないか」
琉がこの話に割って入ってきたことに、フロンが動揺したように感じた。
それにフロンは琉をどこか潤いを帯びた眼差しで見つめ、少し甘えたような声を出し始めたのを見て、俺と接する時とまるで違うことを改めて感じた。
「いや、俺はその話の詳細を聞きたい。特に恋愛感情を無視した、つがいという存在は研究対象になる。もともとアルファ、オメガ間について、非人道的なこの現象をなんとかしたい」
琉の勢いにフロンは動揺し、驚いている。
恐らく琉からこんな積極的にフロンに迫ってくるというシチュエーションが今までなかったのだろう。もちろんそれは彼に琉がアプローチをするというものとは違う目的を持ったものなのだが。
「頼む、その研究をしているという人を紹介してくれないか?」
少しためらったフロンだが、琉があまりにも積極的なので、折れたようだ。
「わ、わかりました。琉さんがそこまで言うなら……明日会えるか連絡してみます」
フロンはいかにも馴れ馴れしく琉の腕を取って微笑んだ。
琉はフロンに頷いたが、すぐにこちらを向いた。
「良かった……これで何か解決の糸口が見つかるといいのだが。な、アヤト」
「えっ、あ、あぁ……。いや、しかし……」
つがいなどという嫌な生理現象の真相を探ることに俺は今更ながら少し躊躇してしまっている。
「琉さん、なんだかアヤトさんは興味ないみたいですよ?」
フロンの態度は俺が加わることを拒絶してるようだ。
彼的にはお気に入りの琉と二人きりで行動したかったのだろう。
でも琉は俺の目をまっすぐ見ている。
いつも以上にそれが真剣に感じられて、俺はその視線から目を外すことができなかった。
わかっている。……これは俺にとっても知らないわけにはいかない、行かなくてはならない事の一つだと。
「アヤト、お前がオメガだったことも、そしてオメガに起きる理不尽な生理現象も、今は辛いかもしれないけど、わからないよりは知っておいた方がのちのち役に立つと思うが……」
「わかってる……わかってるけど……」
「……怖いのか?」
俺の気持ちを見透かされたような気がして、俺は一瞬視線を反らした。のどが渇いたのか思わず唾を飲み込む。
怖いだなんて、認めたくない。そんな情けない気持ちを琉に向けたくない。
俺はまだどこかで強気の自分を、ライバルだと思っていた琉の前では強い自分でありたいとどこかで思っていた。
琉とは立場も置かれてる状況も違ってしまった。俺の中で焦燥感があるみたいだ。この焦りや恐れの所在が掴み切れなくて、俺は何かにすがりたいのだろうか。
前の俺たちの関係が心地よかったから。絶対的な安心感がどこかにあった。
元いた学校や寮、裕福で気持ちに余裕があった生活……。
今思うとぬるま湯だったのかもしれない。でも俺はあの生活が当たり前だと思っていた。しかし、根底から覆されてしまった……。
状況の変化が俺たちの関係まで変えてしまうような、そんな気がして、俺はそれをどこかで恐れているのかもしれない。
今目の前で腕を組んで歩いている琉は更にフロンに何か尋ねているようだ。
琉が積極的なだけに、二人がとても仲良く見えてしまって。フロンもとても嬉しそうに答えていて。俺は動揺しているのか。
俺の知らない琉が確かにここにいる。
いや、本当は今までは自分の都合のいい所しか見えてなかったのかもしれない。
今目の前にあるのが現実……。
琉や同じアルファの友人たちが当たり前のようにいつも俺の周りにいて。なんてことは幻想だった。
琉は時折中央都市の付属高校や大学に行っていたというから、そこで学校生活とは違うプライベートなカミーユとも会っていただろうし、その彼氏のエルピとも交流があっただろう。
そうすれば当然、フロンとの交流もあったはずだ。
確かに今日初めて会ったという感じではない。
それにここに泊まったのも初めてではないかもしれない。
もしかしたら二人は……。
そこまで考えて俺ははっとして頭を振った。だから何だって言うんだ。
なんでそんなこと俺が気にする必要があるんだ。
彼らがいつ会おうがどんな交流をしていようが俺には関係ない事だ。
例え付き合っていたとしても不思議はない……。
なのに……この胸の痛みがなんなのかわからない。
フロンは早速その彼に連絡を取った様子だった。そして琉の方に笑顔で大丈夫そうだと伝えた。
「それじゃ、明日早速その製薬所に行こう」
一番手前の琉の部屋で俺たちはおやすみの挨拶をして別れた。
琉が部屋に入るまで手を振っていたフロンはすぐに俺に追いついてくる。そして、ベランダにいた時の態度に戻った。
「あのさ、一言だけ先に言ってもいい?」
「……なんだ?」
「僕さ、琉が好きなんだ」
俺はふと足を止めてしまった。何故か背中から汗がじわりと滲む。
「君は、琉のなんなの?」
「……俺は。彼とはただの友達だ」
「そう? 本当に?」
「……本当だよ」
俺の言葉を少し疑うようにフロンは顔を覗き込んでくる。そして「まっ、いっか」と小さく呟く。
「まぁ、その、君。よかったら僕が琉と上手くいくように手伝ってくれない?」
いきなりな提案だ。
「はぁ? そんなのお前らの問題だろ?」
「で、でも君は琉と恋愛感情はないけど友達なんだよね?」
フロンは再び俺に疑うような視線を向ける。
「ん……あぁ、友達だ」
「やった! それなら僕に琉のこともっと教えてよ! その代わりに君が知りたいオメガの情報知りたいだけ教えてあげるし、明日だって製薬所に連れて行ってつがいについてもわかるわけだしさ、協力してよ!」
フロンになんだか乗せられた気分ではあるけれど、俺も自分の事を知りたいことは確かだ。
「あ、ああ……」
「やった! 琉ってさ……すっごく優しいのに男らしくてかっこいいよね。アルファなのに全然偉ぶったところないし、頭だっていいし運動神経なんて抜群。以前さ、うちの廊下に飾ってあった石像が倒れたことがあるんだけど、琉ってばすぐ飛んで来てくれて、僕ら2,3人がかりで起こそうとしたのを片手であっさり起こしちゃったんだよね、涼しい顔してさ……」
「はは……あいつちょっと馬鹿力なところあるからな」
「それ以来僕なんか惚れちゃって。それに背も高くてすっごくイケメンじゃない? どうして彼は今まで誰とも付き合ってなかったの?」
「さぁな……」
「もっと色々聞きたいんだけど、明日もあるし、今度絶対色々教えてよね!」
「あぁ」
フロンの勢いに俺が押され気味になりながら頷くと、上機嫌になったフロンは「それじゃ明日ね!」と笑顔で手を振った。
「はぁ……」
フロンのテンションの上がり具合と反比例して俺のテンションは下がりっぱなしだ。今俺は心細いからだろうか……。
夜、一人でベッドに入った俺は眠れずに何度も寝返りを打った。
隣の部屋に琉がいる。琉は自分が特殊なアルファだと打ち明けてくれた。
石像を一瞬で持ち上げたか……。石像ってあの廊下にある奴だよな。
もしかして奴も自分が何故特殊なアルファで、抑制剤を飲まなければならなかったのかと悩んでいるのかもしれない……。
俺とは全く真逆の悩み……。
少し苦笑してしまうが、俺も琉と一緒に自分の事を知りたくなってきた。
そしてそれは一人で追及していくのは怖く、琉と共にならできそうな気がした。
別に不安なことを一緒に解決していくのなら、フロンも文句は言わないはずだ。
これは俺らが共通に感じている理不尽さだと思う。
俺程とは思わないが、琉だって普通に生きていきたいはずだ。
何度か寝返りを打ってもまだ眠れなくて、俺は仕方なく上着を羽織ると飲み物でも買いに行こうと、部屋から廊下に出た。
ふと玄関先のソファに腰かけている琉の後姿を見つけてドキリとした。
俺の気配を察したのか琉が振り返る。彼も寝付けなかったのだろうか、俺と同じようにパジャマの上から上着を羽織っている。
「アヤト……」
琉が手元にコップを持っていた。
良く見ると飲み物を配っているメイド型ロボットがこちらをちらっと見ている。
俺にも配りたそうにしていた。
「……」
俺たちはソファに腰かけて少しの間無言だった。
俺は注いでもらったミルクティーを口にしていた。
「疲れたな……」
ふと琉の方から口を開く。俺は黙って頷いた。
「色々なことがありすぎて、頭の中がまとまらない……」
俺はずっと思ってた言葉を素直に吐き出した。
「そうだな……」
疲れたという気分は俺に寄せて来てくれているのか、それとも琉自身もそう感じての同意なのかはわからなかった。
でも黙って二人でここに座っていて、ふと琉の横顔を横目で見た時に、俺はあの時の事を思い出した。
俺が学校の連中に体育館に連れ去られた時に助けてくれた琉が尋常じゃない様子だったことを……。
あんな風に誰かから体を張って守られたのは初めての事だった。
怖かったけれど、あの時からなのか俺の気持ちがどこか落ち着かなくなったのは……。
琉はいつも物静かなタイプで落ち着いているからこそ、余計あの時に見せた激情に俺は驚いた。それが胸のざわめきの原因かもしれない。
俺も変化したが、それに合わせるように琉にも変化がある。
それは俺が今まで気にしていなかったからなのか……。琉が今まで近くにいすぎて気づけなかったからなのか……。
そして彼は特殊なアルファであり、俺も特殊なオメガである。
そう思うと、以前俺に対して接してきたあの態度も……。
俺に思わずキスをしてしまったのも……? 俺のせいなのか?
俺は思わずあの時の事を思い出して、唇に手を当てた。
やはり俺はもっと色々な事を知るべきだ。
「琉、さっき俺に言ってくれたこと……その、俺もオメガの事知るべきだって……」
「ああ……」
「お、俺もそう思う……いつまでも逃げていたらダメだと思ってる」
俺が顔を起こして彼を見ると彼は目を細くして俺を見つめた。
「……怖いのか……?」
少し眉尻が下がった様な気がする。自分の心が見透かされた気がして、俺は視線を反らせようとしたが、咄嗟に琉が俺の頬に手をかけた。
「大丈夫だ。俺がずっとお前の傍にいる。確かに自分の種族は認めなくてはならないと思うけれど、そんなものは単なる血液型と同じだ。俺たちは自由な精神でいるべきだ。この性だからと自分たちの未来を決められたくはない。お前だって、オメガだからこうだって言われたくはないだろう……沼間とのことだって……」
琉の言葉で俺ははっとした。思い出したくもないことだが、つがいというものは明らかに俺の意思に反したものだ。
避けられるものなら避けたい……。
「俺は、沼間となんて……嫌だ」
俺の言葉に琉は力強い視線で俺を見返し、頷いた。
「お前も自分が何故抑制剤を飲まなきゃいけないのか知りたいんだろ?」
「……いや、それよりも今はお前の問題に一緒に取り組みたい。俺の事はその後でいい」
子供の頃の自分は何もかもが自由な気がした。
何に対しても自信があって、自惚れていたかもしれない。
でも未来が明るかった。常に上を目指してた。
琉がカミーユが……俺より小さかった。
まるで俺の子分みたいだった。
でも琉はいつもどこか冷静で、俺より背は低かったけれど……。
ダメだって言われてたのに、調子に乗った俺が森へ彼らと共に冒険だと出かけた時に、不意に木の陰から蛇に襲われそうになった。
その時木登りをしていた琉が木の上から飛び降りてきて、木の棒で奴の体を刺した。
俺だって棒を持っていたからその場に俺だけだったとしても倒すことはできたはずだけど、奴の方が素早かった。
いつも何故か琉は俺を助けてくれる時だけは素早い。それ以外の時は落ち着いて見えた。
いつも俺の傍にいて、俺の話をうんうんと聞いてくれるような存在だった。
大人になって行けば行くほど、追いかけられていたはずなのに、今は俺が彼を必死に追いかけている。
並ぶことももちろんできたけど、油断をするとすぐに追い抜かされてしまう。
体格まで変わってしまうとは思わなかった……。
それでも同じ血だと思っていたから、俺は自分のプライドをかけて追いかけることができた。
「さ、なんだか冷えて来た。お前ももう寝ろ、明日は大事な日になる」
「あぁ」
琉の広い背中が部屋のドアへ消えると、俺も自分の部屋に戻り、眠りについた。
今俺はどことも知れぬ暗闇を走っている。
そこは真っ暗な森で俺は必死で茂みをかき分けている。
どこからか何かに追われている、けれどその何かがわからない。
ただ漠然とした得体のしれない恐怖にただ必死に逃げていた。
自分が何者であってどこからきてどこへ行くのか……。
そのうち怖くて動けなくなった。
助けて……。ただただ落ちていくみじめな自分をふがいない自分を誰が必要としてくれるというんだ。
俺といても何もメリットはないと人はどんどん俺から離れていく。
オメガになった俺を誰も必要とはしてくれない……。
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