第五章 運命に抗いたい俺たち

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 目の前に琉が現れて、俺は一瞬ほっとした。  けれど彼の横にフロンが現れて、二人は微笑み合いながら俺の目の前で楽しそうに話をしている。  琉……お前もか? お前はもうフロンと恋人同士で、仲間だと思っていた俺はオメガで……。  俺の事をもう必要とは思ってくれないのか?  この胸の痛みは……。たぶんお前が俺から離れて行ってしまいそうなそんな不安からきているのかもしれない……。  この胸の苦しみは……。  不意に瞼に眩しい光を感じた。  トントンとドアをたたく音が聞こえ、俺は自分が柔らかな布団の中にいるのが一瞬現実なのか夢なのか混乱した。   「アヤトさん、朝ご飯ですよ」  執事さんの声が聞こえる。  辺りの光の眩しさに目を細め、改めてあの沼のような世界が夢だったことに気づきホッとする。    朝食はむしろ俺たちがいつも寮で食べてる食事よりもよっぽど豊かなものだった。  俺は昨日の夢を思い出し琉を横目で何気なく見てしまった。彼は落ち着いた様子で朝食を取っている。  昨日の妙な胸の疼きは夜の寂しさに誘われたからなのだろうか……。  俺たちは朝食を終えると、玄関前に集合した。  先に琉とサエカが待っていた。相変わらず待ち合わせの時間よりも早めに来る奴だ。  俺は朝はあまり調子が良くないから、こういうところは琉よりできてないと思う。   「さっきはどうした?」  二人きりで待っている間、不意に琉に囁かれてドキリとする。   「さ、さっきって……?」 「今朝朝食の時間に俺の顔をちらちら見てたじゃないか? なにか話したいことでもあるのか?」 「い、いや、べ、別に……」 「ふぅん……」  俺が琉のことを盗み見ていたことに気づいていたことにドキリとした。  琉は一度も俺の方なんて見なかったはずなのに……。 「俺の方なんて見てないのになんでわかったんだって思っただろ?」  更に追い打ちをかけられるようにそんなことを言われて俺は動揺した。  その様子を見て琉はクスリと微笑む。   「な、なんだよ、何がおかしいんだ」 「相変わらずわかりやすいな、お前」 「はぁ? あのな、俺はこれでもポーカーフェイスで通ってるんだぞ」  ……たぶん。 「お前の表情やしぐさなんてすぐにわかるさ、いつも見ていたんだからな」 「え……? な……」  急に距離感を詰めてくる琉に俺は思わず心臓が跳ね上がった。    そ、それはどういう……。 「お待たせ!」  琉に尋ねようとする前に、俺の言葉はフロンの大きな声で遮られた。  リュックを背負ったフロンは息を切らせながら走りこんできた。  そして咄嗟に俺の腕を掴み自分に引き寄せ、俺を軽く睨んだ。 「わかってるよね」  昨日自分が言ったことを確認し、俺を諭しているようだ。 「ああ。お前と琉が上手くいくようにするんだろ……」  俺らのひそひそ話を琉は不思議そうに眺めていたが「行くぞ」と俺らに声を掛けてきた。  その琉の腕を咄嗟に掴んだフロンは上機嫌になり、笑顔で「はーい」と答える。  俺は即座に彼等よりも少し後ろに距離を取った。   「学生証は持ってるね? それじゃ製薬会社に案内するよ!」  製薬会社はフロンの家から車で三十分くらいの場所にあった。  俺を助手席に乗せてサエカが運転している。  後ろの席ではフロンが琉と二人で座ることができたことにご機嫌だった。  フロンは俺がいなければもっと楽しいドライブだっただろう。    様々な商業施設や人の往来を感じる道路から、次第に辺りは枯れ木や瓦礫ばかりの殺風景な景色に変わっていく。  見渡す限りの何もない広大な土地の中に、都心の最新ビルのようにそこだけ妙な浮きあがりを見せた違和感のある建物が近づいてきた。  たぶんあれが俺たちがこれから向かう製薬会社なのだろう。  ふとバックミラー越しにフロンと視線が合う。   「この製薬会社はかなり前から設立されたらしいんだ。そして最初は民家ほどの規模だったのが、今はこんなに大きくなった。土地がまだあるから、この先も大きくなり続けるのだろうと思う。もちろん表向きは普通の製薬会社だよ。そのエムルというアンドロイドがそこにいるのかは定かじゃないけどね」  もしエムルのように限られた医療アンドロイドがそこに出入りしているとしたら、もし自分の身をアルファに変えられるほどの薬剤を作れるところだったら。  極秘裏な裏での需要が、取引があるのだろう……。  だが倫理的にどうなのだろうか。こんな風に一人の人間の人生まで変えかねないことをして、いいのだろうか……。 「サエカ、エムルの気配はするか?」 「微量にセンサーに反応があります」  エムルは本気で逃げようと思えば逃げられるはずなのに……。  サエカに自分の気配をどこか残しているような気がしてならない。  それが作為的にも感じる。  エムルはOrder Police Corpsからも逃れなくてはならない。だから、わざと俺と程よい距離を置きつつ、それでいて俺を導いているのかもしれない。  入口のビルはまるで奇抜を売りにした建築家が設計したような、建物の半分がガラス張りになっていて、内部もわざとむきだしのコンクリートを見せる造りになっていた。    フロンの誘導で俺たちは製薬所の人間が出入りしている専用の入り口から入った。  学生証を見せてOKをもらった俺と琉のカードはゲスト用のIDカードだ。 「フロンさんこんにちは」  しばらくして少し白髪頭のひげを生やした年配の薬剤師が現れた。 「こんにちは池さん」  池という名の彼は灰色の白衣のようなものを身にまとい、小さめの眼鏡をかけていた。  フロンによると従弟の知り合いの薬剤師らしい。  俺たちは池さんの案内で個室に通された。そこは接客をする部屋らしく、普通の応接間のような部屋だった。   「……みなさんが私たちの製薬を使われていると聞きました」  琉がサエカを促すと、「これです……」とあるシートをサエカは取り出した。 「……これは……」 「これはアヤトさんの家から見つかった2種類の薬です。恐らく彼はいつもこれらを飲まされていたと考えられます。アヤトさんには申し訳ないのですが、お部屋のカーペットから勝手に採取させていただきました」  それに関しては俺も何も言うことはない。  池さんが薬を判別機に入れると、それは間違いなくここで製造されたことのある薬だったそうだ。けれど今はここでは作っていないそうだ。 そしてその結果を見て池は渋い顔をした。 「なんなんです? この薬は……」 「これは……その……!」  言いよどみ、なかなか口を開かない池に俺は少しだけイラついた。 「はっきり教えてくれ、これはなんなんだ!」 「こ、これは一つはかなり強い抑制剤です……。二つ目は血を丸ごと変える薬品だ」 「血を変える……?」 「……ええ、持続時間は一週間、物によっては二週間続くものもあります。アルファ傾向、ベータ傾向、オメガ傾向、と色によって違いはありますが」 「これは違法じゃないのか?」 「違法です……。だからこの会社でも何年か前から製造を止めています」 「……そうか。俺は持病とか言われて、その血を変える薬をもらっていたんだ。どこのだれかわからないけど、どこかでそれが今も作られていて俺はそれをエムルからもらっていたんだ」 「でも変な話だよね、そんな医療ロボットを使ってまで君をオメガであることから隠す意味がわからないよ」  フロンが不服そうに顎に手を乗せ考えを巡らせていた。 「アヤトが本当のアルファだったら良かったの」  妙に優し気に、けれどそれは確実にフロン的に都合のよいことで、フロンの望んでいることが、なんとなくわからないでもなかった。  フロンからしたら俺がアルファである方が嬉しいのかもしれない。  ライバルは一人でもいなくなったほうがいいはずだ。   「俺だって、もともとアルファであればどれだけ良かったか……」  思わず心の声が口から洩れてしまった。  フロンは俺の呟きに首を縦に振る。 「そうだよ、君はアルファであるべきだったんだ」 「……ううむ……持病と言って血を変える薬を飲ませるというのも、あながちないわけではありません。まぁ、稀な例ではありますが」  池が意外なことを言う。 「例えばオメガの場合、強すぎる性欲が抑えられない場合は、抑制剤だけでなく血そのものを変えることで調整する手段があるにはありますが。それくらいしないと抑えが効かないくらいの発情期での性欲の強さなのかもしれません」 「うわ、そんな風に言うとまるでアヤトがものすごい性欲の塊で抑えられないから、血まで無理矢理変えないとどうしようもなかったみたいじゃん……」  フロンの言葉に池はあっさりと頷く。   「その通りです。今では稀なことですが、オメガの中でも非常に性欲が強く制御できない人間がいます。それはもう生まれた時の遺伝子でわかるのですが、その場合もう生まれて授乳期間が終わったらすぐに投薬をするものもいたそうです」  そう言えば、俺は物心ついた時からもうエムルが当たり前のようにいて、自分が持病があって、夜寝る前には必ずおやつのように薬を飲まされていたな……。  子供の頃はそれでもその薬が美味しかったから、自分がラッキーだと思ったくらいだ。  そう思うと自分の無邪気な心の時に戻りたいような……一生わからないままでいたかったような……。 「聞いたことがあります。そういう生まれつき強い性欲を持つオメガは理性をなくさないように幼いころから投薬をするということを……そして抑制薬を飲むだけでは足らず、血の交換までするようなものはアルファとつがいになる可能性が高いと聞きました」 「……そんな……」 「投薬をしないでいたらどんなことになるの?」  フロンの問いに研究員の池が続ける。 「投薬しないなんてとんでもない。しなかったら、あちこちに発情して目も当てられない、自分を制御できない人間になってしまう。確かにオメガはある意味過去の人間たちにとってはなくてはならない存在だったかもしれない。人類が絶滅から逃れるための進化だったのだろうと思う。だが、秩序を取り戻しつつある現在では、それはまともに生活できないどころか、社会的にも倫理的にも問題になる。薬を飲まなくては逮捕される可能性もある。アルファとの相性もあるが、こういう稀なオメガが問題なのは、発情期になった時の制御です」 「怖いな……まるでボクたちが発情期になったらあちこち街の男達を漁りにいくみたいじゃないか」 「市販の抑制薬が効く程度の発情なら問題はないです。最近はそういう人がほとんどです。そこまで相手を漁らなければならないほど、人類が絶滅の危機の状態ではなくなった」 「……じゃアヤトの状態は稀なんだね、それにつがいというのも」 「ええ、ある意味希少です。種族として枝分かれした原始的時期の人種だったのでしょう。まだ地中の生活をしていた頃の名残なのですよ、強力なオメガの発情期とアルファとのつがいというものは。ある意味種族を残せる相性の良い相手と永遠に子孫を残すための行為を繰り返すわけですから、それだけ人類の生き残りをかけた壮絶なものだったのでしょう」  色々なことがわかると俺は増々凹んだ。要するに俺はどうしようもなく、性欲の強い、人類が絶滅しないように生み出された、子供を産むための人間だったってことだ。進化した人間ではなく、むしろ化石の部類だ。  しかもその為に抑制薬だけでなく、自らの血を変えてまで押さえつけなきゃならないほどのものだったんだ……。  しかもアルファの相手を捕まえてつがいになり、ずっと子供を産み続けるっていうのか……。  なんだか盛る自分を想像するだけで軽いめまいと吐き気がする。  俺の見境なく理性もなにもかも吹っ飛んだ状態なんて、誰も近づかないだろう、さらに気分が悪くなった。 「そんなもの……俺が一番望んでないものだ……野蛮で……醜い……」  言葉に発している間にもさらに気持ち悪さと意識が遠のきそうになった。  つがいなんて一番望んでいない。運命の赤い糸みたいなロマンチックさの欠片もない。  なんか性欲の塊のような、みだらな下品な人間のようにも思える。    頭にずんと塊が落ちてきたようなショックで、俺は本当に地に落ちたと心から思った。  オメガのよりにもよって最下層の性欲狂いの部類だったとは……。    そしてつがいになる相手は自分が心から好きな相手ではなく、性欲に繁殖に適した相手だというのだから目もあてられない。  製薬所にはエムルの姿はなかった。池にエムルの事を話しても彼は知らないと言う。サエカがしきりに彼の気配を探ったり、アクセスを試みたが、彼から何も返事はなかった。 「結局エムルはどこで薬を取引していたのだろうか……」 「フロン、残念だがここにはエムルはいなかった」 「……そうだね……」 「けれど、アヤトが飲んでいた薬について色々なことがわかっただけでも来た甲斐はあった」 「ほんとに? ボク役に立ったんだね」 「ああ、もちろんだ」  琉の言葉でフロンはぱっと笑顔になり、大袈裟なくらい喜んで彼の腕に飛びついた。  琉は少し驚いた顔をしている。俺はその様子を妙な胸のざわめきと同時に見て見ぬふりをした。  それよりも、俺はまた自分の体が熱くなっているのを感じる。  ふと額に触れると汗がじんわりとしていた。  この製薬所が暑いというわけではない。それが証拠に誰も汗をかいていなかった。   「アヤト?」  俺の変化に最初に気づいたのは琉だった。 「なんでもない……少し疲れたみたいだ」 「まってくれ」  俺の様子を見て池が近づいて体を診ると言い出した。  俺は血圧や、数百本のミクロの針のようなスタンプから血液の状態を診られた。 「やはり発情期が近いのかもしれません……」 「そんな……俺、どうなっちゃうんだ……」  持っているリュックからタオルを取り出して幾度が繰り返し拭いているが、汗が止まらない。  ふと後ろにいた琉と視線が合った。  彼はとても心配そうな顔でこちらを見ている。    ここまで体が熱く苦しくなったことなんていままでない。 「今日の夜まで待てますか? 今まで飲んでる薬だけだと弱いのかもしれないし、もう少し強いのを処方します。できたらそれらをサエカさんに渡します。ただ、これはあくまでも仮のものだから、段々効かなくなる可能性もあるからね」 「彼はどうしたら良くなるんですか?」 「うん……できたら早くつがいを見つけるしかないと思う。もう君は子供が産めるだけの大人だ。オメガの強い発情を支えられるのはやはりつがいとなるアルファだからね」  ……そんな。俺の脳裏に沼間の顔が過り、身震いがする。  池は何か困ったことがあったらいつでも連絡してくれ。と言ってくれたが、結局根本的な解決がつがいを見つけることだなんて、残酷だと思った。  俺はそれからずっと車の中で窓際に体をもたれながら、伏せっていた。  気持ちの問題なのか、それとも体の問題なのか、俺は屋敷に戻るとそのままベッドから起き上がれなくなった。  サエカに以前の抑制薬をもらって飲んだが、それも焼き石に水だったかもしれない。  わけもわからず涙が出てくる。こんな姿誰にも見られたくない。  明らかに自分の体に変化が起きている。体だけならいいが、気持ちまでおかしくなってきている。  その時コンコンと部屋のドアを叩く音が聞こえ、俺は身を固くした。  誰かが部屋に入ってきたような気がして、俺は咄嗟に目を閉じた。 「アヤト……」  琉だ。  彼は俺が寝ているということを知ると、そっと俺の額に手を当てる。  その手の大きさや自分の熱でむしろ彼の手の方が冷たいと感じると俺はなんだかそれが懐かしい気もして、泣きそうになった。  不安で仕方ない気持ちの中、誰かにすがりたくなりたく一方の俺の気持ちに、いつもこうして心の隙間にすっと入り込んで来てくれる。  気持ちが流されそうになる、琉に寄りかかりたくなる。 「わかってるよね」  フロンが俺を睨みつける顔が浮かんだ……。  そうか……あいつ琉が好きなんだったっけ……。  琉は……?フロンの事どう思っているのだろう。まんざらでもないのかもしれない。  あんな風に自分の気持ちに素直なフロンがどこか羨ましくも感じた……。  俺? 俺は……?  考えると頭が割れるように痛くなってくる。熱だけでなく頭までおかしくなってきたのか。体も熱い……。  1,2度苦しさに呻いた。   「アヤト、大丈夫か?」 「……苦しい……な、なんだか……体が熱い……」    学校の体育館で感じたものよりももっと強い何かが俺のわからないところで溢れてくる。 「……琉、これは天罰なのかもしれないな……人を差別していた俺の、浅はかな俺への……」 「そんなことない」 「俺は自分の血におごり高ぶってた、そしてたぶん多くのオメガを傷つけたに違いない……だからそんな俺だから、神が罰を……俺が愚かな人間だから……」  琉の腕が伸びるとそっと俺を包み込んだ。 「誰だって自分が『未知の者』になれば怖い、不安になる。それだけのことだ。たまたまそれがアルファからオメガだったってことだ」  琉に包まれて人の温かさが今の俺にはありがたいと感じる。 「琉はいつでも優しいな、俺にだけじゃない、他の人にもどんな人にでも……。凄いと思うよ、だから琉のことが好きな人は多いのだと思う、ここの家の人たちの琉に対する視線も温かい、琉は俺とは違う……」
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