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第六章 抗えない苦しみと発情期
「アヤトは何も悪くない……お前は自分の属性をいいように操られていただけだ」
「……りゅう……」
どくんと体中が熱くなった。頭がぼうっとしてきて、目の前の琉に縋りたくなる。
「アヤト?」
自然に琉の腕に胸に縋っていた。
「……人の温もりが……欲しい……」
俺は自分でも信じられないくらいそれは自分の意思とは違う形でまるで操られているように琉の口角の上がった形の良い唇に引き寄せられる。
「……琉」
琉は俺の行動に目を見開く。
俺は手を伸ばして彼の唇を指でなぞる。それだけなのに心地よさで指先が痺れてくる。
琉はその俺の手をそっと掴んだ。
さっきまで色々な事を考えていたはずなのに。
その思考が今はどうでもよくなっていくのがわかる。
すべてのことがどうでもいい……。
ただ、今そこにいる琉と自分は交尾できるのだということに意識が吸い上げられて、ただただ目の前にいる自分にとっての雄に抱き寄せられて、新たな種をもらいたい、いや目の前にいる彼と気持ちのいいことだけをしていたい……。
「俺、もうなんでも良くなった。お前がよければ俺はお前と交尾したい……」
「えっ、なっ……!!」
自らパジャマのボタンに手を掛けて脱いでいる。
俺からそんな言葉が飛び出たり、服を脱ごうとしかかることなど予想もしてなかったのだろう。
琉が狼狽しているのがわかる。
けれど体が熱くなりすぎてこの衝撃を抑えることができなくなっていた。
今まで感じたことのない震えが、この手がもう琉の腕を掴んで離さなかった。
もう駄目だ。こんなバカなこと……。どうかしている。
これが俺の本性なのか……。
どんなに苦しくてでもそれから目を反らすことができないくらい、今目の前の琉と交わることばかり俺は考えてしまっている。
こんな姿、琉から嫌われる。嫌われたら悲しい……辛い……。
ふと部屋の窓ガラスに自分の姿が写った。
顔が火照っていて、欲しがって足掻いている自分の姿に俺は思わず涙が出た。
涙が後から後から溢れてそれでも欲情はとまらない。
今すぐにでも琉にどうにかして欲しい。
「アヤト、苦しいのか……?」
「苦しいっ……助けて……」
みっともなくすがってるに違いないのに、俺の言葉に琉はぎゅっと俺を抱きしめた。
彼の温もりに感じたことのない脳天に突き抜ける気持ちよさがどんどん溢れてきて、ただ、抱きしめられてるだけなのに、俺は軽く吐息混じりの声を上げてしまった。
「俺はお前が苦しんでいるなら解放したい……」
「苦しい……苦しい……」
琉は俺を抱きしめる腕の力を強めた。
琉は俺が放出したフェロモンにでもやられたのだろうか。
彼もどこか顔を火照らせて俺をいつも以上に熱く見ていた。
けれど彼は唇を噛みしめ、必死に何かを堪えているようだ。
「けれど……それは本来お前が望んでいないことだ。そうだろう? 今たぶん、お前は発情期に入った。抑える薬がないからそんな状態になっている。でも発情期のまま好きかどうかわからない相手と交えることは、何よりもお前が嫌だったはずだ」
「ううん、そんなものどうでもいいんだ。もうどうでもいい、誰でもいい、苦しい誰かに抱かれたい。誰かと交わりたい、どんな人でもいいっ」
「馬鹿っ、違うっ、お前はそんな人間じゃない。今は発情期にお前が侵されてるだけだ」
「あぁあああああああ!!!!!」
俺は訳が分からなくなって自分では抑えようもない欲情に気がおかしくなりそうになった。
そんな俺を琉はぎゅっとただ抱きしめる。
「待ってろ、もうすぐ、サエカが戻って来る」
「ダメ……もう苦しくて、窓から飛び降りたいっ」
「馬鹿ッ!」
そうだ。この苦しみから逃れられるなら、琉から拒絶されるなら俺は俺の存在を消してしまえばいい!
「お前を巻き込むくらいなら、お、俺はっ……」
琉の腕からすり抜けようともがく、汗まみれの体でベッドから降りようとする俺を琉は引き寄せた。
「くそっ!」
引き寄せられたまま俺は琉に抱きしめられ、キスをされた。
それだけでまるで雷が落ちたように俺の体に快楽の電流が走って来る。こんな気持ちは今まで感じたことがないほどだった。
まるで水に溺れるように俺は琉の体の中で暴れたが、琉の方が力が強く抑え込まれたまま押し倒され、そのままずっとキスされた。
それだけで俺はもう俺は昇天しそうになる。
俺は意識が真っ白になっていくのが自分でもわかった。
気づくと俺はベッドの中にいた。
そして先ほどよりもどこか落ち着いている。
そして目の前には少し胸を撫でおろしたような、少しだけ疲れた笑顔の琉が俺の傍にいて、やさしく見下ろしている。
「……琉……ごめっ」
のどが詰まって、最後まで言葉が出なかった。
さっき自分の身に起きたあれが発情期だというのか。
どうしたらいいのか、何も言い出せず、ただ、俺は涙が溢れていた。
あれから何故今はあの衝動が収まっているのかわからず、困惑した。
心配そうに見下ろす琉の傍にサエカがいることに気づいて、やっと自分の落ち着きから冷静さを取り戻せて、僅かながら記憶を辿ることができた。
俺は薬を飲まされたんだった。
「遅れてすいません、薬……。効いてきてくれたみたいですね? 今まで飲んでいたものよりもずっと強いものらしいです」
俺はあれから相当暴れたのだろう、琉の腕にはいくつかの生々しい引っ掻き傷が見えた。
どんな手段で俺の口に薬が入ったのか、ぼんやりとだが思い出す。
到着したサエカから薬を渡された琉がそれを口に含み、再び俺に口づけをした。
俺は耐えようのない劣情の波で必死にもがいていた。
けれどぐいっとカプセルを押し込まれそれがとけるまで、俺たちはそのまましばらく口づけをしていて……。
琉らしい、この状況でそれなりに理由がつけられる口づけだ。
口の中にカプセルが溶けて甘い蜜のような味が広がる……。
俺は涙が止まらなかった。琉とのキスが気持ちいいからなのだろうか。
オメガの欲情発作の恐ろしさからくる涙なのか……。
それに翻弄されているだらしのない自分が悔しいからなのか……。
十分カプセル内の薬が俺の体に入るまで琉はその甘い口づけをやめなかった。
俺は体の力が抜けたまま琉に体を預ける。
そのまま発作が収まるまで琉に押さえつけられたまま、再び自分の意識が戻るまで俺はそのままだったそうだ。
涙は次第に抗えなかったことに対する不潔な自分への悲しみと自分への絶望に変わった。
しばらくして冷静になればなるほど、深い後悔と自分に対する嫌悪感がつのる。
もう嫌だ……。
「落ち着いてきたか?」
「琉……すまなかった……俺、俺はなんて馬鹿な事……」
「気にするな」
「お前に危害を加えてしまうところだった」
「危害だなんてことはない」
ベッドで丸くなったままの俺を心配して、琉はすっと自分の隣の部屋から布団だけを持ってきて、隣で横になった。
「……琉、そんなところにいたら俺はまたお前に……」
「しばらくは大丈夫だと思います。けれど、これはあくまでも繋ぎの薬ですから。アヤトさんの体はもう自分がオメガだということに目覚めてしまっているそうです。そうなると血を変える薬も以前より効きが悪くなってくると池さんが……」
傍らに立っていたサエカが薬の入った瓶をベッド脇に置く。
「どれくらいおきに飲めばいいんだ?」
「効き目がなくなった時に。要するに発情しそうになったら飲んでください。でも、こういう強い薬は次第に効く時間も短くなってくると思います」
「わかった……」
サエカは頷くと 明日また様子を見に来ます と言って部屋を出て行った。
俺は少し疲れた様子の琉を見て頭を下げた。
「琉、ごめん……」
「いや……。むしろ俺でよかった。例えうっかりお前のフェロモンに負けてしてしまったとしても」
「……お前、まさか本気で」
「他の奴だったら大変だった」
「……それは。……そうだろうけど」
「それにそんなのは俺が許さない」
「……え?」
「いや……」
もし仮にあのまま琉を誘ってしまったとしても……俺は他の誰よりも琉だったら……いや、何を考えているんだ。
「まぁ安心しろ。そうはさせないし、俺はお前が本当に心から好きな奴が出てくるまで、おかしなことはしないさ」
琉の言葉にドキリとした。
アルファである頃の俺は頑なに琉を否定していた。
俺を大事な友達だと思ってくれての言葉なのか、今の俺に対して琉は……。正直分からない。
けれど確かなのは琉は俺の気持ちを一番に考えてくれている。そういう存在なのだと思った。
琉は真面目で真っすぐな奴だ。
俺は彼のそうした優しさに今までとても甘えていたことに気づく。
もしさっき彼と関係を持ってしまったら……。俺は彼を傷つけることになったかもしれない。
流石の琉も今日色々あったし、疲れたのかしばらくして彼は眠ってしまっていた。
ふとドアが開いてることに気づき、見上げたその先の人物に俺はドキリとする。
そこにはフロンが黙って立っていた。彼の冷たい視線に俺は思わず息を呑む。
彼がすっとドアから離れた。俺は傍で寝ている琉を残し、そっと廊下に出る。
廊下の先の小窓から外を見ているフロンのもとへ向かった。
「フロン……」
「酷いね……君の発作……あれ、本当に発作なの?」
疑うような視線を向けられて俺は思わずかっとなった。
「み、見てたのか?」
「気づかないわけないじゃない? あんな大声出してみっともない」
「抗えなかったんだ。俺の意思じゃない!」
「ほんとに? どんなオメガだって、あんな売春婦みたいな誘い方しないよ。俺たちを馬鹿にしてる?」
「違うっ、本当に……!」
「だったら、すぐにでも琉から離れてよ!」
「……!」
「幼馴染なのかなんなんだか知らないけど、これ以上僕の琉を傷つけるようなことしないで!」
「……っ」
「琉のこと好きじゃないんだろ? なのに琉を発情期だから誘って関係を持つの? 彼が人の気持ちを何よりも大事にする性格だって知ってる癖に?」
俺は言葉を失った。
「幼馴染だから、例え間違いが起きても構わないっていうの?! 冗談じゃないよ! あんたのことを抑え込むための協力ならしてやってもいいけど、もう琉は巻き込まないで!」
フロンの勢いに俺は後ずさんだ。
「……わかった……でも、どうしたら……」
俺の言葉にフロンは深くため息をつく。
「そういえば、さっき今日のお礼に薬剤師の池さんに連絡したら、明日沼間とかいうサウスエリアの大学の教授が製薬会社に来るらしいよ」
「……え!」
フロンからその名前を聞いて俺は一瞬息が止まりそうになった。
「たぶん彼はアヤトの事話したんじゃないかな? つがいがどうこうって言ってたからね。もしかして、彼、あんたの相手なの?」
フロンの言葉に俺は首を激しく振った。
「違う。沼間とは、奴と親が勝手に決めただけで、つがいなんかじゃない」
「ふぅん……。でも池さんの話ではその沼間って人、羅姫くんの名前を出したら、すぐにでも行くって話だったよ、あんたの事迎えに行くとかなんとか、池さんも『なんだ、アヤトくんにはつがいになる男性がいたそうじゃないかって、これで苦しさから解放されるよ』って」
「じ、冗談じゃない」
「たぶん、その沼間って人、製薬会社からここにあんたを迎えに来るんでしょうね? どうするの?」
「いや、俺は行かない……そいつが大嫌いなんだ」
「大嫌いな相手がつがい? それはご愁傷様。で? どうする気」
「今すぐにでもここから出なくちゃ……」
「そうだね、それがいい……。でも出ていくなら一人で出て行ってね」
「……!」
「とにかくもう琉を巻き込まないで」
フロンは険しい顔で俺を睨みつけながら、携帯を俺に押し付けた。
うろたえる俺にフロンは冷たい視線を送りながら、ため息をつく。
「全く、どこまでも世話の焼ける奴だね。あんたとの連絡はこれでするから、あんたはどこか適当なホテルにでも宿泊していて。お金がないならある程度貸すから」
「……」
「このまま琉をあんたのわけのわからない、売春婦顔負けな発情期に巻き込んでいいの?!」
「……わかった」
俺はそっと自分の部屋に戻るとベッド脇にサエカにさっきもらった薬のビンを確認する。
改良された薬はあり難いことに効き目があった。
けれど、これは強い薬だし、急場しのぎで作ったものだから、効き目が次第に短くなるそうだ。
発情しそうになったら飲むということは、サエカももうどれくらい俺にこの薬が効くのかがわからないんだと思った。
俺はそのビンに手を伸ばし、中身を確認した。
思った以上にビンの中に薬が入っていて……。
「とにかくしばらくこれでなんとかしながら……逃げなくちゃ……」
俺はすぐに荷物をまとめるとリュックにその薬を入れた。
寝ている琉の横顔を見て、彼としばらく会えないと思うと、何故だかとても切ない気持ちが込み上げてきた。
「……琉。今まで俺お前に凄く甘えてたな。俺を助けてくれたり、庇ってくれたり……本当にありがとう……今度は俺がお前を危ない目に合わせない番だ……」
「何してるの? 琉が起きちゃうじゃん、さっさと出て!」
「あ、あぁ」
小声でフロンにせっつかれて俺は裏口のらせん階段から庭に出た。
「この先の少し重めの裏門、今だけ鍵を開けといたから、そこから出て。真っすぐに行くと中央都市に向かう高速道路が見える。そこの脇に作られてる歩道を歩いて行って、携帯の地図を見れば自分の位置がわかるはずだよ。中央都市まで行けば、割安なホテルが幾つもある、このカード使っていいから」
「……ありがとう」
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