第七章 抗えないオメガの運命と……

1/2
前へ
/21ページ
次へ

第七章 抗えないオメガの運命と……

 エムルは相変わらず甲斐甲斐しい、みんなにお茶を出してきた。  けれど今の俺はそんな悠長にしている気分ではなかった。 「エムル、どうして俺から逃げたんだ」 「すいません……。なんだか何もかも怖くなってしまったんです」  エムルはアンドロイドだから見た目は変わらないはずなのに、どこかやつれたような一回り小さくなったように見えるほどに縮こまっていた。   「わしもこんなところでいつまでも怯えていても、何も問題は解決しないだろうと言ったんじゃ……」  古藪がひげをいじりながらため息交じりに呟く。 「どういうことなんだ。頼む、俺はそれが知りたくてここまできたんだ。どんな現実でも受け入れるから、本当の事を教えてくれ、もうどこにも行かないでくれ」  俺の真剣な眼差しに、古藪先生もエムルに頷いて見せた。 「ワタシはずっとあなたさまを子供の頃から診させていただいていました。製薬会社へ処方箋を送り、送られてくる薬を毎回。それはあなたの健康を第一に考えるご両親の意思としてワタシは……。それなのに、そのお薬が実はあまりいいものではなかったと聞かされてワタシはショックでショックで……」 「抑制剤と俺の血をアルファに変える物だったんだろ? なんでそんなものをお前を通して俺に両親は飲ませ続けたんだ?」 「エムルから話を聞いた。お前さんが言うように薬は2種類、性欲を抑える抑制剤と血を丸ごと変えるもの。しかし、血を丸ごと変えることができても、それはあくまでも表向きのまやかしでしかなく、結局抑制剤と併用せねばならないのが、いかんせん情けないものじゃったがな」 「……」 「そんな中途半端なある意味倫理的に反したものを作らされて、わしは嫌になって製薬会社を離れたんじゃ……でも、私はそこから逃げてもなお、その薬を作り続ける運命にあった。強制的に作らされてきたんじゃ」 「えっ、それじゃ……」 「ええ、アヤトさん、この血を変える薬は古藪先生が開発したのです」 「何故……?」 「申し訳ない。その当時わしは借金をしておっての……。将来的にはお金に困ってる人間に医療を施すのが夢じゃったのに、自分がこんな風にお金に困るとは……で、そのお金を借りた人間に無理矢理今もなお作らされていた……」 「……」 「あまりにも性欲の強いオメガが生まれてしまったので、その子の将来のためにそれを抑えられる薬と、自分がオメガである自覚をなくさせて欲しいというものじゃった。少しでもオメガがいる環境やそれらを遮断させられるようにってな」 「それって……俺の親かなにかが頼んだのか?」  俺の言葉に古藪は首を振る。 「わしも正直なぜそこまでせねばならぬのかわからなかったんじゃが……ある大学の准教授に頼まれたんじゃ……」 「大学の准教授?」 「その頃はまだ准教授で恐らく今は教授になっていると聞いた。沼間教授と言う者じゃ」 「え……」  俺は全身がぞくりとした。  沼間教授は俺のオメガ隠しを知っていた? 「何故……沼間が……」 「それはお前が古来より伝わるつがいになるオメガだからだ……」  背中越しに聞き覚えのある声がし、俺は全身の毛が逆立つような気持ちになった。  そこにはスーツを着た沼間が立っていた。 「お前をオメガのままにしておくと危険だと察したからだ。ある意味この世に出ては秩序を乱すだけの化石的存在だからな、お前は」 「……そんな」 「わしも性欲を抑える薬を飲んでおるぞ。もう大人になったお前ならいくらでもわしの子を産んでいい。そう思ったからそろそろお前の本性も現実もわかった方がいいだろうと思ったんだ……」 「何が現実だよ、冗談じゃない、俺は嫌だ、認めない。お、俺がオメガってことはもう仕方ないにせよ、お前なんかに操られてたなんてこと!」 「お前と俺がつがいであることもか?」  その言葉で俺は怒りが体中から湧きあがる。 「それが一番許せねぇ! だ、誰がお前なんかと!」 「運命には逆らえない……。むしろ本来あるべきのところに戻るだけだ。お前が自分がオメガだと自覚できればあとは狂ったように俺の子を産み続ける人生が待っている」 「嫌だ、そんなの絶対に嫌だ!」 「古藪、エムル、もうこいつに薬を与える必要はない。今からわしの屋敷に連れて帰る……そうだなぁ……。性欲抑制薬だけはもらっておくか、いつまでもねだられてもこっちの身がもたんしなぁ……」  に、逃げなきゃ……。  そう思った瞬間俺の目の前をエムルが庇うように前に出た。 「だめです、アヤトさんが嫌がってます。辛そうな顔をしています。彼が幸せになれないのなら私はそれを賛成できません!」 「黙れ、人形風情が……」 「アヤトさん、逃げてください、ここはワタシが!」  俺はすぐに出口に向かった。護衛のアンドロイドがいるはずだ。  ところが俺が外に出ると奴は倒れて折れた腕から煙をあげていた。 「……!」  そこにはorder police corpsの湯田と久下が立っていた。 「アヤトちゃん久しぶりだな、このまま沼間教授のところに大人しくいかないと、逮捕しちゃうぞ」  そういいながらヘラヘラ笑った。 (こいつらやっぱりグルだったのか……!)  俺は彼らに腕を掴まれた。 「やめろ! 嫌だ……」 (もう駄目なのか、俺は沼間のいいなりになってしまうのか……た、助けてくれ……助けて……。琉……)  不意に目の前の男たちが悲鳴をあげた。  ふわっと上空から湯田たちを蹴りつぶした人影が舞う。 「琉……」 「アヤト、お前……!」  助けてくれたはずの琉が額の皺を深くして目を吊り上げていた。 「何勝手に一人で行動してるんだ! 一緒に解決するんじゃなかったのか!」  琉のいつにない剣幕に俺は思わず身を縮ませた。 「ごめっ……」  謝った瞬間に彼の力強い腕に息もつけないほど抱きしめられていた。 「死ぬほど心配したんだぞ、馬鹿野郎!」 「琉……」 「もう勝手にどこかに行かないでくれ……」  その力強さと1日しか離れてなかったはずなのに、懐かしい匂いに俺は思わず目頭が熱くなった。  上空に翼を広げていたサエカは俺たちに叫んだ。 「早く、二人とも、私につかまってください!」  俺たちは抱き合ったまま上空のサエカにさらわれる。  俺たちの様子を見たエムルが羽を広げついてきた。 「まて、お前ら、すぐに捕まえろ!」  沼間の叫びに久下がすぐに小型のエアバイクに飛び乗ると、俺たちを追いかけて来た。 「沼間……」  低い唸り声をあげたのは琉だった。  まるで獣のように沼間を鋭い視線で睨みつけて、眉間にしわを寄せている。俺を抱きしめている片手にも力が入り、俺は思わず顔をしかめた。  以前にもこんな風にまるで琉じゃない彼を見たことがあった。  俺はここ数日の琉のこうした不可思議な態度の意味がわからずにいた。彼はまるで他の人格に乗っ取られてしまったようになるのだ。これが抑制の効かないアルファ? 「琉、琉っ、痛いっ、どうしたんだ、お前……最近おかしいぞ」  琉の体がとても熱い。  琉は少しだけ我に返った様子で、俺に視線を移す。額には玉粒のように汗をかいていた。 「……すまないっ。自分でもわからないんだ。何故か時々意識が遠くなる」 「前にも似たようなことがあった。なにか具合でも悪いのか?」 「……いや……実は俺も、お前と同じに薬の効きがここ数か月、あまりよくないんだ。でも一人でいる時はこんな風にならない……。俺はお前といると……」  琉の話を遮るように光の弾が幾つも飛んでくる。  琉は俺の頭を庇うようにそれらを避ける。  order police corps達の小型のエアバイクから幾つもの光の筋が見え、サエカも俺たちを庇いながら器用に飛んだ。  その背後からエムルはorder police corpsから奪ったエアバイクに乗って近づいてくる。 「ワタシはもう二度とアヤトさんから逃げません。ごめんなさいアヤトさん」  エムルは必死に謝りながら手を伸ばしてきた。 「そんなことは後でいい、今は逃げることが先決だ」  このままサエカに支えられて飛んでいるのも心もとない。  琉に促されて、俺はエムルの手を取り、バイクに乗りこんだ。  俺たちは一旦離れて、琉だけを支えるだけで良くなったサエカはひらりを身を翻した。銀色の翼に光が差し込み、一瞬眩しいくらいに光った。  二人はそのまま他のorder police corpsの奴らの一台のエアバイクを襲撃すると、あっという間にバイクを乗っ取ってしまう。  バイクに乗っていた男は蹴り飛ばされ、もう一人のバイクの男の頭の上に落ち、必成に体制を整えていた。 「アヤトさん、大丈夫です。ワタシとサエカがいれば!」  エムルが微笑み、俺たちは先へ進もうとした矢先、ズドンと大きくバイクが揺れた。  エムルの背中から煙の煤けた臭いが上がって来る。 「エムル!」  エムルは一瞬体から火花を散らすと、バイクからずり落ちていく。 「エムルっ!」  俺は咄嗟に彼の体を掴もうとしたが、間に合わない。  運転手のいなくなったバイクは高度を下げ、落ちていく。俺はすぐにバイクのサドルシートに飛び乗り、グリップを掴んだ。とにかく態勢を整え、即座にエムルを追いかけようと方向転換を試みる。 「エムル!」  サエカのガーネットのような瞳が潤むと、琉たちを乗せたバイクが俺のバイクよりも早くエムルを追いかけて行った。  エムルはくるくると旋回しながら落ちて行く。    俺の前をorder police corpsたちのバイクが遮った。  背後を取られると、バイクに沼間が飛び乗って来る。 「悪い子ネコちゃんだね。捕まえた」 「放せ、馬鹿!」  サエカが追いかけているバイクの後ろで、俺の声に反応した琉が何か叫んでいる。 「琉!」  order police corpsたちのエアバイクが琉たちのエアバイクに向かって弾を幾つも放った。彼らを近づけさせないためだ。  エアバイク上で殴り合いを始めた琉たちがどんどん遠ざかって行く。 「琉!」  俺は力の限り叫んだ。  琉たちが戦っているエアバイクの群れから飛び出すように、古藪を乗せたorder police corpsのエアバイクが迫ってきていた。  古藪が先ほどから何度も琉の方を見て、何か言いたそうに一瞬身を乗り出したが、彼の背後には湯田の拳銃が付きつけられている。  そのうちにorder police corpsの飛空艇が近づいてきた。  周囲のエアバイクが否が応でも俺のバイクを収容口に押し込むように飛ぶ、収容されてすぐに何かで口を押えられると俺は意識を失った。 「う……」  目が覚めると床が沈んでいるようだった。そこはやけにふっかりとしている。  顔が半分うつぶせ状態で、体を動かそうと思ったが上手く動かせない。どうやら手を後ろ手に縛られているようだった。  上半身をなんとか起こすと、そこは広いベッドだった。  あれから一体どれくらいの時間が流れたのだろう……。はっきりと覚えていない。  俺自身の体がじわじわとさっきから熱い。 「薬を断ってからもう丸一日は経つ……ここが今日から君の部屋になるよ」  聞き覚えのある耳障りな声に俺ははっとして振り返ると、そこにはいつもは白衣かスーツを着ている沼間が、今はリラックスした部屋着で椅子にもたれくつろいでいた。 「冗談じゃない!」  俺はベッドから降りようとして、思わず床に転がってしまった。 「この部屋はお風呂もついてるし、ちょっとしたプライベートルームになっている。お前はここで何不自由なく、生活できるんだ。ベビーが生まれたら、この屋敷にはお手伝いさんも沢山いるから安心だよ」  不気味な笑顔を見せる沼間に俺は戦慄が走った。 「ふ、ふざけるな、お、俺をここで飼い殺しにでもするつもりか?!」  叫んだ俺にずしずしと近づいてきた沼間はスリッパを穿いたままの足で思い切り俺の背中を踏みつけた。 「ぐっ!」 「あまり生意気な口はきかない方がいいな、お前は俺に媚びなければ生きては行けなくなるのだからな。お前をここに閉じ込めておけば自然に薬の効き目が切れて本来のお前の本性が現れる……お前が俺に腰を振りながら喜びせがむ姿が楽しみだよ」 「嫌だ、家に帰らせてくれ」 「何を言ってる。ここがこれからはお前の家だ。お前の両親からもよろしく頼むと言われた」 「……! そ、そんな……」 「と言ってもお前の親はお前をずっとアルファであると言う風に世間に偽っていたわけだからな。order police corpsが目を光らせている限りは、火星に逃亡しているしかなくなったわけだ」 「うっ、ううっ……! するいぞ、お前はorder police corpsとグルな癖に……!」  俺は情けないことに目の前が滲んで悲しくなった。 「琉はどこだ? 琉に会わせてくれ……」 「ふん、あんな奴のことなど、もう忘れろ」 「嫌だ、琉に……琉に会いたい……。お願いだ……」 「ふん、あいつと関わったところで何もメリットがない。さっさと忘れろ。俺は優秀なアルファだ。地位も名誉もある。お前には不自由はさせないさ……わしに溺れたらいい」 「メリットとかデメリットとかそんなのもどうでもいい……琉に……」 「煩い! アルファの俺とオメガのお前がつがいなんだ。お前は俺だけを見てればいい!」 「琉……」  その名前を口にしただけで、俺は後から後から涙が溢れて止まらなかった。ずっと傍にいてくれた。いつでも俺を温かな目で見守ってくれた。でも今は……その琉が傍にいないことが嘘みたいに寂しくて、苦しくて……。  俺がこんなにおかしくなったのは薬を絶たれたからなのだろうか。   「ちっ……。あいつは長く生かしすぎてしまったか」 「……何を言ってるんだ?」 「わしの力があれば宝田琉などどうにでもできる。奴は特殊なアルファだ。だからこそ暴走させればいつでも逮捕させることもできる」 「……そんな……!」 「宝田が逮捕されればもう二度とお前に会うことも叶わないだろう」  俺が呆然としていると沼間はニタニタと不気味な笑みを浮かべる。 「これから先つがいとなるオメガを味わえるなんて、楽しみで仕方ない。この日を指折り数えておった」  沼間の手がふと肩に触れる。この状況が最大に不味いことは間違いない。  沼間は俺の腕を角ばった手で握りしめると体を引き寄せ抱きしめた。  顔を抑えつけてキスをしようとする。
/21ページ

最初のコメントを投稿しよう!

12人が本棚に入れています
本棚に追加