第一章 高貴な遺伝子

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 朝はこの学校では礼拝がある。  礼拝堂は質素な造りではあったがかえってそれがプロテスタントらしい信仰のありかたを表してもいた。  牧師が教壇に立ち、パイプオルガンの音色に合わせて讃美歌を歌った。  俺は特にキリスト教の信者ではないが、生徒たちの中には洗礼を受けて正式な信者になっているものも多い。  プロテスタントはカトリックよりも仰々しくはない。主に精神を重んじる。  俺たちが下の物に慈悲を持つことは悪い事ではない。上下関係は大事だが、俺だってこう見えても平和主義者だ。  校舎に戻ると先にカミーユ・イリが戻ってきていた。  彼は俺たちの存在に気づくと、ごつくガタイの大きな体には似合わない柔和な笑顔を向け、両手を広げこっちだこっちだと合図を送る。  もう俺たちの席は確保されていた。いつもの光景だ。  彼は赤毛の同級生で、琉と俺の幼馴染でもある。  最初に出会った六歳くらいのころ近所に引っ越してきた。  その頃には琉はもう近所に住んでいて、初めて知り合った時も琉から遊びに誘われたのがきっかけだった。琉は髪が長めで耳が隠れるショートボブの髪型で女の子みたいだったな。  カミーユは琉と同様背も低かったが、真っ黒に日焼けし、あちこちの野原を駈けずりまわるような野生児だった。  子どもの時の俺は一番背が高くて、彼らの中ではリーダー的な存在で、よく三人でつるんでいた。  俺があれこれ命令するたびに彼らの頭をぐりぐりと上から撫でたものだ。  それがロースクールに入った頃から次第に様子がかわってきて、俺はみるみる背丈だけでなく、色々なことに彼らと差をつけられてきつつある。  だが、俺はまだ彼らに負ける気はしない。  面白くない事に俺が恋人が欲しいと思っている時に、やつらはやたらにモテていたことだ。  特に琉のモテかたが凄い。背が伸びてから琉は髪を短くした。次第に男らしくなってガタイも良くなって行った。  俺だってモテていないわけではないけれど、お前と恋愛してどうするんだよ、と思うような俺を抱きたがるアルファな奴ばかりからアプローチされるので、そんなやつらは一斉になぎ払ってやった。  俺がぶちぶち文句を言うのをいつも琉は少し困ったような視線で見ている。それが俺には余裕ぶっているみたいで面白くない。  最近は妙に声も穏やかで甘い低音ボイスに変わり、それが妙に聞き心地がいいから更に困ってはいた。  奴が音読でもしたら俺は一分で寝る自信がある。 けれどそんな俺たちの関係は子供の頃に比べると微妙に変わってきている。  それはほんの些細なことからで、まさにノースエリアに行ったときの事ではあった。  琉とはアルファ、ベータ、オメガの関係を話し合うと、どうしても折り合わない。意見が合わなくて、どちらも折れないからいつも俺は少し疲れてしまう。  何もすべて意見が違うわけではない。この世界がアルファ中心で回っているといっても過言ではないことは琉も認めている。  けれどそれがすべてではないと彼は言うのだ。 「カミーユ彼氏できたんだって?」  授業が終わってから何人かの生徒が興味を示したように彼の周りに集まってきた。 「どこで捕まえたんだよ」 「……いやぁ……」  カミーユはまぁまぁとばかり遠慮がちにでも少し嬉しそうな表情を見せる。 「俺、お前とその彼氏がノースエリアでデートしてたのを見たぜ」  彼の一言で辺りがざわめく。  けれど、それは如何にも普通にどこでもありそうな羨ましげな空気にも感じ、俺の心がトゲトゲしくなってくる。俺がもっとも苦手とする空気だ。 「相手はもしかしてオメガ種なのか?」  別のクラスでの友達らしく彼の問いかけにカミーユはうなずいた。  やっぱりだ。  俺にはとても理解できない。相手がどんな人間でもいいとしている学校の仲間に、時々ついて行けなくなるときがある。 「相手がオメガとか、そんなんどうでもいいじゃないか、カミーユ。良かったな」  クラスの中でもベータ同士でつるみ、そのリーダー的存在の織崎克己が嬉しそうにカミーユの肩に手を乗せた。  今思うとこの織崎って奴が以前俺がノースエリア中央都市大学の付属高校に行ったときに合った黒髪ザンギリ頭の男の弟だったのだ。  彼は後から編入してきた。  恐らく俺の話は兄から聞いていたのだろう、彼の俺との相性は出会った時からあまり良くはなかった。 「俺には全くあり得ないことだけどな、まぁ相手がベータならまだ普通の人間だからいいが、カミーユはどうかしてるぜ」  俺の言葉に織崎が視線を向け睨んだ。 「何がだよ、むしろお前のオメガを人間扱いしてない態度に俺は引くけどな」 「何言ってるんだよ、お前だって自分がベータでまだ良かったと思ってるだろ? だからこちらの学校にも編入できたんだ」 「なんだと!」 「まぁ、まぁ、アヤト、お前も少し言い過ぎだ」   俺は間に割って入って来る琉の言葉を無視すると、次の教室に行くために立ち上がり、足早に廊下に出た。  すぐに琉が俺の後をついてくる。 「いいのか、カミーユの話を聞かなくて、お前だって興味がないわけじゃないんだろ?」 「いや、俺は別に……」 「ふぅん、お前もオメガに興味がある人間だと思ってたよ。最近やけに肩を持つようになってきてるしな。ま、俺には関係ないけど」 「……別にオメガがどうかとかいうことじゃない。それに織崎だって、お前が思ってるようなことは考えてなかったはずだ。俺と同様カミーユに好きな人ができたことに友達として素直に喜んでいるだけだ」 「オメガ相手にか? 俺には理解できないな。互いに想い合ってっていうのもどこまで本当なんだか」 「本当も何も相手はいい奴だったよ」   思わず俺は足を止めてしまった。 「お前会ったことあるのか?」   琉はカミーユとの相手をもうすでに紹介されて、いまさら何も聞くことがなかったから黙っていたのか。 「ああ、ノースエリアの中央都市大学の付属高校で知り合った。物腰の柔らかで気さくでいい奴だったよ」 「中央都市大付属ね……お前やカミーユの価値観だからあれこれ言うつもりはないし、好きにすればいいと思う。でも俺は相手がオメガなんて絶対に嫌だね」 「何故……?」 「だってそうだろ? オメガのやつらの発情期の罠にかかった可能性もあるじゃないか。そんなの本当に精神的な結びつきかどうかなんてわからないだろ? 悪いけど俺はそういうのは好きじゃない。動物的すぎてさ、俺にはなんだか下品な感じがする」 「アヤト!」  少し俺をたしなめるように琉は少しだけ眉根を寄せて、何か俺に言いたそうな顔をした。そして俺の腕をぎゅっと握ってきた。 「痛ってえ! なんだよこの馬鹿力!」 「っ……。ごめん、強く握りすぎたか? 悪かった」  俺はぶっきらぼうに腕を払いのける。  こいつ時々凄い力出すことがある。自分の主張が強い時に時々あるんだが、以前にも俺と言い合いになって校舎の壁を壁を叩いた拍子に壊したことがある。  物腰が柔らかいだけに周囲をビビらすことがあるから、一体何なんだって俺は思う。体力つぎすぎなのか?  そして、あの時の事を嫌でも思い出す。だから俺は疲れてしまうのか。  あの瞬間を思い出すと自分でも思わず自己嫌悪になる。 「なんだよ、またお前は、俺に差別をするなというのか?」  睨み付ける俺の視線を琉は強くは返さない。 「腕は大丈夫か? ごめんな」 「ふん……痛くねぇよ」   ホントは少しだけ痺れてるなんて、カッコ悪くて言えない。 「アヤト、俺は……。性別や種族にこだわるのはもう古い考えだと思っている。それに……人の好き嫌いも種別なんで関係ない。だから……」  何かを言いかけた琉を俺はすぐに制した。 「だから……? だから前に俺にあんなことしたっていうのか?」 「……ごめん……」 「また謝るのか? もう過ぎたことだ。俺は忘れたよ、もう気にしないでいい。オメガもありえないけど、俺は同種のアルファはもっとありえないことだからな」  俺の放り投げたような言葉に琉は口を引き結ぶと、それ以上何も語らなかった。  今でも少しだけ頭を過ぎるけれど、あれはどう考えても琉の気の迷いだと今は思う。  皮肉なことに琉の弾力があり、妙に吸い付くような唇の感覚だけが時折過ぎっては俺の胸の奥がチリチリと痛む。  自分がもっと早くに強く拒絶していればよかったのに、俺は……。  別にアルファ同士で結ばれることもあるのかもしれない。  けれど俺はそれをどこかで拒絶している。  時折ある。男性しかいない社会だったり、女性しかいない社会で思春期によくある、ふとした気の迷い、魔が差すって奴だろう。  俺はもう琉を許している。奴もどうかしていただけだ。それにこれ以上ないほど琉は俺に謝ってきた。  それで俺たちの仲は元通りだ。  子供の頃はもっとおしゃべりだった気がする琉が、大人になって更に、あのことがあってから寡黙になったような気がした。  俺はいつものように過ごすことで、琉に変に意識はされたくないと思った。  ある意味ほぼアルファだけがいて、毎日寮と学校の往復の生活をしていれば、誰だってそんな不思議な気の迷いをするものだ。  気にしなければいい話だ。それよりも誰よりもお互いに理解のある大親友だ。その友情は変わることはない。  確かに俺には人種に対する偏見があるかもしれない。  でもそれは親の影響も強いのかもと思うことがある。   俺の両親はとかくオメガを嫌う傾向にあるからだ。 「あいつらは淫乱で不潔だ。相手の意思などどうでもよく腰を振ってくる」  そんな話を夜親がしているところを幾度か聞いてしまったからだろう。  一度父親がオメガの発情期に誘われそうになったこともあったらしい。   一度その毒牙にかかるとアルファはオメガにがんじがらめにされて、つがいになってしまう可能性すらあった。   当然それは無差別にすれば、法律的にも許された行為ではないから、オメガも性欲を抑える薬を飲まなくてはならない義務がある。  なにはともあれ、そういうことがあるために俺たちはオメガと居住地を分けて暮らしている。  俺たちの先祖が核戦争の後、地下で過ごした数世紀中に、俺らの種族ができたと言われている。  最初は人類が生き残る事が最優先だった。一番優秀とされた遺伝子をもつものは、厳選された作物や家畜のなかでも異常のないDNAを持つ物を生産し、食物として取り込んだ。  そのおかげか何世紀もの間に鉱山でいうダイヤモンドのような優れた遺伝子を持つものが特に集まるようになっていた。   それが後の俺たちアルファ種だ。   施設は地下百五十階にも及ぶ大施設となった。 最下層が一番放射線からの影響の少ないアルファ種、そしてその上がベータ種、そして地上に近い、一番逃げ遅れた人間は種の存続をかけた進化を必要とする環境下で生きていかざるを得なかったオメガ種。  オメガ種は特に人間が猿から類人猿、そして今の人類になったようにその遺伝子のみならず、生態系も順応するように変化して行く。  女性のみならず男性も生殖器が発達し、種の存続をかけ生き残るための進化を遂げたのだ。  俺たちアルファ種は地中に潜りすぎたのか、自らが繁殖する能力はどこかで退化してしまったようだ。   中間層のベータと交わる事で繁殖を続けていた。   ベータは特に優れているというわけではない人間が集まったが、かつての人間の生活ととても似た生態であり、日常を営んでいた。   地上が少しづつではあるが、本来の姿形に戻るまで、すっかり人間も進化をしていた。  オメガ種が少しづつ本来の姿に戻りつつある地上に上がり、それに倣う様にベータ、そしてアルファも地上に戻って行った。 しかしアルファは当然、綺麗な空気、水、などを好む。  長い間の地下での生活で培った技術の進化は地中に潜るよりもさらに優れていた。  地下での生活がかつての地上に近いものであったゆえに、汚れた地上に戻る時にある程度の整備が必要となった。  地上での秩序が落ち着くまで各地で内戦もあったが、流石に核戦争のむなしさを味わった人類は自然とそれぞれが合う環境で生きていくようになる。  そして地上に戻った俺たちは次第に種族もかつてほどの厳格なわけ目はなく、今のようなアルファ、ベータ、オメガが混ざるような社会になった。  それでもやはりエリアは大まかに別れていて、それぞれのパスポートがあり、渡航するのにも制限はあった。  すべての法律を定めたり、色々な仕組みを作るのはアルファ種である。  我々にはそれらを統率するだけの能力も力もあった。   繁殖を主とするオメガ種にも、それなりな能力を持つベータ種にも自然に尊敬の眼差しを向けられ、頼りにもされている。
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