第二章 講義

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第二章 講義

 翌日午前中の10時から二コマ、地球環境と過去の生態についての授業がある。  俺たちは築40年は建つ城に似た建物の中で日々勉強をしている。  建造物が過去の西洋の建物に準じているのは、ちょっとした遊び心でもあった。  すべてがつるりとした面白みのないドーム状の建築では、精神衛生上よくない。  かつて21世紀頃の地球を再現することで人工的なものだけではない自然を見ることが重要とされ、植林活動もされた。  そして、人の手で作られた芸術的な建築物が心を豊かにすると言われ、かつて建造された建物の復興も進んだ。  俺たちは大学では人の遺伝子に関する研究開発、新しい薬品を作るための研究や勉強をすることになっている。  今はそれの基礎を習っていた。  医学部ではさらに人体の遺伝に関する分類研究科の方が進んでいた。  病気の原因が国が認可している医療用アンドロイドの解析でわかれば、直接薬局へ処方箋を出してもいい。  とにかく検査キットや個人の担当医療アンドロイドがいれば、血液だけでどの部分の何が悪いのかが診断できてしまうのだ。  検査通知があれば薬を処方し、直接DNAに働きかけ体が正常に働くのを促す。    各自の専用医療アンドロイドは、毎日のように人々の健康管理データを保険所に送っているシステムになっている。向こうからの呼びかけなどや投薬についての説明も順次行われていた。  もちろん俺にも俺専用の医療アンドロイドがいる。 『おかえりなさいませ、アヤトさま』  寮に戻ると医療用兼、身の回りのお世話兼、護衛用ロボット、エムルが出迎えてくれた。  ヒューマンタイプのアンドロイドで、家事なども兼任する役目を担っていたが、主に俺の健康管理を担当してくれている。    実家の家族はもっと簡易的な医療ロボットだったが、両親は俺のために二足歩行のよりグレードの高いエムルを選んでくれた。  というのも俺は昔から血液に持病を持っているらしく、常に薬を服用しなくてはならなかったからだ。それ以外はいたって健康だ。むしろ元気すぎるほど元気だったから、時々怪我をしては両親に心配をかけていた。  大学の講義にも出てこないほど珍しい難病なのだそうだ。  それでもまだ効く薬があるので救われている。    エムルは国から認可されている医療ロボットだったので、直接薬局に薬をもらいに行くことができた。  それだけじゃない。怪我をしたり病気をしたりしても、俺に合う簡単な薬をすぐに調べ、持ってきてくれるので、彼のおかげで俺はいつも病気知らずではあった。  半年に一度、彼自身も技工士に正常に起動しているかも定期的に診てもらうが。    俺の難病は血液の病気だとはいうが、彼がいればいたって普通に健康体で生活できるという医者からのお墨付きももらっている。  だからやる事といえば、寝る前にいつもカラメル色をした甘い液体を飲んでいることくらいだ。   「まぁ、これはデザートみたいな味だからいいのだけど。流石に飽きてきたなー」  俺が苦笑するとエムルは『体の中に薬処方ボールを埋め込むよりはずっとよいはずです』と無表情で応えた。 『でも少し前はレモン味、その前はオレンジ味でしたから、そろそろ他の味覚に変えても良いですよ、今度はどんなお味になさいますか?』 「そうだな」  エムルの提案に俺はつい真剣になってしまった。  エムルは見てくれは赤毛で色白な美青年なのに残念ながら人間らしい表情の変化はあまりなく、こんなに美しいのだから少しは笑ってもいいのになと思うことがある。  けれどエムルは僕のプライベートでの警備もしてくれるし、ガードマンとしての能力もあるので、恐らくそれ以上のカスタマイズはやめたのだろう。  俺の医療費だけでも相当かかっているはずだ。  ふとルームで先ほどから流れている配信から臨時ニュースが入った。 _現在ノースエリアにて学生運動が盛んです。近頃はオメガ種の差別に対する是正を主張する学生たちが、連日サウスエリアにある国会議事堂の前で声高に主張を繰り返しています。運動の学生の中は三分の二がオメガ種の学生ですが、その他にもベータ種やアルファ種の学生も混じり、抗議をしています……最近、新しい犯罪として発覚された、隠れオ……_  いきなりエムルが目の前のテレビを消した。 「なんだよ、見てたのに」 『さ、もうそろそろ夕食の時間です、アヤトさま。鴨が焼きあがったらすぐに召し上がれますよ』 「アヤト、授業に遅れるぞ」  翌朝、玄関先に来た琉に促されて、俺はすこしだけだるい体を無理矢理にでも起こし、準備をはじめた。  やはり気温の上昇なのか今日も熱い。建物全体の空調がおかしいのかとも思ったが、琉は涼しげな顔で立っていた。  琉は長身で足も長いゆえに歩幅も広い。  いつから俺のなにもかもを抜かしていったのか。  子どもの頃はむしろ俺が琉をひっぱりまわしていた。琉は泣き虫だったし、いつも俺らにからんでくる奴らを矢面に立って琉を護っていた。  ケンカだって俺は誰よりも強かった。  アルファであることを誇りに思っていたから、決して負けることはなかった。相手が同じ種族でもだ。  寮の玄関先で琉がポストを素通りする。  俺は自分のポストを確認すると中に入っている数通の手紙を確認した。電子以外の紙のものも暮らしの中に入っている。  恐らく原始的な生活は贅沢なものの1つなのだろう。手紙を書く文化はアルファにのみ残っていた。  またか……。  俺は心の中でため息を漏らした。  琉のポストはいつものように何かしらの手紙がはみ出すように入っていて、もはや彼もそれを空けることをしない。  彼の個人用の医療兼、身の回りの世話をするアンドロイドに後で回収させるのだろう。  俺にくる手紙は常連に近いやつらからのものが多かったが、たまに別のクラスの知り合いでもない人間からのものも増えて来た。最近は特に酷い。  同じアルファの人間から言い寄られることがとても多くなった。  俺が少しウンザリした様子でポストに手を伸ばそうとすると、それを琉が遮った。 「お前のもそろそろ俺のアンドロイド、サエカに回収させよう」 「ああ、もうポストという制度を俺たちだけでもなしにしたいものだな」  確かに同性同士、アルファ同士で同性愛者がいないこともなかったが、そんなのは俺の趣味じゃないし、むしろ俺は誰かを抱きたいと思っても抱かれたいと思った事はない。 「本当に……冗談じゃない」  思わず拒絶感が口をついて出てくる。 「俺はベータの彼氏か彼女がいい。お前もそう思うだろ?」  俺の問いかけに琉は苦笑いをする。 「お前、抜け駆けはよせよ。彼氏か彼女……あ、お前は彼氏が欲しいと言っていたな。できたら俺に紹介しろよ」  少し間をおいて琉は小さく「ああ……」と言った。 「俺もお前も抱く方が趣味だからな。カミーユには先越されたけれど、お前には負けるつもりはないからな」  昔よりも目線も肩の位置も高くなった琉がしゃくに触るが、それでも俺は強気に奴の肩をポンと叩いた。  琉は一瞬眉を下げたが、すぐにいつもの笑顔になり控えめに頷いた。  今日の授業は『生物の食物連鎖に絡んだ、安定したピラミッドの世界を構築するためにはどうあるべきか』という議論を交わすというものだった。    というのもここ最近は数百年前よりも生物の生態系も変化してしまっている。  地上に取り残された生き物たちはほぼ全滅したが、それでもその中で進化を遂げたものもいる。  それらは草食動物に食されるだけの存在だったのだが、DNAの変化または他の生物と合体することによって、巨大な食肉植物に変化したり、それだけならいざしれず、あるものは、大きな触手を伸ばし、あろうことかそれで動き回ることもできる。そして見境なく動物に襲い掛かるとも言われている。  動物同士、または動物と植物などがミックスされて、新種の生き物も増えた。それらの異常な強さに、もとからいた生き物が絶滅に瀕している。  それらはもうこちらが把握できないほどの数になっていて、人類に害を与える物以外は対処しきれなくなっている。  それらが見逃されているのは人間ほどの知性がないからだろう。  焼き払おうと思えばすぐにでも焼き払うこともできる。  俺は『強いものが弱いものを制し支配という統率力がむしろ世界を安定させることができる。そのためには人間が地上の生物を支配して、脅威をもたらすものは絶滅させることで世界の安定を図るしかない』という俺に対して、琉は『生まれたものは自然のままにしておくべきだ。それで種族が絶滅したのなら、仕方のない事だ。人間が地上にいる生き物や自然に手を出すことはしない方がいい』と主張する。    琉の意見は自己主張やアルファばかりの人間のいる教室では少し浮いている気がする。いい言い方をすれば博愛主義者なのだが、悪い意味で言えば何故アルファであることにもっと誇りが持てないのだろうか。  以前よりもカミーユの彼氏の話などでごく自然にオメガを彼女や彼氏にするものは増えてきた。  表向きは人種差別はなくなってきたかのように思うが、みんな本音は違うと思っている。  本来気位の高いアルファは位を重んじるものだが、琉は自然だけでなく、人間も本来みな平等であるべきで、それぞれの役割をもっていたとしても、個々が尊重されるべきだと論文にも載せていた。    俺は彼の意見はあくまで理想でしかないと思っている。  琉がそのように主張するのもわからないわけではない。  だが俺にはやはり綺麗ごとにしか聞こえない。  授業の最後に教授がプリントをみんなに配り、俺はそれをさりげなく見てぎょっとした。  次の授業で実際にオメガ種がこの教室に来てみんなで議論するというのだ。  俺は軽く眩暈がした。この神聖な教室に奴らが入るのかと思うとぞっとする。  しかし若干のざわめきはあったものの、俺がそう思ったようなことを口にするものはいなかった。  俺はそのことに少しだけ不満を感じたが、むしろそれよりもどうやってこの授業を欠席するかという事に頭が向いていた。  その日俺は朝ベッドから起きなかった。 「どうしたアヤト? 授業がはじまるぞ」  いつものように迎えにきた琉が、今朝もやけに甘い低音ボイスで俺を起こしにくる。  そろそろこの習慣も終わりにするべきかなと思うことがある。  この声はいつか彼が本当に好きな相手に向けるべきモーニングコールであると思うからだ。  俺は口頭では伝えず、枕元にある腕時計型の携帯でわざわざメッセージを送った。  今日はだるいから、授業は出ない、欠席届けをしておいてくれと。   「……本当に具合が悪いのか?」  ドアの向こうから無駄に艶やかな声が響いてくる。 「そうだよ」 『いいえ、アヤトさまは今日もすこぶる元気です』  エムルが余計な口を挟む。  一瞬、ドアの向こうの琉は押し黙ったようだ。 「アヤト、お前の気持もわからなくないが、そう頑なになっても何も変わらないぞ」  俺の感情を察したのかいつもなら俺のこうした行動を無言で容認する琉だったが、今日は何故かいつもと風向きが違っていた。   「今日出席するオメガたちはちゃんと抑制剤を打ってきている。おかしな行動はしないはずだ。なぁ、彼らを一度でもいい。普通の人間として議論する機会を与えてやって欲しい。それにアヤト、お前の考え方は……」  そういいかけて口をつむぐ。  はぁ……わかったよ  拒絶する俺がなんだか子どもじみてる気がしてくる。  今時オメガ差別とは古臭いとでも言いだしそうだ。   「それにこの授業の単位を取らないと卒業に関わってくるぞ」  琉の一言で俺は思わず飛び起きた。 「……な、なんでだ?! そんな話聞いていないぞ」 「沼間教授が言ってなかったか?」  沼間教授……俺がもっとも苦手とする教授だ。あの脂ぎった髪の毛と無駄に肥えた丸い巨体が生理的にどうも受け付けない。  けれど、あれでも俺たちがこれから進む大学で結構な地位にいるらしいから困る。俺たちの高校はこの先進む大学の付属なので、高校の授業にも時折教えに来るのだ。私立だから大学との関係も深い。  俺は沼間のあの少しにやけた薄笑いの表情を思い出し、思わず鳥肌が立った。   「あいつが同じアルファだと思っただけで俺は吐き気がする」 「わからなくもないけどな」  とは言うものの卒業できないのは困るし、そのまま希望する学科へ進学できないのはもっと困る。  おれはしぶしぶベッド脇の引き出しから綺麗に折りたたんでおいた洋服を取り出し、準備をして外に出た。
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