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帰り支度を終えて教室から出たところで、腕時計から連絡が入った。
「おい、羅姫」
今一番見たくない奴の姿が浮き上がるホログラムに現れた。
相手は沼間教授だった。
「お前の親と連絡が取れたぞ。今火星の第一ドームTエリアにいるそうだ」
沼間は俺の背後にいる琉をちらっと見た。
「私の研究所に一人で来い、宝田、お前には関係のない話だ。羅姫のプライベートな話だからな」
「え」
俺はドキリとした。
「しかし……」
「宝田。空気を読め」
沼間は電話先で貧乏ゆすりでもしているのだろうか、明らかに苛立ち、琉を邪魔に感じているようだった。
琉はためらいがちに俺を見たが、彼が引かなければ、俺が親と連絡が取れないと察してくれて、俺にはついてこなかった。俺は渋々沼間教授の部屋に向かった。
俺は教授の部屋から通信を受け取ると、怒鳴りたい気持ちを抑えて一呼吸してから電話に出た。
「お父さんたち、一体どういうことなんだ?」
画面に出てきた父親たちがどこかうつむき加減でこちらに視線を合わせようとしない。
俺はその態度にここ数日自分が出くわしたあらゆる侮辱行為を思い出し、再び怒りで沸騰しそうになるのを理性で必死に抑える。
みっともなく暴れるなんて俺のプライドが許さない。
「正直に言ってくれ……」
「アヤト」
「何がなんだかわからないんだ。俺が今どんな立場にいるかわかってるのか」
「すまない。アヤト……。今、矢継ぎ早に伝えてもお前は混乱するかと」
「もう混乱しているよ、冗談じゃねぇよ……」
「アヤト」
「今ここで何がどうなっているのかはっきり伝えてくれ、じゃないと、俺、いや、俺がオメガだなんて嘘の情報が流れている。せ、せめて違うと言ってくれ」
ホログラムの中の俺の親、ミチルがいる。彼はアルファらしい体格のいい男で俺にとっては頼れる父親のはずだった。
けれど、もし今彼が俺の目の前にいたら思わずつかみかかっているところだ。
俺は冷静に冷静にと震える拳を握りしめていた。
俺の必死の訴えに少しだけ隣にいるであろうユキトへ視線を流す。彼は細身のベータの男だが、母体だったので、俺には母親のような存在だった。少しだけ頷くと父親はこちらを向いた。
「そこにエムルはいるか?」
「いない。奴は逃げた」
「……そうなのか。お前、体調は大丈夫なのか?」
「……少し調子が悪いくらいで……今は」
「すまない、アヤト。すぐにエムルの行方を捜して、薬を飲んでくれ。私たちはずっとお前に隠していたことがあった」
俺の心臓がドクンと跳ねた。
俺は背後にいる沼間をちらりと見てから両親に向かった。
「今ここには沼間教授がいる。彼はここにいていいのか?」
部外者に自分の大事なことは聞かせたくない。
けれど、不思議なことに両親は妙に落ち着いた様子だった。
「いいんだよ。沼間教授はきっとこれからお前の助けになってくれる……」
「えっ……」
俺はなんだか嫌な予感がした。関わり合いになりたくない奴が、助けになってくれるとはどういう意味なのか。
それに、今のいままで俺がオメガであることは周りの人間の嫌がらせに違いない、これは夢だ嘘だと、この沼間教授含めてどこか現実を受け入れられない自分がいた。けれど、ここで彼らに現実を突きつけられたら俺は……。
「アヤト、エムルがいつもお前に飲ませていた二種合わせた薬を飲まなくては……。それは……二つのことを抑制するためのものだ。一つは血液検査をした時にアルファと反応するためのもの、そしてもう一つはオメガ特有の発情期を抑えることだ……」
「なんだよ、それ、どういう意味だよ!」
「すまない……今回のことで、世間は私たちアルファとベータがオメガを産んだことに関しての偏見を恐れていると思っているかもしれない。けれど問題はそこじゃない」
鼓動がうるさい程音を立てている。目の前の景色がゆがんだ気がした。
「お前はね、オメガの中でも特に抑制剤が必要なんだ。オメガ2マイナスという珍しいタイプなのだそうだ。そして理性的なアルファとして生きることで、精神的にも肉体的にも成長する必要があったんだよ。今は理解できないかもしれない、けれど、こんな形で暴かれるようなものではなかった……でも、お前がオメガであってもアルファの沼間教授がこれからはお前の大事な人として私たちとお前を守ってくれるそうだ」
「……何を言ってるかわからない」
「沼間教授なら信頼してもいいと私たちは思ったんだ。なんと言っても遺伝子研究の第一人者だしね」
「ちょっと待ってくれよ」
「私たちの罪も上にきちんと説明してくれる上に、お前にもこの先悪いことがないようにしてくれるんだ。だから大丈夫だよ」
「羅姫、大丈夫だ。俺がこれからお前を大事に守ってやるからな」
不気味な微笑みをたたえ沼間が口元の皺を一層深くして微笑んだ。
俺はまるで現実味のない言葉に背筋がぞくりとし、親と沼間が俺の知らない間にとんでもないことを約束したことを悟った。
「アヤト、沼間教授はお前の婚約者になってくれるそうだ。彼ほど地位も名誉もある人間となら、お前は何不自由なく暮らせる」
「そうだよ、アヤト、しかも沼間教授はアルファの中でもお前と相性のいいアルファ+だ。お前の発情期にも応えてくれて、つがいに十分なれる存在だ」
「ま、待ってくれよ。意味がわかんねぇよ……そ、それにつがいってなんなんだ?」
「一度つがいとして結ばれれば、沼間教授はお前を一生守っていかなくてはならない」
一体こいつらは何を言っているんだ?
流石にこんなの洒落にならない……。なんなんだよ、それ……。
「羅姫、いや、アヤトくん。お前の親は今火星での永住権を取得中だ。問題ない、私と結婚して番になった後に、また落ち着いたら火星に遊びにいけばいい……まさか、こんな近くにお前みたいな愛しい存在を見つけることができたなんてな……」
俺は一歩近づく沼間に後ずさりした。
目の前が滲んでいく……。俺が望んでいた運命の男がこの目の前にいる、ぶくぶくと太ったいやらしい男だなんて、そんなの自分がオメガであること以上に信じられない……。
「嫌だ……。」
「アヤトくん……」
沼間の妙に汗ばんだ手が俺に触れてきた。まるで体が雷に打たれたようなめまいを感じ、一気に血が逆流してくるような衝撃を受けた。
「ひっ!」
俺は手に付けていた腕時計を外すと床に投げつけた。
「こいつに永遠にお世話になるなんて絶対に、い、嫌だ……!」
「アヤト!」
俺の両親からの一斉の叱咤に俺は沼間の部屋から飛び出す。
「つがいなんて冗談じゃない!」
叫びながら出て来た瞬間、廊下で佇んでいた琉が不意にこちらを見た。
けれど俺は彼を無視し、そのまま階段を下りると全速力で走った。
とにかく走っていないと辛い、まるで大地がひっくり返ったようだ。
沼間は確かに遺伝子研究の権威で優秀な大学の教授だ。当然地位も財力もあるだろう。社会的地位も高いのだろう。
でもそれと人となりとは全く違う。まるで俺の理想とする人物とは違うんだ。
これが夢なら冷めて欲しい……。なんなんだ。オメガであるだけでも死にそうなのに、何故、両親と沼間が……両親は何を考えているんだ、こんなの……絶対嫌だ。気が狂いそうだ。
体育館の裏に差し掛かったところで何かに躓き、俺は転んだ。
思わずコンクリートに腕を思い切りこすり、ジン……とくる痛みで顔をしかめた。
「……うぅっ……」
もう耐えられない……!
「あれ、どなたかと思えば先ほどのアヤトちゃんじゃないですか?」
どうやら俺を転ばせた声の主らしい。顔を上げると美術の時間にからかわれた織崎たちだった。
顔を上げるとわざとらしく足を延ばしたままこちらに下卑た笑顔で見下ろしている。
誰がちゃんだ。どいつもこいつも気色の悪い。
「お前さ……前から気に入らなかったんだよな。俺は気位の高いアルファですって顔していつもすましやがってよ」
織崎の手が俺に伸びるとシャツをつかもうとする。
今まで俺に対して下手に出ていた奴らのこれが本性なのか……。
俺は咄嗟にその手を払いのけた。
「止めろ、シャツが乱れる」
「何がシャツが乱れるだよ。そんな高貴な身分でもないくせにな」
「オ メ ガ の羅姫アヤトくん」
心の芯がジュッと焼け焦げたような気がした。
俺は彼らを無視してそのまま校舎に入ろうとしたが、彼らはなおも食い下がる。
「おいおい、無視かよ、なぁ、前に俺らの事散々罵ってたよなぁ? あ。ちょっと顔かせよ?」
……こいつら。
俺はふつふつと怒りに火が付きそうになりながら堪えた。
誰がてめぇらみたいなベータなんかと肩を並べるか!
「あ~あ。お前は隠れオメガだったんだよなぁ。可哀想になぁ……。自尊心強くてアルファであることを鼻にかけてたからなぁ。まだ自分がアルファだと勘違いしている? ショックでまだ自分がオメガであることが自覚できない? だからまだそうやってアルファのバッジを未練たらたらで肩につけたりしてるの?」
せせら笑う声が聞こえて、再び来る眩暈と現実に再び吐き気を感じる。織崎たちが笑った。この俺に対してだ。
「ねぇねぇいつ発情期はやってくるんだ? 腰を振って俺たちを誘って見せろよ?」
俺は歯を噛み締めた。
この上ないくらい不愉快さで、怒りで頭の中が整理できない。
この場でこいつらを叩きのめしたい。
俺が睨めつける。
「やめとけよ羅姫」
「こんなところで乱闘したところで、お前は押さえつけられるだけだ。何もいいことなどない」
「なんで俺が押さえつけられなきゃいけないんだ!」
「とにかく今は静かにしていろ」
「お前、散々俺たちを馬鹿にしてただろ?」
織崎が前に出てきた。
「今その俺たちよりもお前は身分が低くなったんだ。それに対してどんな気分だ?」
俺は思わず織崎の顔を睨みつけた。
「おおこわ、こいつ睨みつけたぜ? こいつよりも上の俺たちを下級の奴が見下ろしてきたぜ?」
「『シャツが乱れる!』ねぇ……。お前みたいな奴はな」
そういうと織崎は両手で俺のシャツをつかみ、乱暴に引きずろうとした。
「やめろ、よせっ!」
「こいつ少し思い知らせてやった方がいいんじゃねぇの?」
「もし俺らがお手付きしたところで、後でこいつが発情して俺らを誘ったということにすればいいわけだしな」
「それはいいねぇ……まぁ俺らがどうこうしたところで厳重注意くらいにしかからないだろう」
「なっ……!」
その時俺は自分が一人でこんな場所に来てしまったことを後悔した。
全く今までそういうことに気を掛けることもなく、つい最近まで自分がアルファであることにまるで疑うこともなかった俺だ。
オメガの連中が注意していることに対して無関心だったこともある。
だがもう時すでに遅しだ。
「やめっ!」
叫ぼうとした俺の口を織崎らが咄嗟に塞ぎ、何かをかぶせた。振り上げた腕も数人に押さえつけられた。
そのまま俺は彼らに引きずられていく。息は出来るが、顔にかぶせられた物のせいで、声がくぐもって外に漏れ聞こえない。
辺りが少しヒンヤリしてきて、俺はそのままずるずると奴らに引きずられるように奥の部屋に連れていかれたようだ。
抵抗したが、相手が複数人でどうにもならない。
そのまま顔を覆われた布を取り除かれると、俺はマットが敷かれている場所へ放り投げられた。
どうやら体育館の裏にある用具入れ室のようだった。
白いシャツも埃で汚れてしまった。俺はそれだけで怒りなのか悲しみなのかわからない感情に支配された。
「お前、態度は最悪だったけど、見てくれは結構人気あったんだぜ? 肌は白いし、体は細身だ。涼し気な視線が気持ちを高揚させたからな。アルファでなければと常に話題にされてたぜ? いつも熱いラブレターが靴箱からはみ出てたしな」
「すっごい情熱的な官能小説みたいなのもあったよなぁ、まぁそういう風に人気があるのも、お前の正体がオメガだったということで納得がいったわけだ。実はこっそり発情して周りにフェロモン振りまいてたんじゃねぇの?」
織崎はニヤニヤと笑いながら俺の体を舐めるように見つめている。
なんだこいつら……俺に来ていた手紙を勝手に盗み見たのか?
ただならぬ空気に俺は今まで感じたことのない恐怖を感じた。
しかもこれから何をされるのかわからないのに、さっきから体が熱くて動けない。
未知の感覚と恐怖に抑えたくても体が震えてくる。
「あれ? どうしたの子猫みたいに震えちゃって」
織崎の仲間うちの一人が声を上げた。
「おいおいおい、発情期はじまっちゃったんじゃねぇの?」
一人が俺を羽交い絞めにしてくる。
「や……めろ……」
後ろから抑え込まれて、改めて俺は自分の体の変化に気づいた。
「おいおい、本当に始まったみたいだな」
目の前の男が嬉しそうな顔で俺のスラックスを指さすと、俺の下半身がおかしなことになっている。
う、そだろ……まさか……さっきの沼間とのことで、俺の体が変になったのか……。
一瞬嫌な想いが過った。
詳しくはなかったが、ほんとに稀にオメガの中にも特殊な人間がいて、それはアルファの特殊な人間と非常に強く反応しあい、番になるという。一度その二人が体の関係になると、もう二度と他の人間が目に入らなくなり、オメガはひたすら生殖活動に限界まで勤しむという。
俺が憧れていた赤い糸の伝説が音を立てて崩れていく……。
あそこに沼間がいたということはオメガの俺が番となるアルファに反応したのか?!
嘘だ……そんなこと嘘だ!
なにかもが歪んで、狂って、俺自身もおかしくなりそうだ。
「嫌だ、止めろ、見るな、見るなぁぁあああ!」
後ろから腰に腕を回された。
「や、めろ!」
「まだそんな強気でいられるんだ……」
前から男に抱きすくめられ、俺は足をばたつかせたが、男が耳たぶにそっと唇を押し付け、軽く甘噛みされた。
さらに後ろの男が俺の首筋に軽く吸い付き背中がぞくりとした。
男の一人がシャツのボタンに手をかけ外そうとする。
「た、頼む……冗談はやめて……くれ……」
地面がぐにゃりと曲がり、これは悪い夢だと何度も首を振った。
男たちの手が体のあちこちをまさぐり、シャツの中に手を滑り込ませた。
「いやだ、誰か、助け……!」
そういいながらも男たちの手の動きに翻弄され、どこか意識がもうろうとしてくる。
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