第1話「理想郷到来←ニューゲーム開始」

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第1話「理想郷到来←ニューゲーム開始」

《イージス・ユートピアへようこそ!!》 ビギナープレイヤー ナギヤは、電子音声で読み上げられるその文言に興奮を抑えきれずにいた。 VRゲーム史上、最長の歴史を誇るMMORPG〝イージス・ユートピア〟は自分の目の前にあり、あと数秒でプレイすることができる。 その願望を長年待ち続けていたナギヤにとっては、そんな数秒間のロードでさえ楽しく思えた。 ブラックアウトしていた眼前が光に染まり、やがて光が晴れると、そこには現実と遜色ない中世ヨーロッパの街並みが広がっていた。まるで過去にタイムスリップしたかのような光景にナギヤは目を輝かせ、自分の腰にささっている銀色の剣の重みを実感する。 「これが、イージス・ユートピア──!」 噴水がある広間らしきフィールドにいるナギヤは、傍にあったガラスのように磨かれた石柱を鏡がわりにして自分の容姿を確認する。 黒髪のボブヘアーに銀色の鎧を身にまとっており、腰には安っぽいシンプルな造りのロングブレードが下げられていた。以前、ゲストプレイヤーとして見学に来た時とは違う正規プレイヤーらしい整った格好だ。 周囲にはいずれ同じような格好をしているイージス・ユートピアを始めたばかりの初心者と思わしきプレイヤーが複数いた。それでも仲間同士のパーティで集まっている初心者が多く、自分のように1人でいるビギナーはいない。 しかししばらく待っていると、明らかに初心者ではない一際目立った服装をしている2人組が近づいてきて、ナギヤに卑しく話しかけた。 「なあなあお嬢さん。俺たちが武器とか買ってあげるから、代わりに付き合ってくんない?」 2人のうち肥満体で茶髪の男がナギヤに目線を合わせて言った。 「バカ。こいつどう考えても男だろ」 そうやって静止させようとしたのはもう1人のやせ細った緑髪の男だった。アンバランスなこの2人組はいわゆる出会い厨だろう。前にネットで見たことがある。 「あのですね、ボクは……」 ナギヤが言いかけた寸前、肥満体の男がナギヤの腕を掴んで強引に引き入れようとした。 「とにかく!頼むよ、俺たちと一緒に──!」 遠慮なしに力を入れてきた手のせいで激しい痛みに襲われたナギヤは、反射的に手を振り払おうとするも筋力ステータスの違いのせいなのか、逆に引き寄せらてしまう。 諦めかけた瞬間、男の腕に第三者の手が介入し、一斉に手の主の顔を見た。 「よせ。こんな往来の真ん中で、ビギナーを虐めるんじゃない」 男は長身で銀色の髪をしていた。灰色のマントで全身を覆っているため服装は分からないが、腰に差している得物だけは確認できた。 「カタナ?」 銀色の柄をした刀だった。こんな西洋じみたゲームの世界に和の武器があるなんて思ってもみなかったし、そもそも世界観に合ってなさすぎる。 ナギヤが戸惑っていると、自分を勧誘してきた二人組は震え始め、周囲のプレイヤー達もざわつき始めた。 「あれって『サムライ』じゃない……?」 「知ってる。確か半年前に暴れ回った殺人プレイヤーだって……」 「でも引退したはずじゃ……」 そんな話がいくつか聞こえ、ナギヤはもう一度サムライの顔を見た。 顔の輪郭は整っていて、銀髪は首元に届くほど伸びていた。雰囲気は人を寄せつけない特異なオーラがあるも、それと同時にどこか頼り甲斐のある歴戦の戦士の風格も漂っていた。 しかしなんだろう。どこかで見た気がするような──。 「てめぇサムライ……!どうしてこんなとこに!」 肥満体の男が苦し紛れに言い放った。 「前言ったよな?今度ここでビギナーを勧誘したら手を出すって。忘れちまったか?」 「別にいいだろ!これは俺たちの商売だぜ!たとえ元クランメンバーでも、そんなこと言う権利はないはずだ!」 男の言った言葉を冷静に受け止め、サムライは考え抜いた末に答えを見いだした。 「それもそうだな。じゃあこうしよう。俺に一撃でも攻撃を与えられたらお前らの勝ちだ。そうすりゃ俺は何も言わん。ただし、お前らが負けたら今度こそやめてもらう」 サムライは自分のステータスを操作して最小になるまで防御力を削った。 「バフでもなんでも使ってくれ。俺はこいつ1本で戦う」 銀色の刀を見せつけたサムライに男は笑い、胸のポーチから紫色の液体で満たされた小瓶を取り出した。 「残念ながらウチには魔術使いはいねえ。だからこいつで補わせてもらうぜ!本来ならPvPじゃご法度のドーピングアイテムだが、今回ばかりはテメェの許可があるからなァ!」 メインウェポンである黒色の大型の斧を取り出した男は、補助アイテムで素早さに補正をかけ、その身体からは到底考えられないほどのスピードをだしてサムライに迫る。 しかし勝負は一瞬だった。攻撃対象であるサムライは風になったかのようにその場から消え、次の瞬間には男の背後にいた。 そしていつ斬ったのかもわからない傷が男の胸に作られており、アバターは灰色の砂になって消滅した。 「居合抜刀アビリティ……!」 痩せ型の男は人智を超えたその技を見てすくみ、腰を抜かして地面にしゃがみ込んだ。 「まったく。俺が気にかけてなかったら、お前らアカウント停止されて出禁になってたんだぞ?そしたら所属しているクラン『レイド・ストリーム』の顔に泥を塗ることになる。頼むから言うこと聞いてくれよ」 「だってよぉ……。お前が戻ってきたなんて知らなくて……」 「とにかくこれ以上は俺でも庇えねえからな。ダントがリスポーンしたらそう言っとけ」 サムライはそう警告してからナギヤの前へと歩き始め、肩に手を乗せて軽く呟いた。 「あまり他人を信用しないように。お気をつけを、初心者ニューピーさん」 それからナギヤはMOB相手に練習を繰り返した。 初期装備のメインウェポンは片手剣だったが、両手で持たないと振れないほど重かった。 徐々に慣れてはいくも、やはり仮想空間とはいえ剣であることに変わりはない。 ナギヤは5レベル上昇したところで一旦休憩し、椅子にちょうどいい岩を見つけて上に座った。 「今日はこんなとこかな」 ドロップアイテムを確認していたナギヤがふと顔を上げると、空間に黒い亀裂が入っているのが見えた。 興味本位で近づき、魅せられたように亀裂に触れたナギヤは亀裂の隙間に吸い込まれてしまった。 「え──?」 裂け目の先は異界だった。全ての色が反転している不気味な空間で、人どころか生物が活動しているかさえ怪しいほど気配に飢えており、唯一感じられるのはネットリと肌を撫でる空気だけである。 まだアバターとしてのナギヤが現界できている以上、ここはイージス・ユートピアの世界なんだと認識し、ナギヤは異界の地をゆっくりと踏み始めた。 「誰だ……?」 足音で気づかれたらしく、黒く染まった塔の上にいた仮面の男がナギヤを見つめていた。 つけている無地の仮面のせいで素顔はわからないが、声と体格から小柄な男の子であることは確認できた。 仮面の男は真下に手を掲げると、床や建物の隙間から溢れ出てきた黒い粘液が1箇所に集まり始め、やがて人の形を成した漆黒の生命体へと姿を変えた。 「この世界を見られた以上、生かしておくわけにはいかない」 生命体は片手を鋭利な刃物に変えて走り出した。迫り来る生命体を前に逃げることしか選択肢のないナギヤは、振り返って家屋の中へと入り、やり過ごすために身を隠した。 戦うという道を選ぶこともできるが、明らかにレベルが足りない。相手は今日初めてログインした初心者がどう頑張っても勝てそうにないほど強靭な見た目をしており、こんな剣1本で太刀打ちできるとは到底思えなかった。 「──?」 何かが足に当たった。 柔らかく弾力があるものだったが、暗闇でよく見えない。 若干暖かさは残っているものの消えかかっており、まるで冷えたゼリーのような感触だった。 ちょうど天井の隙間から光が差し込み、それを利用してナギヤはモノの正体を見た。 「うああッ!!」 モノは死体だった。 それも今朝、広間にて自分を言葉巧みに誘ってきた肥満体の男で、その横に相方である痩せ型の男も無惨に放置されていた。 あの生命体の刃で裂かれたらしい傷跡が背中に大きく残っており、それのおかげで一撃で絶命させられたのだと確信できた。 しかしおかしい。このイージス・ユートピアでHPが0になれば消滅し、アバターの遺体など残らないはずだ。 これではまるで本当に死に絶え、この世界から生きることを拒絶されたようではないか。 ナギヤが考察していると背に気配を感じ、咄嗟に振り返るも、その瞬間に腹部を刺された。 顔がなく滑らかな頭部をしている生命体だが、ナギヤから刃を抜いて生かして弄んでいる様は楽しんで笑っているように見えた。 そんな絶望的な状況だが、ナギヤの心には安心感があった。 これはゲームだ。リアルで現実のように思えても結局はただのゲーム。 ここでもし死んでもまたログインすれば何事もなかったかのように蘇ることができると。 しかし、目の前を覆う黒い影がその安心感をかき消していき、死の恐怖が精神を侵食していく。 そうだ。たとえここで終わっても、目を開ければまた最初に降り立った広間にリスポーンできる。 そうなんだ。そうだと願いたいのに──。 なぜ自分はこんなにも怯えて、涙を流しているんだろう。 「頭下げてろ!」 その言葉と共にナギヤを屠るための一撃が弾かれた。 剣と剣がぶつかり合う衝撃音が脳を揺らし、うつ伏せで倒れているナギヤの前に銀髪で刀を手にしている男が立ち塞がった。 「誰かと思ったら君か。まさか、こんなところで再開するとは予想外だったよ。だが安心してくれ。初見だが、この場は何とかしよう」 男の正体はサムライだった。 グレーのローブを靡かせているそのサムライはそのローブを脱ぎ捨て、着物と袴という和装を露にした。サムライは人型の生命体が繰り出す連撃を刀を用いていとも簡単に弾き、生命体を後退させる。 「刀剣型の『ノイズ』か……」 不気味で黒い生命体のことをサムライはノイズと呼称し、今まで防戦一方だったサムライが初めて一歩を踏み出した。 同時に頭上からの一撃がサムライに放たれるも、それを待っていたかのように刀身で弾いて刃ごと体勢を崩した。さらけ出された腹部に下段から刀を切りつけ、右肩口まで勢いよく切り上げた。 まだ意識のあるノイズにトドメを言わんばかりに刀を裏返し、左肩口から入刀させて袈裟懸けに切り下ろしてみせた。 綺麗なX字が胴体に出来上がり、致命傷を受けたノイズは黒い炎を纏いながら塵となって消滅した。 「どうぞ、使ってくれ」 鞘に刀を納刀させながらローブの内側から、黄金色の液体が封入された小瓶を取り出してナギヤに渡した。 「ポーションの飲み方わかるか?そのコルクを引っ張って全部飲み干すだけだ。比較的ライト層向けの味を選択したから、慣れてない初心者でも飲めると思うよ」 ナギヤは恐る恐るコルクを引き抜き、謎に満ちた液体を喉に流し込んだ。 味は悪くない。 ヨーグルトに似た食感で、オレンジの甘さが際立つ飲みやすいものだった。レッドゾーンまで突入していた自身のHPが満タンに回復するところを見届けたサムライは、手の平を地面に突き出して白色の光を収束し始めた。 辺りが閃光で包まれるくらい膨大化していった光に思わずナギヤは目を瞑り、再び目を開けると自分が先程まで練習していた森のフィールドまで転移していた。 「単なる初期魔法さ。範囲内にいるプレイヤーを、最後のセーブポイントまで戻す効果がある。ただし非戦闘時に限るけどな」 サムライはナギヤのHPバーを確認し、状態異常の有無がないかどうかを見た。HPが最大値まで補給されている以外は特になにもないのを確認したサムライは、振り返って歩き始めた。 「あまり今はこのゲームに干渉しない方がいい。もしプレイするとしても、あの黒い裂け目にだけは近づかないようにしてくれ。それと、今日見たことものは他言無用に。お願いしますよ、ナギヤさん」 そう言い残し、サムライは遠方の彼方へと消えていった。 ナギヤも忘れぬ内にサムライの真名を探るべく頭上を見ると、〝ブレイク〟と明記されたプレイヤーネームが浮かんでいた。
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