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今回の旅で回る、小倉・門司・下関。
開門海峡を挟んだこの土地は、昔から陸海の交通の要所として栄えた街である。
近世以前において、もっとも早く、もっとも多くの荷物や人を運搬できる方法といえば、海路だ。
今でこそ、陸路も空路も発達しているから、現代人にとって海路は特別重要という感覚もないだろう。
しかし、当時の人たちにとっては、海路こそ重要。
港近くの街や、そこに築かれた城は優先度マックスの重要拠点であったし、戦になれば守るべき場所であり、攻めとるべき場所であったのだ。
だからきっと、大事に守られてきたのだろう。
だからきっと、昔の史跡と今の暮らしが隣り合わせになっているのだろう。
これは、街が現在に至るまで、破壊もされず衰退もせず、ずっと守られてきた証拠となる。
逆に、近年開発された街には、当然だが史跡も昔の名残もない。
そんなことにも注目しながら歩くと、その街がどんな場所で、どんな歴史を持って、どんな存在意義を持ってきたのか、わかるかもしれない。あるいは、少しだけ街歩きが楽しくなるかもしれない。
さて。せっかくなので、城の中に入る。
かなり整備されていた。
「あれ? なんか変わってるかも」
M子さんの記憶の中の城とは、少し変わっているらしい。
一方の私は、初めましての情報をじーっとにらむ。
正直、九州地方の歴史はかなり弱い。
どうしても、関東やその近辺の方がなじみがある。そもそも歴史全般の知識が浅いから、触れてこなかった分野の浅さと言ったら、パチャパチャである。
戦国末期、最初に築城したのは、毛利氏。
うんうん、これはわかる。中国地方の有力大名だ。
その後、本格的に城を完成させたのは、細川氏。
正直、忠興よりガラシャの方が知ってるけど。
歩を進めると、ひょっこり『小笠原』という名前が出てきた。
ん? この名前、どこかで聞いたことあるなあ。
諸島でもない、元プロ野球選手でもない。
答えは、さらに先に行くとわかった。
思い出した、宮本武蔵関連だ。
いつか読んだ武蔵の漫画で、小笠原氏の記述があった。
武蔵が滞在したとか、弟子の伊織が仕えたとか、なんかそんな感じだったと思う。
1番大事なところ、忘れてんじゃん。
そうだ、巌流島も下関だものね。
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