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私は最初、そもそも中州に建てる前に、水害のリスクを考えなかったのだろうかと、思っていた。
ところが後で調べてみると、どうも熊野川の氾濫は、明治以降の急な森林伐採が原因だったらしい。
上流で木が一気に刈られたことで、濁流が発生してしまったのだと。
確かに、明治の氾濫以前に、水害にあったという話は聞かなかった。だとすると、中州に鎮座してから1000年以上、あそこまでの規模の水害は起こらなかったということだ。
人間の手で自然が破壊され、神々が追いやられてしまうとは、なんだかもののけ姫を連想させる。
しかしまさか、熊野大社が被害にあうとは人々も思わなかっただろう。1000年以上も自分たちで守ってきたものを、結果的に自分たちで壊してしまうとは、悲しい話である。
当時の人たちは、相当ショックだったろうな。
今では、熊野川も穏やかに流れ、大斎原も静かに佇んで、災害の痕を感じさせない。
同時に、かつての美しい様子も、もう見られないけど。
自然の中にいると、どうしてか時間がゆっくり流れている気がする。つい、足が止まる。ただ、その中にいるだけでいい。
とは言え、ここも有名な観光スポットだ。混みはしないけど、ポツリポツリ人はやってくる。
その中で、マヌケ面さらしてボーっと突っ立っているのも気が引けたので、とりあえず先を行くことにした。
鳥居の方には戻らず、そのまま真っすぐ進むと、森の小道に出る。右に行くと、国道に繋がり、左に行けば熊野川の土手に出られる。
ちょっとまだ、不完全燃焼だ。せっかくなら、川沿いを歩いてみよう。
↓大斎原から土手に向かうまでの景色。山の緑が濃淡で交互になっている不思議。
↓土手に上がり、大斎原を撮影。鳥居の左手の森が、本宮大社の跡地。
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