熊野の熊野による、熊野のための熊野詣~24.02.24~

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 なんとか猫から意識を引きはがし、先を歩いた。  土手に上がり、眼下に熊野川を見下ろす。  私が立っている位置から見て、右手が下流、左が上流。  地図を見てわかったのだが、この新宮、意外と海に近いのだ。  下流を見つめる。夕暮れかつ、曇天の下ではハッキリ見えないが、川の向こうに何もないことはわかる。ああ、河口はすぐそばだ。  上流を見やれば、立派な山々。つい数時間前は、あの山の向こう、もっと高いところにいたのかと思うと、不思議な感じがした。  せっかくだ、下に降りて少し歩こう。 ↓本日2度目の熊野川。手前は熊野大橋、奥(赤いアーチ)は新熊野大橋。dacbe985-c926-4862-a539-f26302d9d729 ↓こちらは下流側。先に見える橋は、紀州本線。2f210c85-3aa9-48c8-9745-372884e419b7  人気のない河原を、上流に向かって歩く。  小石がゴロゴロしていて、何とも歩きにくい。  橋の下を通った。熊野大橋と、新熊野大橋で、新の方は国道42号線。  私は、この橋を通っていない。本宮大社に行くときは、橋の手前で国道に出て、すぐに左に折れた。で、途中から熊野川と合流して山を登ったのだ。  だからきっと、この河原をずっと上がって行けば、本宮へ着くはずだ。もちろん、通れる道があるのかとか、そもそも歩けるのかという話はあるけれど。  でも、想像するのは自由だ。高い山を見て、あそこまで、もっと先までと思いを馳せるくらい、いいじゃないか。  ま、車で行きましたけどね。  だから、不思議なのだ。本当なら、何時間も何日もかけて行くような場所。圧倒されるような山を、たった1日で行って戻って来られる。  目で見た感覚と、移動にかかる時間と労力のズレ。  普段生活していると、そのことに全く気が付かない。つくづく、現代人の生活って奇妙で面白いことになっているなと思う。  それが悪いことだとは、全く思わないけど。 ↓新熊野大橋の下まで来た。……なるほど、そのラインは確かに氾濫危険水位だわ。c54d692c-bc45-4443-ba6b-addc3e785833 ↓再び上流を撮影。遠くに見える水門の先は支流。熊野川は、左に大きくカーブし、S字フックのように曲がった後、国道と並走する。  ここからは当然見えないが、ほぼ本宮大社の方を向いている。b1e74278-1ca8-4df6-b687-9ed8ae6b3d4f
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