那須塩原と、長楽寺と猫~24.04.29

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 塩原八幡宮を後にし、さらに先に進む。  また旧道に下りて、今度こそ妙雲寺に向かおうかと考えていた。  ふと、看板が目に入った。 『鍾乳洞 源三窟 この先200m』  そういえば、これもすいかさん情報に入っていた。  実は、駐車場から降りた時、反対側にこの源三窟を見つけていた。だが、入口までに続く階段を見て、やや怖気ついてしまったのだ。  今、この国道から行けば、上り階段を行く必要はないだろう。  道の途中にあるなら、ついでに寄ってみよう。時間もあるし、そのまま抜けて行けば、ちょうど駐車場に出られる。  源三窟は、ズバリ鍾乳洞である。  このあたりは、かつて沼であった。数十万年前の噴火で箒川がせき止められたためである。その後、地殻変動で湖底が隆起し、現在の石灰岩台地となる。  そんなわけで、降った雨水は徐々に地下に空洞を作る。これが、鍾乳洞。元は湖の底だった地層なので、貝や魚の化石が出てくるとか。  さらに、源三窟についてはもう1つ歴史が。  かの有名な、源平合戦の頃の話である。  壇ノ浦の戦いで勝利した源義経は、その後、朝廷に気に入られて褒美までもらう。だが兄貴の頼朝はそれが面白くない。というか、武士のオリジナル政権を作ろうとしているのに、朝廷と仲良くされてはまずい。  そんなわけで、義経一派は鎌倉から敵認定されて、追われることとなる。  さて、義経一派の中に、源有綱という武将がいた。歴史に詳しい方のために、源頼政の孫とも、付け足しておこう。  彼は手傷を負ったため、一行から離脱し、後に合流する予定でいた。山の中を彷徨い、ここ塩原へやってくる。  塩原の殿様は、有綱たちをかくまい、この鍾乳洞へ隠した。再起をはかろうと鍾乳洞で落人生活を送っていた一行だったが、米のとぎ汁が穴の外にもれ、それを頼朝軍に見つかって、最後は殺されてしまった、という話である。  うーん、何とも惜しい話だ。  ところで、有綱をかくまった塩原の殿様は、鎌倉幕府に咎められなかったのか。それがちと気になった私であった。
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