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今回会う友人を、ここでは仮にK子さんと呼ぼう。
彼女の連絡によれば、西口ロータリーに車を停め、横に立って待ってくれているとのこと。
エスカレーターを下り、駅の外に出る。オーソドックスなロータリーで、ドーナツ型をしていた。
私が立っているところが、ドーナツの外側で、ドーナツの穴が、駐車スペースと北条早雲像。ドーナツの上を、バスや自家用車やらがビュンビュン通っていく。
28→18で、このロータリーを出したことがあった。その時は、車の隙間を縫って登場人物たちに横断させたのだが、実際これは渡れないなと思う。
仕方ないので、ロータリー出入口近くの信号まで向かう。遠回りだが、無理に渡ってクラクション鳴らされるのも嫌だ。
歩けば、必然的にドーナツの穴にも近くなる。車、車……どれだろう?
ああ、あれだ。車の隣に立って、ずっと駅の方を見ている。
ん? 駅の方?
少しずつロータリーを進む私に対して、彼女の視線は動いていない。
あ、これ多分気づいてないな。
信号が危うい。私は走った。キャリーバッグが制御不能になる。
かなりバタバタしているはずなのに、K子さんはまだ駅の方を見ている。
息切れと引き換えに、信号に間に合った。マスクをしているから、余計に苦しい。
K子さんはまだ駅の方を見ている。熊野遅いなと思っているはずだ。
その背に声をかけた。
ああ、よかった会えたと盛り上がる2人。
これは誰でもそうなのだけど、普段あまり行かない場所や会わない場所で、待ち合わせて会えると、不思議な嬉しさがわいてくる。
いつも会っている場所や、見慣れた場所だとこうはならないのだ。
何だろう、相手の背景に対する違和感だろうか。それがくすぐったくて、フフと笑いたくなるのだ。
私(もしくは相手)がここにいる! ああとうとうこの日が来たんだな、という喜びもあるのかもしれない。
今回も例にもれず。傍から見たら、終始ニヤニヤおどおどしていたと思う。
そんな不審感丸出しは一切気にせず、K子さんは車に私を乗せてくれた。
車を走らせてすぐ、私の耳が音を拾った。
もしかして……。
「これ、もしかして私がスピッツ好きだから、流してくれてます?」
と聞いてみた。これで違ったら自意識過剰もいいところだ。
「あ、そうそう。Amazonで買ったんだけどね~」
聞けば、通勤時もこれを流すことが増えたと言う。
なんだかなあ……。
私がスピッツ好きだと覚えていてくれたこと、だからそれを流そうと用意してくれたこと、好きなバンドをK子さんも聴いてくれていたこと。
3方向から一気に喜びを食らった感覚だ。
三重苦、なんて言葉があるが、この時の私はいうなれば『三重幸』であった。間違っても、3人のシゲユキさんではない。
音楽に身をゆだねつつ、K子さんと会話をしつつ、ぼんやり思う。
このアルバム……多分、CYCLE HITだな。
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