小田原の友人に会いに行く&もちろん箱根も~1日目~→’22.06.17

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 今回会う友人を、ここでは仮にK子さんと呼ぼう。  彼女の連絡によれば、西口ロータリーに車を停め、横に立って待ってくれているとのこと。  エスカレーターを下り、駅の外に出る。オーソドックスなロータリーで、ドーナツ型をしていた。  私が立っているところが、ドーナツの外側で、ドーナツの穴が、駐車スペースと北条早雲像。ドーナツの上を、バスや自家用車やらがビュンビュン通っていく。  28→18で、このロータリーを出したことがあった。その時は、車の隙間を縫って登場人物たちに横断させたのだが、実際これは渡れないなと思う。  仕方ないので、ロータリー出入口近くの信号まで向かう。遠回りだが、無理に渡ってクラクション鳴らされるのも嫌だ。  歩けば、必然的にドーナツの穴にも近くなる。車、車……どれだろう?  ああ、あれだ。車の隣に立って、ずっと駅の方を見ている。  ん? 駅の方?  少しずつロータリーを進む私に対して、彼女の視線は動いていない。  あ、これ多分気づいてないな。  信号が危うい。私は走った。キャリーバッグが制御不能になる。  かなりバタバタしているはずなのに、K子さんはまだ駅の方を見ている。  息切れと引き換えに、信号に間に合った。マスクをしているから、余計に苦しい。  K子さんはまだ駅の方を見ている。熊野遅いなと思っているはずだ。  その背に声をかけた。  ああ、よかった会えたと盛り上がる2人。  これは誰でもそうなのだけど、普段あまり行かない場所や会わない場所で、待ち合わせて会えると、不思議な嬉しさがわいてくる。  いつも会っている場所や、見慣れた場所だとこうはならないのだ。  何だろう、相手の背景に対する違和感だろうか。それがくすぐったくて、フフと笑いたくなるのだ。  私(もしくは相手)がここにいる! ああとうとうこの日が来たんだな、という喜びもあるのかもしれない。  今回も例にもれず。傍から見たら、終始ニヤニヤおどおどしていたと思う。  そんな不審感丸出しは一切気にせず、K子さんは車に私を乗せてくれた。  車を走らせてすぐ、私の耳が音を拾った。  もしかして……。 「これ、もしかして私がスピッツ好きだから、流してくれてます?」 と聞いてみた。これで違ったら自意識過剰もいいところだ。 「あ、そうそう。Amazonで買ったんだけどね~」  聞けば、通勤時もこれを流すことが増えたと言う。  なんだかなあ……。  私がスピッツ好きだと覚えていてくれたこと、だからそれを流そうと用意してくれたこと、好きなバンドをK子さんも聴いてくれていたこと。  3方向から一気に喜びを食らった感覚だ。   三重苦、なんて言葉があるが、この時の私はいうなれば『三重幸』であった。間違っても、3人のシゲユキさんではない。  音楽に身をゆだねつつ、K子さんと会話をしつつ、ぼんやり思う。  このアルバム……多分、CYCLE HITだな。
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