21人が本棚に入れています
本棚に追加
ロマンスカーの特急券を買い、駅で待つ。
出発後、1時間も経たないうちに私は新百合ヶ丘に着く。そして、人混みの中電車に揺られれば、あっという間にいつもの家に戻るのだ。
遠い場所に来た時も、それはそれで色々想いを馳せるものだが、近いと近いで、また不思議な気分になる。
私にとって箱根や小田原は、観光地であり非日常を楽しむ、いつもと違う場所だ。しかし、実際の距離や所要時間は、かなり短い。
心の距離感と、実際の距離感に、大きなズレがある。
楽しかった時間が、あっという間に終わるような気がする寂しさ。すぐに日常に現実に戻される感じ。まるで心の時差ボケだ。
子供の頃も、寂しさはあった。助手席から眺める景色に少しずつ緑が減って、建物が増えて、視線が低くなる。快調に飛ばす高速を抜けて、混んだ下道で信号に引っかかれば、帰ってきてしまった、終わったんだな……としんみりしていたものだ。
それでも、あの頃は道も土地勘もなければ、父の運転する車にただ身を任せているだけでよかった。
今は、この時差ボケに私自身が向き合わないといけない。所要時間を計算し、必要があれば予約をする。私が動かねば、何も進まないから。
私も大人になったなあ。否応がなし、ではあるけど。
1人旅をすると、ついそんなことまで考えてしまう。いや、実は大事なことかもしれない。
何度も何度も旅をするうち、寂しさに上手くフタをできるようになった。
確かに、その時は寂しい。でも、また来ればいいと思う。美味しいお土産を食べる楽しみにワクワクできる。恋しくなったら、何度でも来ればいい。今の私にはそれができる。
子供の私にとって、旅は親に連れて行ってもらうもの。大人が動いてくれなければ、私は何もできない。また来れるという保証がない。もしかしたら、最後かもしれない。
だから、余計に寂しかったのだ。
最初のコメントを投稿しよう!