記憶を無くした幽霊ちゃん

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 暗いくらい、黒とも言えない無色のがらんどうから何かによって引き上げられる。  まるで深海から浮上させられた感覚に、私は大した力も込めずに幕を切り開いた。  一気に白が雪崩れ込んだことで激しい痛みが走る。この感覚に、私はどこか覚えがあった。 「(ああ、そうだ。これは『眩しい』だ──)」  思考がようやく追いついたところで、飛び込んできた白の中から情報が溶け出してくる。私は溶け出されたそれらを何一つ零さぬよう飲み込んだ。 「(ここは……どこだろう……)」  白の中にはどこかの屋内が映し出されていた。しかしその光景に私はいまいちピンと来てなかった。それもそうだ、生まれたての意識にこれら全てを理解するにはまだ時間が足りてなかったのだから。  辺りを見渡す。洪水のようにどんどんと流れ込んでくる情報にバチバチと何かが弾ける感覚を覚えながらもゆっくり、ゆっくりと時間をかけて処理していった。そして生まれたてで壊れかけの意識がようやく、ここが誰かの住居であるという結果を叩き出せたのだった。 「(私は……誰なんだろう)」  状況は理解できたのなら、次はこの()()が何なのかを把握しようと更に私の中を弾かせる。しかしいくら弾かせても、酷く濃いモヤがかかっていて内のものが一切見えてこない。私が誰なのか、どうしてここにいるのか、名前も何もわからない。ただ私が人間の女であることだけは辛うじて把握することができた。スッキリしない思考に私は焦燥感なるものを覚えた。  私はここでようやく、目の前でパソコンなるものを一心不乱に触っている酷くやつれたお兄さんへ声をかけることを決意する。顔色の悪い彼がそこにいたおかげで、ここが私の住処ではないことは予想できた。 「あのー……すみません」  お兄さんの横に座って、話しかける。しかし反応がない。 「……あのぉ!」  聞こえなかったのかな? とお兄さんの耳元で声を張り上げるも、それでも反応がない。  肩を叩いたり、お兄さんの眼前で手を振ってみるもこちらを振り向く様子はさらさら無い。まるで私の事が見えることも聞こえることもできないようだった。  このお兄さんは当てにならないなと早々に見切りをつけた私はこの部屋を探索することにした。情報収集大事。  どっこらしょと立ち上がって空間の広がる背後へと進むも、すぐどん詰まりへと行き当たる。他に行ける場所へと足を運ぶも、すぐ行き止まりへと辿り着いてしまった。まるで一人暮らしする人の部屋って感じ。  台所や収納庫などを見漁るも、私の記憶が呼び覚まされることはない。この部屋は私に縁もゆかりもないようだった。では何故私はここで目覚めたのだろうか。  謎が深まったまま次なる場所へと進む。とは言っても狭い部屋なので行ける場所なんて限られている。  フラッと立ち寄れば、目の前に鏡が無言で佇んでいた。きょろきょろとそれの近くを見渡せば洗濯機に浴室の扉が並んでいて、ああここは洗面所かとすぐに理解できた。  そして私は仰天した。  真正面には何とも悍ましい血みどろでリクルートスーツを身に纏ったお化けが佇んでいたのだ。 「ぎぃやああああああ! おばけー!」  私の叫びに合わせて洗面所の扉がカタカタと小刻みに揺れて、歯ブラシや歯磨き粉が棚から落ちる。  あまりのグロテスクで穢れたその姿だが、何故か私と同じ行動を取っている。そりゃそうだ、目の前は鏡だ。ここで私はハッとし、ペタペタと己の顔を触りまくった。もちろん、鏡の中のお化けも目を真ん丸にしてペタペタと触っている。私はこのお化けにとても既視感があった。 「わ、私だ……! 」  その形容し難い血みどろOLお化けが自分であるとわかるや否や、私は恐る恐る足元へ目をやる。 「な、なんてこったパンナコッタ……! 」  グニャグニャと、私の両足が曲がってはならない方向へあべこべに曲がっていて、思わず意味不明な言葉を口走ってしまう。  私は如何にも痛々しいその両足に泣きたくなった。いや、むしろ泣いた。  ここで私は全てが納得した。生きているのが奇跡的な見た目、そして何をしても無反応なお兄さん。──私はどうやら、幽霊という存在のようだった。それも記憶の抜け落ちた、何とも面倒くさい幽霊である。  そのあまりの衝撃的事実という鈍器で頭を強く叩かれ、ぐわんぐわんと目眩を起こす。もう既にボロボロと零れ落ちていた大粒の涙は、精神的な痛みで水量増し増しだ。  グスグスと泣きながらお兄さんの元へと戻る。お兄さんは相変わらず顔を真っ青にしてパソコンと睨めっこ。私はそんなお兄さんを泣き顔で睨めっこ。  ぐずぐず泣いているとこの部屋のあらゆるものが共鳴してしまうらしく、あちこちでラップ音なるものが鳴り響く。しかし私は大泣きに等しいレベルで泣いているので、家の中はラップ音というよりボイスパーカッションの様にセッションを奏でていた。私の心情とは裏腹に何とも楽しそうな十六ビートだ。十六ビートのラップ音って何?  突如始まった十六ビートラップ音セッションにお兄さんはビビり散らかしている。この現状に私は余計に泣いた。  しかしいつまでもメソメソしている場合ではない。目覚めたらここにいたということは、お兄さんと私は何かしらの関りがあったのかもしれない。私は少しでも()という幽霊が何者なのかを知るために、しばらくお兄さんに憑いていくことにした。  ある日はトイレットペーパーの切れたトイレへ駆け込んだお兄さんに知らせなきゃとドアを叩いてみたり、またある日は終電間近での帰宅に夜道を見守る。そしてまたある日はスーパーでカップ麺とエナジードリンクばかり買い込むから籠に野菜を入れてみたり──。思わず親切心が働いてしまい、何日も何日もまるで母親が如く甲斐甲斐しくしてしまったが、成果は無し。私の記憶は何一つ呼び覚まされず、お兄さんの顔色はより一層酷くなっただけだった。
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