001

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山崎(スグル)は悩んでいた。突如降って湧いた肝試しの誘いに乗るか乗らないか、いや、誘いを断るための文句を探して頭を悩ませていた。 肝試しと言えば夏の定番の遊びではあったが、卓の人生では無縁のイベントであった。それはホラー嫌いの卓にとっては幸いな事で、出来ればこの先の人生でも起きないで欲しいイベントの一つだった。卓の願いを知ってか知らずか、彼の周りには幽霊の『ゆ』の字も言わないような、ホラーや心霊には興味のない人ばかりだった。だからこそ、油断していた。近年のネット動画ブームにより、鳴りを潜めていたホラー好き達がここぞとばかりに心霊スポットを巡る動画を投稿し始め、それにより、にわかにオカルトが流行りだしていたのだ。ネット動画にもあまり興味がなかった卓はそういった流れを知らなかったが、彼の周りは既にひそかにお気に入りの心霊動画をシェアしていたようだった。そしてついに現れてしまったのだ。テレビで放送され今でも””伝説””と言われる心霊番組を超え、「オカルト好き」という垣根まで超えて爆発的にバズる動画がこの世に現れた。この『バズり』は卓の学校、クラス、友人単位で大きく話題になり、そうしてやっと卓の耳にも届いた。 「なぁ卓、この動画知ってる?」 事の始まりを細かく言うのであれば、間違いなくこの台詞が『始まり』だった。卓は特に警戒もせず、「なになに?」と友人の差し出すスマホに首を伸ばし、固まった。その動画は男性4人が立派な機材を携え心霊スポットをいくつか巡る内容だったのだが、非常に出来が良かった。ホラーなんて嫌い、心霊なんて信じない、オカルトなんて似非科学だ!とハッキリ言える卓でさえ、ハッと気付くと最後まで視聴してしまうくらいに、見事な編集と展開であった。特に最後の恐怖映像は目に焼き付いてしまい、卓は視聴が終わったあともしばらくゾワゾワとした気配を背中に感じ続けるほどだった。卓に動画を見せた友人・優斗(ユウト)はニヤリと笑みを浮かべると、「すごかったろ」と卓の肩を小突いた。卓は優斗から……というよりかは、優斗の持つスマホからそれとなく距離を置き、視線を泳がせ「まあまあかな」と返した。優斗は卓の本音を見抜き、「怖いなら怖いって言えよ」とからかう口調で言った。 卓は当然、優斗のからかいにムッと口を尖らせ「怖くねーっつの」と反論の姿勢を取った。そうやって卓と優斗がスマホ片手にやりあっていると、その楽しそうな雰囲気に釣られて男子が2人、卓たちに寄ってきた。優斗が事のあらましを2人に伝えると、2人の男子――卓と優斗と同じクラスの田中と鈴木――は、「俺らもそれ知ってるよ。怖かったよね」と話の輪に加わった。そこから、動画の〇秒のところに顔が映ってるだの、字幕には入ってないけど変な声が入っている、この動画を見た人たちがみんな同じ秒数のところで再生が止まるから怖がっている……などと、動画の話を中心にどんどんと「怖い話」が展開され始めた。卓はマズイ、と思いながらも、輪から外れる事も出来ずに、クラスメイトが口々に話す恐ろしい内容を聞き流す事しか出来なかった。時刻は夕方、放課後の教室から見える窓の外の景色は既に、夕焼けを過ぎて夜に差し掛かっていた。卓は徐々に黒に染まっていく空に恐怖を覚え、「あ、あのさ!」と声を上げた。 「そろそろ見回りとか来るんじゃない?」 「あーもうそんな時間か」 「盛り上がっちゃったね」 「帰るかー」 自分の一声でガタガタと席を立ち始めた友人の姿を見て、卓は内心ホッとした。良かった、これで帰れる。帰ったら何か日常系の明るいアニメでも見よう……そう思ったのも束の間、リュックを背負った優斗の一言に卓の安らぎは壊された。 「せっかくだし俺らもさ、心スポ行かねぇ?」 「え?」 信じられない、と声を出したのは卓だけだった。他の2人は優斗の提案に、いいねえ!と拳をあげた。やっと収まったはずの熱が再発している、そんな目の前の光景に卓は「おいおい、嘘だろ」とスマホを握る指先を震わせた。 「でもこの辺に心スポなんてあったっけ?」 発言したのは鈴木だ。彼の言葉に、田中と優斗も自身の記憶を探るように首を傾げた。 「ウーン。俺、もともと心スポとか知らないしなー」 「俺も。怖い話はたま~にネットで読むけど、わざわざどっか行った事はないし……」 卓はこの機を逃すまいと、強めに言葉を発した。 「こ、こういうのはさ!他の人が撮った動画で楽しめばいいんじゃない?ほら、廃墟とか山って、事故が怖いって言うし」 田中たちは卓の言葉に、たしかに……と顔を見合った。卓はその反応に再度安心を得て、「まぁ、機会があったら行く事もあるんじゃない」と適当なことを言った。その時、教室のドアがガラッと音を立てて開く。その音は、妙に静かな雰囲気が漂っていた室内に大袈裟に響き、卓たちはビクリと肩を震わせて扉を見やった。立っていたのは、卓たちも見知った教師だった。 「誰が居残ってるかと思ったら、お前らか。正門はもう閉まってるから裏口から早く帰りなさい」 厳しい声色とは反対に、まったく怒っていない素振りの教師は面倒そうに卓たちを教室から追い出した。そうして室内に誰も残っていない事を確認した教師はガラリと扉を閉め、裏口へ向かう卓たちの後ろにつくようにして、階下へ向かう。帰りの道中が一緒になった5人は、雑談を交わしながら階段を降りていく。そういや母ちゃんに買い物頼まれてただの、やっぱ心スポ行きたいなーだの、教室での話題と今夜の話題とかごちゃ混ぜになった会話を、教師はじっと見聞きしていた。 1階に到着し、教師は職員室に向かうために右へ、卓たちは裏口へ向かうために左へと分かれることになった。先生さよーならー、なんて優斗が明るい声で言う。卓もペコッと少しだけ頭を下げて、さて帰ろうかとなった時に、鈴木が「先生~~」と教師に声を投げた。 「先生、この辺に心霊スポットあるか知ってる?」 「……さぁ。そういう質問をする暇があるなら、勉学の事でも考えておきなさい」 「ふ~ん」 教師の厳しい一言を受けながらも、鈴木は何やら含みのある表情で顎に手を当てた。それに鈴木は帰ろうとしない。教師はさすがに呆れた様子で、ため息をついた。 「なんだ、その顔は」 「先生さ、俺らが心スポの話してる時だけ、すんご~く険しい顔してたじゃん。アレなんか知ってる顔っしょ」 突然の鈴木の推理に、卓を含めた男子たちは全員エッと教師の顔を見た。教師は苦虫を潰したような顔をしながら、鈴木の言葉を否定しようと口を開きかけている。卓は、この先生ってこんなに顔に出る人だっけ、と違和感を覚えていた。 「また変なことを……」 「それに俺思い出したんだけど、先生、前に授業でこの辺出身って言ってたじゃん。って事は、地元っ子でしょ?何かあるなら絶対知ってるじゃん」 鈴木の隣に立つ田中が、「おまえ、よく覚えてんな」と場違いな感心を寄せている。 教師は「嘘はつけない」と思ったのか、出身については「そうだが」と素直に認めた。だが、心霊スポット云々については、はぐらかすように話を逸らし、答えなかった。そう、はぐらかすように。普通であればさっさと否定して場を離れるか、適当な事を言って生徒たちを帰してしまってもいいものなのに、教師は強く否定する事もしなければ、何か具体的に答える事もなかった。そこに気付いた卓たちも、鈴木の直感に賛同するような気持ちになった。そして鈴木自身もまた、場合によっては異質と言ってもいいくらいに、今回ばかりは教師に食い下がった。思い起こせばこの時点で既に、卓たちは。 暗闇。学校。廊下。間を空けて点けられている天井のライト。固まる4つの影と、棒立ちのヒョロリとした大人の影。 教師は――赤城は、根負けした様子で、ぽつり、零した。 「今もあるかは知らないが――」 ◆◆◆ 卓と優斗は家が近いため、今日も自然と一緒に帰る形になっていた。田中と鈴木は逆方向だったので、駅で別れた。卓と優斗は最寄り駅を降り、住宅街へ足を向けた。2人は時々会話を交わすが、それも長続きせず、結局無言のままどこか足取り重く帰路を進む。卓の頭の中では、赤城先生の言葉がぐるぐると回っていた。それは優斗も同じだったようで、ついに堪えきれなくなったのか、「さっきのさぁ」と妙に明るい調子で話し始めた。卓はとても嫌な気持ちになった。けれど止める事が出来ない。話したくないけど、話すことでこの気味の悪さを共有したかった。 「先生の話、めーっちゃ怖かったっつーか……気味悪いっつーか……身近にそんな話あったんだなーって感じだよな」 「まぁ、うん、ね……」 「何よりさぁ、先生の、話してるときの顔、なんか……あー……や、やばくなかった?」 「……うん」 赤城先生が鈴木の圧に負けて話し始めたそれは、正直言って怖い話としてはよくあるものだった。赤城先生が卓たちと同じ学生だった頃、近隣でも有名な心霊スポットがあり、周りでもよく話題に上がっていた。今ほどネットが発達していない時代だったからか、場所は口コミでしか広がらず、現代のように県外からわざわざ肝試しに来るような人もおらず、『そこ』へ行くのは地元のヤンキーか、物好きくらいしかいなかった。『そこ』は住宅街の中にある一軒家で、外観だけでは心霊スポットと分からないくらい、とにかく「普通」な二階建ての一軒家だそうだ。けれど中に入ってみると、生活用品一式がそのまま残されており、生々しい人の痕跡が残っていてかなり気味が悪い。夜逃げでもあったのか、何か事件でもあったのか、そういった家に関する確実な情報は一切なく、その一軒家がどうしてそうなってしまったのかを知る人すらいない、という謎めいた家でもあった。その家は特別な呼び名もなく、「呪いの家」とだけ呼ばれていた。先生もそう呼んでいた。呪いの家に入ると、呪われて必ず死ぬ。……心霊スポットといえば、もっと色々な噂や憶測がたつものだが、呪いの家の話は、それだけだった。怖い話としてランクをつけるなら低評価になるそれが、どうしてこうも卓たちの気を重くしているのか――それは、この話を語り始めた途端に赤城先生の黒目が左右に開き、口の端から泡を吹き、ひとりで息苦しそうに――まるで誰かに首を絞められているかのように顔を赤くしたり青くしながら、語られたからだった。卓も、優斗も、田中も鈴木も、先生の豹変ぶりに絶句しながら話を最後まで聞いた。誰も動くことが出来なかった。動いた瞬間に何が起きるか分からない恐怖でいっぱいだった。幸いにも、話はそこまで長くなく、先生も話し終えると何事もなかったかのように真顔に戻り――口の端の泡はそのままだったが――教師らしい口調で「頼むから行かないでくれよ。こういうのは聞くだけにしといてくれ」と言って、今度こそ職員室へ戻ってしまった。残された卓たちは気まずい思いで視線を交わしながら、なるべく足音を立てないようにして、裏口へ向かった。見てはいけないものを見てしまった……何とも言えない罪悪感のようなものを抱きながら学校近くの駅までたどり着いたとき、鈴木が小さく「ごめん。俺が食い下がったから」と謝った。優斗は努めて明るく彼を励まし、田中も、卓も、もはや無かった事のようにしたくて、彼の謝罪を受け入れた。 そうしてやっとたどり着いた帰り道だったので、卓は優斗が話を蒸し返してきた事を嫌がったのだ。だけど、共感もしたかった。赤城先生のあの顔は、どうみたって正気じゃない。卓は自分が見たものを信じられなくて、目を開けたまま見た悪夢だったんじゃないか?と思いたいくらいだった。だけど優斗も、他のみんなも、同じものを見ていた。現実だったのだ。あの赤城先生の顔も、話も。優斗と卓は、同じものを見たという確認だけをして、その日はそれ以上話さなかった。 先に優斗が家に着き、「じゃあな」と卓に手を振った。優斗が玄関先に姿を消すと、卓は住宅街の中、ひとりきりになる。いつもはスーツ姿の男性や、買い物帰りの親子連れなど、いくらかの人通りがあったはずだが、今日は帰宅時間がズレてしまったせいか、道には卓ひとりしか居なかった。もちろん、道の脇に建つ家々からは人の気配が感じられるのだが、今の卓にはそれがとても遠い世界の物音のように感じた。怖い。卓は友人の目がないのをいいことに、自宅までの道を全力で走り、家に辿り着くと飛び込むようにして中に入った。「遅かったね、おかえり」という母の言葉を聞いてやっと、卓はみぞおちに抱えた鉛を降ろせた気がした。
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