002

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不気味な放課後を経験してから数日。(スグル)はしばらく、あの恐ろしい形相をした先生の事が忘れられず、先生の姿を見るたび避けるようにして身を隠していた。何かの拍子にどうしても先生と話さなければならない事もあったが、おどおどと視線を泳がせる卓とは対照的に、赤城先生は以前と変わらず至って真面目に生徒と向き合っていた。そうして日常に戻っていると、卓の中でも『あの出来事は忘れても良いもの』となり、頭の中からあの日の放課後の光景は消えていった。もちろん優斗をはじめとした他の面々とも、あの日の事を話す事はなかった。もう終わった事だ――卓がそう思った矢先、例の心霊動画投稿者が新作をアップし、教室内は再び心霊動画の話題に染まった。それほどに投稿者の作る動画は完成度が高く、何より動画自体が恐怖の鮮度が高い、おどろおどろしい内容だった。卓は通りすがりに耳にする、ヒソヒソとした動画の話を聞くたびに、会った事もない投稿者の才能を恨めしく思った。 その日、卓は教師に頼まれた雑用が長引き、教室に戻った頃にはすっかり室内は空になっていた。唯一教室内に残り、何やら肩を寄せ合って話している生徒たちがいたが……卓はその面々を見て、一瞬ドキッとした。椅子を動かし一か所に集まっていたのは優斗、田中、鈴木の3人。そこに卓が加わると、まるで『あの日』の再現のようだった。奇しくも時間帯まで同じで、教室の窓から見える陽の傾きも、先生の恐ろしい形相を思い起こさせるには十分な角度だった。 「何やってんの?帰んないの?」 卓は友人たちを無視するのもどうかと思い、なかば義務感で彼らに声をかけた。3人同時にこちらを振り向くものだから、卓は余計に嫌な気分を覚える。優斗は声をかけてきたのが卓だと気付くとニカッと笑い、「お前こそ、まだ居たの?」と軽い調子で答えた。 「先生から片付け頼まれてさ。こんな時間になっちゃった」 「ふーん、お疲れ」 「それで?優斗たちは何やってんの?」 卓が再度問うと、優斗は田中と鈴木に目配せをしてから、あー……と言い淀んだ。聞かない方が良かった事なのか?卓は先ほどまで彼らを邪な目で見ていた自分を棚に上げ、なんだか仲間外れにされたかのような気分になって少しの不機嫌を顔に出した。優斗は卓の些細な表情の変化を読み取ると、違う違う、と手を横にパタパタと動かした。 「お前がどうこうって話じゃなくて……卓さ、怖いの嫌いじゃん?」 「ま、まぁ。好きではないけど、それが何?」 「この間の『呪いの家』の話……」 卓の心臓が再び跳ねる。まさか今話題になっている新作動画が『呪いの家』に行ったとか、そういう話なのだろうか?卓は優斗たちの話を聞こうか聞くまいか悩み、帰りの準備をする手を止めてしまった。優斗はそれを、興味があると判断したのだろうか。少しずつ、自分たちが何を話していたのか卓に説明を始めた。 「俺のばあちゃんさ、この辺地元なんだよね。でさ、田中ん家も親戚が元々この辺出身って言うから、『呪いの家』の話を聞いてみたわけよ」 「そうそう。俺の叔母さんが地元っ子でさ」 優斗の言葉に田中が更に言葉を重ねる。 「そしたらやっぱり、『呪いの家』の話ってあるんだって。ばあちゃんも田中の親戚も実際に行った事はないけど、噂は聞いた事あるって言ってて」 「そ……そーなんだ」 卓は少しホッとした。噂が実際にあった、という話だけならば、特にどうという事はない。自分から関わらなければいいだけの話だ。卓は、そっかそっかと頷きながら、荷造りの手をあらためて動かし始めた。だが、そんな卓の安堵を優斗が容易く崩す。 「ばあちゃんとか知ってそうな人に色々聞いてみたけど、俺らじゃたいした事わかんなくてさ。でも鈴木が興味あるとかで、わりとガチめに調べてくれたんだよ。んで、場所まで見つけてきたって」 「見つけてきた?マジで?」 「マジで。今もあるんだって」 「マジかよ……」 卓はげんなりした顔を隠さず表現した。いつの間にか優斗の笑顔も消え、鈴木も田中も神妙な顔をして卓を見返していた。卓の中に、むくむくと嫌な予感が芽生える。それだけは言ってはいけない、だめだ、と。頭の中に警告音が響くものの、それは卓だけの感覚だったようで、鈴木がついに””それ””を言ってしまった。 「『呪いの家』、俺ん家からわりと近いところだった。だから今夜みんなで行くのはどうかって、話し合ってたところ」 「でもそこ、一軒家なんだろ?管理してる人とかいるんじゃないの?不法侵入ってやつじゃないの?」 「まあ……外から見るだけでもいいから、ちょっと行ってみようかって。卓は嫌だろうから、俺ら3人だけで」 俺ら3人だけで、という言葉が卓の心に引っ掛かった。なんだよそれ。確かに俺はそういうの嫌いだけど……卓は自分のワガママな感情を理解しながらも、それでも納得がいかない心持ちだった。だが、だからと言って「俺も混ぜて」とは決して言わなかった。あの赤城先生の正気を失った顔を見てもなお、(くだん)の家に行こうとする彼らの気持ちがまったく理解できなかった。外から見るだけ?それの何が面白いの?万が一何かあったら……そこまで考えて、俺って結構おばけとか信じてるんじゃん、と自分の意外な一面に気付き、恥ずかしくなった。卓は優斗たちから視線を外して荷物をまとめると、改めて彼らに顔を向ける。 「俺は聞かなかった事にするから。行くなら、その……気を付けて」 卓の、彼らを気遣う一言に、優斗が真っ先に反応を示した。照れるように歯を見せた優斗は、ありがとな、と両手を合わせて「ごめん」の形にする。鈴木と田中も、「ま、そうなるわな」と元から卓は参加しない事をわかっていた表情で、卓に手を振った。 卓は荷物を手に持ち、教室を出ようと扉に向かう。目線を足元に落とすと、廊下の明かりで作られた扉の影が床に伸びていた。真っ黒な扉の形と、切り抜かれたように明るくなっている窓の部分――ふと、違和感が卓を襲った。窓枠と思われる部分に、ぽこっと黒い山が出来ている。なんだ、これ?不思議に思った卓が視線を上げて窓枠を見た瞬間――卓は声にならない悲鳴を上げてひっくり返り、教壇に大きくぶつかった。ガタン!!!!という激しい音を聞いて、優斗たちが驚いて卓を振り返る。何、どうしたの。優斗が慌てて卓のもとに駆け寄るが、卓は真っ青な顔でブルブルと震えるばかりで何も言わない。田中と鈴木も、卓たちの様子を変に思って教壇の傍に駆け寄った。なんとも言わない、けれど視線は前に固定したまま怯える卓の様子を見て、駆け寄った3人も顔を上げ――卓と同じく、3人それぞれ悲鳴をあげて腰が抜けたかのように床に転がった。 窓枠にポコッ浮かぶ黒い影。それは教室内を覗き込む、赤城先生の頭だった。鼻から上の部分だけをのぞかせるように窓枠からニョキッと生やし、唯一見える両目の部分は、黒目が左右に散っていた。赤城はあの日と同じく、皮膚を赤くしたり青くしたりしながら、何かブツブツ言っている。けれど卓たちには何を言っているか、声が届かない。その程度の声量で何か訴えている。卓たちは赤城から目が離せなくなった。なんだよ、なんだよこれ。なんで先生がこんな、何やってんだよ。そう誰かが呟く。突如始まった異質な時間は、卓たちには永遠のように感じられた。いつから先生が居たのか、まったく分からない。なんでこんな事をするのか、分からない。『分からない』という事は、どうやったら終わるのかもわからない――4人共が絶望的な気持ちになった頃、運良く学校の鐘が鳴った。同時に、スピーカーから帰宅を促す放送が流れる。その大きな音をキッカケに、4人の間に流れる緊張の糸がプツッと切れた。赤城先生は変わらず扉に引っ付いていたものの、卓たちは一目散に荷物を引っ掴み、空いている別の扉から教室を飛び出した。そこからは全員、全力で廊下を駆け抜け、閉まりかけている正門を走りすぎても足を止めなかった。只事ではない様子で走り抜ける男子生徒4人を、すれ違う人々は不思議な顔をして見やる。そうやって街中まで駆け抜けてやっと、一番体力のない田中が「ちょ、ちょっと待って」とついに足を止めた。全員フルマラソンを走った後のように、ゼエゼエと激しく呼吸をしていた。田中はガクガク震える足を支える事が出来ず、その場に座り込んだ。少し冷静さを取り戻した優斗が田中の腕をつかみ、「こっち」と道の端に田中を誘導した。いつの間にか場を離れていた鈴木は自販機で買ってきた飲み物を皆に手渡し、鈴木自身も渇いた喉を潤すようにジュース缶の中身を一気に体へ流し込んだ。卓はただただ、赤城先生の血走った目が忘れられず、震えるばかりだった。 「これは怖い。やばいよ」 そう言い出したのは、やっとの思いで呼吸を整えた田中だった。 「あれ絶対赤城先生じゃん。あの日と同じ目してたよ。なんなの、何してんのあの人」 田中が早口で吐き出す文句に、誰も何も言えない。だが、鈴木だけは何か思案したあと、意を決した様子で口を開いた。 「赤城先生さ……俺らが『呪いの家』を見つけたって事、誰かから聞いたんじゃねぇの?」 「は?誰から聞けるって言うんだよ」 「いや、まぁ……あんまり良い想像じゃねーけど、地元コミュニティってやつ、あるじゃん?そういう感じの何かでさ、俺らが家の事いろいろ探ってるって誰か先生にチクったとか……」 「噂のこと聞いただけで、わざわざ先生に報告なんてするか?俺なんかばあちゃんにちょっと聞いただけだぞ?てか、ばあちゃんが先生と知り合いなわけないと思うんだけど」 「だから、可能性って話で……田中の叔母さんが言ったのかもしれないじゃん」 「俺の叔母さんが密告者だっていうわけ?」 「いやいや、だから犯人捜しをしたいわけじゃなくてさ」 徐々に雲行きが怪しくなる3人の会話に、卓は右往左往するばかりだった。優斗たちはそんな卓を余所に、あーでもないこーでもないと、喧嘩腰で話を続ける。田中が「俺が悪いってわけ?!」と強く言い出したところで、卓は勇気を出して3人の間に入った。 「みんなちょっと落ち着こうよ。周りの人も見てるよ」 卓にそう言われて、優斗たちはチラッと周囲に目をやった。帰路についている大人たちがサッと顔をそむける。卓の言う通り、優斗たちはそこそこの大声で言い合っていた、と彼ら自身が自覚して、前のめりになっていた姿勢を戻した。かわりに4人の中に気まずい空気が流れる。卓は更に続けた。 「とりあえず、今夜そこに行くのはやめようよ。ね?あ、よかったら今から俺ん家くる?そういや優斗がやりたがってたゲームも買ったんだよ。みんなでやろうよ」 卓の提案に、残りの3人はあからさまに「そんな気分ではない」と表情を曇らせた。だが卓は引けなかった。一人になるのが嫌だった。あんなものを見て、こんな気分になったあと、一人になりたくない。暗闇が怖い。電気を消した部屋が怖い。窓が怖い。幸いにも今日は金曜日で、明日から短い休みに入る。卓はこのままなし崩しに全員を家に呼び、泊まっていって欲しいと思った。何より、全員で楽しい事をして、とにかく記憶を上書きしたかった。卓の必死な様子と説得に、まず優斗が了承の意を示した。 「ゲーム買ったのか!いいな!せっかくだし、俺行こうかな」 「やった!じゃあこのままお菓子とか色々買ってから俺ん家行こう」 「鈴木と田中はどうする?」 優斗が問いかけると、二人は視線を交わしてから、渋々頷いた。 「卓ん家行くの、何気に初めてだな」 「そういえばそうだっけ」 「俺らと家、逆方向だし。ま、怪我の功名って事で」 「何それ」 卓が笑うと、3人も不器用ながらにヘラッと口角を上げた。たどたどしいものの、4人の中にやっと穏やかな空気が生まれた。全員が連れ立って電車に乗り、卓の家の最寄り駅についた頃には、すっかり普段の雰囲気に戻っていた。今週の漫画雑誌は読んだか、新作のゲームが高い、バイトしてぇな――中身は他愛もないものばかりだったが、会話が途切れる事はなかった。それは全員が全員、学校で見た光景を忘れたいがために楽しい事を話そうとしていたからだった。脳裏に焼き付いてしまったアレはなんだったのか……誰も疑問に触れないまま、卓の自宅に辿り着いた。 卓の母親は玄関にぎゅうぎゅうに詰め込まれた男子学生の塊を見て、嬉しい悲鳴をあげた。すぐ夕飯準備するから待っててね、みんなちゃんと家の人に連絡してね。そう言い残し、母親はさっさと台所に戻ってしまう。卓の部屋に入ったとき、田中は「お前の母ちゃんって心広いな」と尊敬の目を卓に向けた。話を聞くと、田中の母は、予定外の事をすると烈火のごとく怒るらしい。友人を家に連れていく時は事前に許可を得なければならないので、そんな自分の母親と比べて卓の母を羨ましく思ったようだった。鈴木もまた、朗らかな卓の親を見て感心している様子だった。優斗は勝手知ったる卓の部屋で早速ゲーム機を取り出し、電源を入れてテレビの前に座り込んでいた。飯出来るまでゲームしようぜ、という優斗の誘いにならって、4人は交代でゲームに興じた。 夕飯は肉料理のオンパレードだった。卓の母親が、男の子には肉を出しておけばいい、という大雑把な善意のもと、短時間で出来る肉料理をわざわざ追加で作ってくれたのだった。これには優斗たちは大喜びで、スマホで写真を撮ったりしながら楽しい夕食時を過ごした。腹が膨れた彼らは卓の部屋に戻ると再びゲームを始め、飽きてきた者は本棚を漁り、漫画を読んだりベッドでスマホをいじったりしていた。その間も適当な会話が途切れることはなく、時間はすっかり夜更けとなった。卓の母親がコンコンと扉を叩き入ってくると、そろそろ順番にお風呂に入って欲しいと言ってきた。卓たちは、もうそんな時間かとそこで気付き、言われた通りに順番にシャワーを浴びた。卓以外の面々はお風呂を上がるたびに、リビングでくつろぐ卓の母にお礼を述べた。穏やかな時間が流れていた。 誰ともなく、そろそろ寝るか?と言い出した頃に、優斗が思い出したかのように卓の部屋のクローゼットを開けて何やらゴソゴソと荷物を漁りだした。それに焦ったのは部屋の主である卓だ。優斗、何してんの!と卓が彼を止めようとすると、優斗はさっと1冊のアルバムを取り出してみんなに見せた。 「これ、俺と卓の思い出アルバム!」 「うわ~でたでた、アルバム鑑賞タイム」 「そんな風に言うなって。鈴木と田中は学区違うから、付き合いは高校からじゃん?その前の俺らも見てくれって」 「ちょっと優斗、勝手にやめてよ」 「俺らを見てくれって、見てどーすんだよ」 優斗の悪ふざけに、鈴木も田中も苦笑した。卓に至っては本気で恥ずかしいらしく、優斗の手からアルバムを奪おうと腕を伸ばしている。だが優斗の方が体格が大きいため、卓の抵抗は届かずアルバムは皆の目に晒された。ぺらぺらとめくられるそれは、どう見ても『優斗と卓の』アルバムではなかった。端的に言うと、卓本人の幼い頃がよく映っているアルバムで、時々優斗の映る写真が混ざっている程度のものだった。 「ちっせー頃の卓かわいい~」 「からかうなって」 「優斗はそのまま大きくなったって感じな」 「それな」 誰一人として真剣にアルバムを見ていなかったが、寝る前のくだらない時間としては十分な内容だった。今日、一番体力を使ったであろう田中がウトウトとしだした頃、鈴木が急にアッ!と短い声をあげた。驚いた3人はビクッと肩をあげてから、急に大声出すなよ、夜中だぞ!と怒った。 「いやいや、ごめん。その、すげー写真見つけたから」 「は?」 鈴木は皆の責めるような視線に居心地の悪さを覚えながらも、おずおずと1枚の写真を指差した。それは幼稚園くらいの年代の卓が映ったもので、特段おかしなところはないように見えた。 「ここ。ここ見て」 鈴木がさらに指差した先には、建売のような一軒家が映っていた。一軒家……という言葉が頭をよぎると、自然に全員の顔が曇った。嫌でも『呪いの家』を連想してしまって―― 「これ、『呪いの家』だよ。……多分だけど。俺が地元の人に見せてもらった写真とすっごい似てる……」 バン!!!!と優斗がアルバムを勢いよく閉じた。今度は鈴木が驚く番だった。鈴木が恐る恐る優斗の顔を覗き込むと、彼は笑っていない目で微笑んでいた。 「それ、もうやめよ」 「……ごめん」 鈴木は今度こそ本気で優斗たちに謝った。鈴木は確かに、元から少し調子に乗りやすいところがある。虚言癖とまではいかないが、何かと目立つ発言をしたがる性格なのも分かっている。だが、やっとの思いで整えた楽しい空気が台無しになってしまい、皆あっという間に冷えた気持ちで床についた。特に卓は、鈴木の発言からキリキリとみぞおちが痛みだしてしまい、なかなか寝付く事が出来なかった。それでも必死の思いで目を閉じた。窓際に敷いた布団は、鈴木に寝てもらった。さっき『呪いの家』の話をしてしまったせいで、という恐怖心が芽生えてしまい、どうしても窓際で寝ることが出来なかった。それは他の3人も同じようだったが、話し合った結果、鈴木自ら窓際で寝ることを申し出た。これは彼なりの謝罪だったのだろう。幸いな事に、その後は何事もなく、全員無事に寝付く事が出来た。 夜中の3時を過ぎた頃。4人全員が絶叫して布団から飛び起きた。
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