炎色反応

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炎色反応

 相も変わらず埃っぽいサークル室には、かつてない緊張感が漲っていた。  中央に置かれた長机の上には、粗いコピーの地図とアルバムが広げられている。 「N駅、Y線の十九時三十分台」  いつになく真剣な津山の声が飛ぶ。  私は手元の分厚い時刻表を必死でめくる。もう二時間もこんな作業を続けているせいで、手がすっかり乾燥してしまっていた。  ええと、三十分台は、と細かい文字をなぞっている横から、畑、各務と一緒にアルバムの写真を見ながら地図に印をつけている島田の声が割り込む。 「会長、その時間帯なら零分から四分おきです。当然ですが全部普通」 「ああ、うん、そうです」  世の中には時刻表を諳んじられるという人種がいるが、島田もその近縁だ。この役目は私より島田が適任だと思うが、逆に私には他にできる仕事はないから文句は言えない。  津山は手元のルーズリーフに何やらメモをとり、電卓を叩く。同好会で出かける時のルート作成はわずかな例外を除いて津山がやることになっていて、今日も当然彼が総監督だ。  今週末、東京で大きな花火大会が開催される。我らが鉄道同好会のメンバーにも夏の風物詩を楽しみたいというくらいの風情はあるもので、東京へ行って花火を見るというのは夏の恒例行事であるらしい。  しかし、我々のような内気で根暗な集団が人でごった返す陽気な東京の花火大会なんぞに突入したとて、人並みに押し流されて他人の汗を吸いとって終わるだけである。そうかといって、花火が見える穴場なんてものを知っているはずもない。  それでは一体どうするのかというと、電車に乗るのだ。今私たちは、電車の中から花火を一番長く鑑賞し、かつ運賃を最も安くあげるルートを作成しているのである。  一番簡単な解は、花火が見える区間を見つけてそこを往復し続けることだが、それでは面白くない。連続で同じ線の同じ区間に乗るのはなし、というルールを設けて、私たちは最適なルートを模索していた。  同好会の五大行事は、機関誌の発行、合宿、大学祭と新歓、そしてこの花火鑑賞だと津山が言っていた通り、会員たちは皆これまで見たことのないような鬼気迫る表情で、手元の資料とにらめっこしている。  いつもは奥の席に陣取ったまま何やら分厚い専門書を読んで、鉄道の話にはとんと興味を示さない福本でさえ、津山と畑の剣幕に負けて書記なんかさせられているのだから、もうこれは一大事だ。 「会長、S駅とN駅ルートより、A駅回ったほうが一キロぐらい距離稼げます」  幽霊会員の二年生二人も、今日ばかりは時間通りにやってきて、地図の印の間の長さを測ってはルートの距離を計算している。 「いや、そこは駄目。去年駅の近くに高層マンションがいくつも建ってる」  各務の言葉を、不機嫌そうな顔の福本がホワイトボードに書き込む。意外にも綺麗な字だ。例のごとくこの行事に福本は参加しないことを思うとその表情も納得だが、よく考えれば普段は会員らしいことは何もせずに同好会に居座っているのだから、たまの労働くらいは当然のような気もする。  しばしの間沈黙が続く。各務たちは顔を寄せ合ってそれぞれ自分の作業に集中している様子だが、私は指示がないと何もやることがない。さらに言うと、津山が何を考えて今どういう状況にあるのか、最早私には見当がつかなくなってきていた。仕方なく、私は津山と各務たちとの間でぼんやりと視線を往復させていた。  津山が唐突に席を立って、各務たちが囲んでいる地図を覗き込む。その中の何かを指さして自分のルーズリーフと視線を何度か行き来させると、もう一度椅子に腰を下ろして何かを書きつけた。  私たちはそんな会長の姿を固唾をのんで見守る。この楽しくも緊迫した時間が終わりに近づいていることを感じ始めていた。  内容を確認するように二、三度シャープペンシルの先をルーズリーフに打ち付けると、津山は顔を上げた。 「さっきのN駅から下りで三駅行ってU駅でお終いで良いんじゃないかな。花火大会が二十時三十分で終わりで、U駅に着くのが二十時三分だから、それくらいに帰らないとひどい混雑に巻き込まれる羽目になる」  津山はどうかな、というように私たちの顔を見回した。 「良いと思います。去年、ぎりぎりまで粘ってひどい目に遭いましたもんね」  畑が答えると、他のメンバーたちも頷いた。二年生の二人は前年の惨劇を思ってか苦笑を浮かべている。 「えっとそれじゃあ詳しい乗り方説明するね」  そう言って津山は私たちを自分の周りに集めると、机に置かれたルーズリーフと地図を交互に示して行程とその狙いを話してゆく。ホワイトボードの方を横目で窺うと、福本はやっと解放されたとでも言いたげな顔でいつもの特等席に座り、早くも本を広げている。  普段は寡黙で気弱な印象の津山だが、今日の彼は堂々として雄弁で、私はそれを新鮮な気持ちで眺めていた。  筋金入りの乗り鉄である津山の作ったルートは私などには到底考えつかないような十全さで、彼の説明が終わった時には自然と拍手が起こっていた。
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