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 小学三年生のころ、僕は友達の(とおる)と、毎日のように一緒に海辺で遊んでいた。  よく、海釣りをしていた。  学校が終わってすぐ、いつものように僕と透は釣り糸を垂らす。  平日は、大人の釣り客はほとんどいないし、子供で釣りを趣味にしているやつは多くない。ほぼ貸し切り状態の釣り場で、僕は釣り竿に「大物」がかかったことを、獲物に引っ張られて知った。 「うわっ、すごい引き! おい、秋立! 手伝うよ!」  透は自分の釣り竿を海から引きあげてデッキの上に置いて、僕の釣り竿を後ろからつかんでくれた。  全力で、僕らは一緒に獲物を引きあげた。  そして、デッキの上に放り出された獲物はびちびちと跳ねていた。 「……なあ、透。これって、まさか……人魚か」 「………………多分」  僕らが見つめる先には、十歳ほどの少女がいた。ただ、その下半身はうろこに覆われており、魚にそっくり。その口からは釣り糸が垂れていて、痛そうにしていた。 「ま、待って」  僕は暴れる彼女に近づいて、口に引っかかっている釣り針を取ってあげた。  彼女は何も言わず、こちらを見ていた。  髪はふわふわとした金色で、目は南国の海のような、澄んだ青だった。  何も着ておらず、ほのかにふくらんだ胸から、僕は思わず目をそらした。 「君、人魚? 名前は?」  問うても、彼女はしゃべらなかった。代わりに、不思議な音声を発する。 「イルカの鳴き声に似てるなあ」  透の言葉に、僕は「たしかに」と納得する。 「ねえ、透。どうすればいいんだろう?」  僕の問いに、透は即答した。 「逃がしてあげよう。だって、人魚なんて大人に見つかったら解剖されちゃうだろうし」  解剖、と聞いて僕はゾッとした。 「そうだね。そうしよう」  うなずき、僕は彼女の腕を引いた。心得たように、透が彼女の尾びれをつかむ。  決して軽くはなかったけれど、どうにか僕らは彼女を海に戻すことに成功した。  次の日も、僕らは同じ場所で釣りをした。  すると、ひょっこり彼女が頭を出したものだから、僕はびっくりして釣り竿を落としてしまうところだった。 「また来たよ、彼女」  僕が戸惑っているうちに、彼女はパッと華やかに笑った。  人魚って笑うんだ、とぼんやり思っている間に、透がつぶやいた。 「この子、俺たちに懐いちゃったんじゃないか?」  透の予想は当たったらしく、彼女は次の日もその次の日も、僕らの前に姿を現した。  何をするでもなく、僕らを見て笑うだけ。  僕らも釣りをするどころではなく。言葉が通じないので、ただ彼女と見つめ合う時間を過ごした。  彼女を、いくら見ても飽きなかった。  他の釣り人が来るたび、僕らは彼女に「海に戻って!」と注意した。言葉がわからないなりに何か察したらしく、彼女は僕らの注意を受けると海に潜っていった。  僕らは彼女にマリンという名前をつけた。マリン、と呼びかけても反応しなかったけれど。  ある日、僕はどうしようもなく、彼女の写真が欲しくなった。  僕は母子家庭で母はパートタイムで働いていて、生活に余裕はなかった。  だから、最近スマホを持っている小学生は少なくないけれど、僕は持っていなかった。  母はスマホを肌身離さず持っているし、母親のスマホでマリンを撮ったら、追求されるに決まっている。  僕はダメ元で、透に頼んでみた。 「僕、マリンの写真を持っていたいんだ。いつマリンが姿を消すか、わからないだろ。誰にも見せないようにするから。ねえ、透はスマホを持ってるだろ? それで撮って、印刷できないかな?」 「……できると思うけど」  透は渋い顔をして、目をきらきらさせているマリンに手を伸ばした。 「マリン。こっち」  伸ばされた透の手に、マリンが近づく。  ふたりがかりで、マリンをデッキの上に引きあげた。  透は周りを見渡してから、ポケットからスマホを取り出し、スマホのカメラでマリンの写真を撮っていた。 「うちのプリンタ、性能よくないから……コンビニのプリンタで印刷するよ」 「お金、払うよ」  慌てて、ポケットに入れた財布を取り出すと、透はカラーコピー代の半分を請求した。 「半分でいいの? 僕の分だけだろ?」 「別に、いいって」  透は僕の家が裕福でないことを知っていた。だから、あれは透なりの気遣いだったのかもしれない。  その翌日、透は釣り場で印刷した写真を渡してくれた。  学校で渡さなかったのは、他人に見られないように、と用心してのことだろう。 「うわあ……マリンって、本当にきれいだね」  今はまだここに、マリンは来ていなかった。  現実のものとは思われない。白い肌に、金色の髪。夢見るような、青い目。うろこに覆われた下半身は、きらきら光って、青みを帯びた銀色だった。 「俺も印刷して、ハッとしたよ。マリンみたいな人魚、他にもいるのかな」 「さあ……。そういえば、仲間は連れてこないね。ひとりぼっちの人魚なのかも」  そんな会話を交わしていると、水音がしてマリンが顔を出した。 「マリン、見て。君の姿を映したんだよ。きれいでしょう」  僕が写真を見せると、マリンは戸惑ったように首を傾げていた。  マリンには、写真という概念が理解できなかったのだろう。
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