1人が本棚に入れています
本棚に追加
4
僕は財前教授の車に乗せてもらって、いつも海釣りをしていたあたりに向かった。
財前教授は車から見ると言って、海から少し離れたところに車を停めていた。彼の手には、双眼鏡がある。
僕はいつものように、デッキの上を走って、海を見下ろす位置にたたずんだ。
しばらくして、ぱしゃんと音がしてマリンが姿を現した。
僕は笑顔を浮かべて、彼女に手を伸ばす。
マリンは不審そうな顔をしていた。透がいないからだろう。
「透は、来れなくなったんだ。マリン、また前みたいに、ここに来て」
僕が辛抱強く待っていると、マリンが寄ってきて僕の手をつかんだ。
ひとりでは重すぎたが、僕は踏ん張ってマリンを引きあげた。
ばんっ、と音がして、財前教授が車から出てくる。
怯えたマリンが海に戻ろうとしたので、僕は彼女を抱きすくめた。
外見からして、なんとなく花の匂いがするのかと思いきや、マリンは磯臭い。釣った魚の臭いと、そう変わらなかった。
「こりゃあ、大発見だ。お手柄だぞ、坊主」
財前教授は、手に大きな箱を持っていた。ちょうど、子供がひとり入れる大きさだ。
教授はその箱にマリンを放り込み、一旦車に戻った。
帰ってきた財前教授は水色のバケツを持っており、それで海の水をすくって、マリンがじたばたする箱のなかに入れていった。
何往復かして、ようやくマリンの半分ぐらいが、海水に浸かる。
「一旦、大学で保護する。坊主、連絡先は?」
「……あ、お母さんの携帯電話でいいですか? 僕、スマホ持ってなくて。家の電話はないし」
「ああ」
財前教授はポケットから取り出したスマホを取り出し、しばらく操作したあと、それを僕に渡した。
僕は教授の電話帳に、名前と電話番号を入力した。
「また連絡するよ。半信半疑だったが、来た甲斐があった。まさか人魚が見つかるとは。令和初の大発見になるぞ。君も有名になるかもな」
「……テレビとか来たら、困ります」
「誇らしげにすれば、いいのに。……まあ、君が取材されたくないというのなら、報道関係者には伏せておくよ。君の発見だというのは、ちゃんと伝えるから心配しなくていい」
よいせ、と財前教授は箱を持ち上げて、えっちらおっちら運び始める。
「帰りは、ひとりで帰れるか?」
「はい。あの先生」
「なんだね?」
財前教授は箱を車の後部座席に乗せ、ガムテープを使って固定していた。
その背中に向かって、思い切って問いかける。
「人魚が災いを呼ぶって、本当ですか?」
「それは迷信だよ。不老不死伝説と同じたぐいのね」
きっぱりと言われて、僕は血の気が引くのを感じた。
「迷信なんですか? で、でもマリンと出逢ってから、僕の友達が死んでしまったんです」
「それは残念なことだが、お友達の死は偶然だろう。私は理系だからね。科学的じゃないことは信じない。人魚はたしかに未知の生き物だが、災いを呼ぶ生物なんか存在しないよ。まだ不老不死のほうが、可能性があるぐらいだ。人魚の肉の解析は、まだ行われていないからね。彼女は貴重な生物として、適切に扱う。それじゃあね。また連絡するよ」
教授の車が走り去っていく。僕は無駄とわかって、車を追いかけようとして――やはり、やめておいた。
後日、母の携帯に着信があった。
「秋立。財前ってひとからよ。大学の先生ですって」
日曜の昼下がりで、母のパートは今日休みだった。
僕と母が、ふたり並んで昼寝をしていたときに、かかってきたのだ。
母の仕事中にかかってこなくてよかったと思いながら、僕は電話に出る。
「もしもし」
『やあ、秋立くん。人魚は、無事に政府の施設で飼育されることが決まったよ』
「あの……ひどいこととか、してないですか。解剖、とか」
『貴重な生体に危害を加えるようなことは、していないよ。実験のために細胞をもらったりはするが、一部だけだ。解剖はしないから、安心しなさい。それより、君のうちの口座番号を教えてくれ。そこに振り込まれるから』
「……それは、僕にはわからないので、お母さんに代わっていいですか」
『ああ、もちろんだ』
僕がスマホを差し出すと、母は不思議そうな顔をしながら、電話に応じていた。
「――はい。あらまあ、うちの秋立が、そんな大発見を。……わかりました。口座番号ですね」
電話を終えた母は、僕に向き直る。
「今日、外食しよっか。実は、会わせたいひとがいるの」
嫌な予感がしたけれど、僕はうなずくしかなかった。
その夜、再婚したいと思っているの、と母に西堂さんという男性を紹介された。
母と西堂さんは結婚した。僕に反対する理由はなかった。
西堂さんは大企業に勤めるサラリーマンで、僕も母も裕福になった。ボロボロのアパートから出て、新築のマンションに引っ越した。
政府からの振り込みは、僕らが引っ越してから行われた。
「結構な額だから、とりあえず貯金しとくわ。あんたの発見なんだし、あんたのために使いなさいね」
母は僕用の通帳を作ったら、そのお金を移すと言ってくれた。
僕はあのお金で、貧困から抜け出して母を幸せにするつもりだった。だが、そんな必要はなかったのだ。
人魚が災いを呼ぶというのは迷信で、マリンを売った金は生活に影響しなかった。僕の行いは誰も幸せにしなかったどころか、ひとりの女の子を突き落としたのだ。
その頃から、僕は魚を一切受け付けなくなった。
おそらく、マリンへの罪悪感からだろう。
一部、と言ったが「腕まるごと」を切り取って実験していたらどうしよう、と悩んで夢にうなされることもあった。
*
最初のコメントを投稿しよう!