寄生木

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寄生木

「美桜さん?」  声をかけても、彼女は目覚めない。椅子のからくりも、一声上げただけで、それきり押し黙ってしまった。確認しても、パーツを嵌められるところはもうない。明らかに、それ以外の要因によって仕掛けの動きが阻害されている。 「どうして動かない。貴様が、やっているのか」  私は鏡の中の私に問いかけた。誰かのせいだというのなら、こいつ意外には有り得ない。 「そうとも言えるし違うとも言える。私は君だから」 「私に原因があると?」 「君は最後の扉を開いて、終わりに向き合わなくてはいけない」  そう言われて部屋を見回しても、扉は何処にも生えてこない。絶滅したのだ。赤の女王仮説。存在し続けるためには走り続けなくてはならない。適応するための歩みを止めた者は絶滅する。扉は私の暴行のスピードに置いて行かれたのだ。だから私も彼女も、もう何処にも行かない。 「見えないよ、最後なんて! そんなものは無い、早く彼女を目覚めさせてよ!」 「ちゃんと見ろ!」  今まで飄々としていた鏡の中の私が、初めて声を荒げた。鏡越しなのに、掴み掛かられたかのような圧を感じて、思わず私はたじろぐ。 「本当は壁と扉の区別なんか無いんだ、この部屋だって……君の、私たちの前にあるのは、終わりだけだよ!」 「黙れ!」  出鱈目を並べて彼女と私を再会させないつもりか。私は姿見に掴み掛かり、板張りの床に思い切り打ち付けた。何度も何度も。  私が砕ける。辺りに鏡の欠片が散らばる。尖った破片が脚を切り裂くのにも構わず、外枠の原型がなくなるまで、私は鏡だった物で床を殴打した。原形の無くなった鏡を見降ろして、私は息を吐く。  鼓動が収まってくれない。安心を求めて、私は部屋の中を見回した。 「あ」  鏡があった場所に、鏡と同じ大きさの穴が開いていた。どうして今の今まで気づかなかったのだろう。墨で塗りつぶしたような、純粋な暗闇。これが終わりの扉だと本能で理解した。  私の目は私の意志を離れ、穴の先に釘付けになる。深い深い穴の先に、空間に直接書かれた絵のような、現実感の無い風景がぼんやりと浮かぶ。未だ鉱物で覆われた右目から、涙が溢れてくる。  溢れた涙が鉱物だと思っていたものを溶かし、今の今まで機能することを拒んでいた私の眼球が露になっていく。鉱物だと思っていたのは、塩分か何かで固まっていただけだった。対を成した眼球が、像を結び、重なる。立体視。人間が本来、脳で処理するべき視界。  その先にいたのは、天使だった。陶器人形のような肌、波に揺られる塩草のように柔らかい髪、絵に描かれた小鹿のような睫毛、抵抗されようともへし折れそうな腕、立っているよりも空中を飛ぶ方が似合いそうな脚。モルガナイトの艶を映した双眸が、慈愛を湛えてこちらを見ている。  口元に浮かぶアルカイックスマイル。感情を乗せることの無い、笑みの為の笑み。伸びた背丈以外は、出会ったあの日と寸分の変わりなくそこに存在していた。  彼女の彩が伝播するように、黒一色だった風景に色が付いて行く。部屋だ。私は部屋の穴から彼女を見ているはずなのに、向こう側にも同じ部屋がある。 手を伸ばせば届く距離、いや、今まさに私の手を取って、彼女が笑っていた。穴のこちら側と向こう側は、覗いたときからこんなに近かっただろうか。
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