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 解説の反響に悩まされる私を気遣ったのかそうではないのか、彼女は日陰のベンチに座って大道芸を眺めており、私はそんな彼女の横顔を眺めていた。それなりの時間パフォーマンスを眺めていた。今何時だろう。彼女に問おうとするより一瞬早く、彼女が口を開いた。 「私たちに咲いてる花はどんな感じだと思う?」  唐突に彼女が問いかけたのは、奇術師が胸元から取り出した造花の束が目に入ったからだろう。体内の花畑。彼女が館内の展示から得た知識を外での会話に持ってきたのは、これが初めてだった。あれがあの奇術師の体内から出たものだとしたら、彼の体はなるほどポリエステル100パーセントなのだなあと私は納得した。  さあ次はウサギを出しますよ、皆様お立合い。奇術師がトランプをぱらりさらりと鳴らしながら、被っていたシルクハットを人差し指でくるりと回す。奇術師の帽子から出てきたのは、引き伸ばしたユムシ、あるいはグロテスクな水まきホース。そうではないなら、さっきまで館内で見ていた保存液付の腸。 腸が生物が存在するための最小単位だとしたら、これがウサギの腸である場合奇術師は嘘を吐いていない。だが全身のウサギを呼び出すつもりで体内の一器官しか生成できなかったのなら、随分未熟な奇術師だことだ。  その自称ウサギがこちらに顔を向け、ぽっかりと空いた穴と目が合う。次の瞬間、私は穴の中に落ちていた。  DOWN,DOWN,DOWN。穴の中へと落ちていく。ウサギの穴に落ちるってこういうことじゃないよな、と落下しながらぼんやりと思った。  赤い腸壁が視界を埋める。目を凝らすと表面は滑らかではなく、芋虫のような絨毛で覆われていることが分かった。絨毛にはさらに細かい毛が生えて、ビロードの様相を呈している。一度毛が生えていると認識すると、芋虫と言うよりウサギの耳のようだ。何だ、ウサギは中にいたのか、ならばあの奇術師もあながち藪と笑うのは失礼だったかもしれない。壁を埋め尽くすウサギの耳。耳耳みみみみみ耳。落ちる。ウサギの穴を落ちる。ウサギで出来た穴を落ちる。ウサギで満たされた穴を落ちる。ウサギ。追われるもの。見たことの無い世界へと誘ったもの。落ちる。ウサギのような彼女に。  落ちた先は地下でも鏡でも不思議の国ではなく花畑だった。赤い土に根差した花々が、同系色の者同士で寄り添って震えている。余所者である私を警戒しているらしかった。 「彼女が欲しがった答えが見える?」  涙ではなく腸液の池に映った私は、チェシャ猫のように歯を見せて、口だけで笑っていた。いつの間に歯が生えたのだろう。落下している間に生えたというのなら、栄養分を消化する腸の役割とあべこべではないだろうか。それとも私は落下しながら自覚がない程度に原形を留めずに溶け、再構成されるときに骨のカルシウム分が割り当てられて歯が生えたのだろうか。 「彼女に聞かせるなら、私の体も開かないと」  喉から、人語が漏れ出る。散々聞きなれた、不愉快なアルト。歯だけではなく舌も生えていたらしい私の口に、発話機能が搭載されたらしい。池に映った自分の歯は、そこそこ鋭利な犬歯だ。これで手を傷つけてそこから体を割けば私の内臓の中身も確認できるだろうか。そんな思考とは関係なしに、歯が突き立てる者を欲している。随分口に物を入れていない気がした。 「まあまあ」  水面の私が慌てて静止する。そういえばこちらとあちらの体は連動しているのだろうか。体の器官の変化は同期しているようなので、こちらの体が割けたらあちらが困るのだろう。前に勝手にしゃがんだり笑ったりしていたので動きに関してはそうでもないかもしれない。 「あの部屋に来てから何も食べていないのは確かだが、久々の食事が自分自身というのはいただけない。別の物にしたらどうだろう」  別の物と言われても、茸もスープもパイも無い。あるのは無数の花、花、花。私は花のうち、ひと際鮮やかに咲いている一本の首元をちぎって口に含んだ。砂鉄と土の味がする。胡椒も無いので調味はできないが、中々乙な味だと思った。他の花たちが仲間の末路に恐れおののいてさざめく。一本、また一本と、赤い粘着質な土を纏ったままの花を口に含みながら気づく。自分の体の中がこの花畑と入れ替わってしまえば、体を割いて確かめる必要は無い。  花を嚥下するたびに、体が大きくなっていく気がした。体内で花が茎を伸ばし、細胞の一つ一つに入り込んで隙間を開けているのだろうか。ウサギの耳で満たされた通り道が、再び視界を埋め始める。花。体内に咲く花。養分を吸い続ける花。思考回路を操る花。彼女の花を食い尽くした私の体内には今、彼女と同じ花が咲いているのだろうか。彼女の考えたことが分かるのだろうか。  そう、私は彼女の考えが知りたかった。私を世界に誘い出した彼女。どうして彼女に私が必要だったのか。答えの無い問いである筈がない。彼女になれば解かる筈。答えが分かれば、答えである状態を永遠に維持できれば、幸せな時間が続く筈。 「それが無ければ、私なんてただの寄生者だものね!」  どちらの私の声なのか分からぬ叫びと湿った破裂音と共に、私の視界は例の部屋に引き戻されていた。
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