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腸が弾けた衝撃で、私は板張りの床にごろごろと転がり落ちた。彼女の花に広げられたはずの体は元の大きさに戻っているが、私が留守のうちに部屋が膨張した可能性もある。
久々に感じる満腹感と彼女の細胞が私の細胞に根付く感触に身を任せ、暫く私は大の字になって床に張り付いた。しばしだらけていると、天井の染みの存在に初めて気づく。先程飛び散った腸が付けたのかもしれないが。一面の白にこびり付いた紅色は、咲く時期を間違え、雪の中に顔を出した花のようだった。
出来立ての内臓がぐるぐると音を立てているのは、あの博物館で学んだ拒絶反応という奴だろうか。私という精神に彼女を拒絶する意思などある筈がないのに、私という体が持つ免疫反応はその辺を把握していないのか。
少しずつ、体を慣らすように摂取した方が良かったのかもしれない。最近では花弁のジャムや菓子があるというから、保存がきくように砂糖と煮詰めて、マーマレードの空き瓶にでも詰めておけば良い。最初は一日一匙とかその程度を。パンに塗ったり、食事のソースに使ったり。ある程度の量を食べても大丈夫になったら、タルトにしよう。紅茶にも彼女を入れて、誰にも盗まれないようこっそりと嗜むのだ。それでも食べきれなかったら、まあ、その時思いつくままに色々試せばいい。どんなものにも彼女は良く馴染むだろう。
もし私が彼女を食べるのを彼女が羨ましがったら、お返しに彼女には私を食べさせてあげればいいだろうか。でも彼女が私を取り込んで、私の知る彼女から変質してしまうことを考えると、嫌ではないが何故か胸がざわつく。それに、私に彼女ほど調理法の融通が利くとも思えなかった。きっとどんな料理に使っても調和せずに浮いてしまうのだろう。だからこの案は却下だ。彼女が目覚めるまでに、納得してもらうだけの断り方を考えておかないといけない。
そういえば、椅子のパーツを拾ってこられなかった。自分の歯を何本か抜いて椅子に与えて帳尻を合わせよう。口の中に指を入れようとした瞬間、おーい、と厭味ったらしい声が耳元を撫でる。私は聴覚器官を成す亀の手の、蠢く蔓脚を引き抜きたい衝動にかられた。
「歯も骨も抜く必要は無いよ、私が拾ってきておいたから」
起き上がって姿見を見ると、いつの間にか手の中にはくり貫かれた博物館のボタンが握られていた。絶えず解説音声を響かせていた、あのボタンだ。あの博物館はようやく静かになったのだろう。椅子にボタンを嵌め込み、押してみる。動かない。キャビネットのような椅子と、標本のような彼女。
まだ足りないらしい。私は口の中に指を突っ込んだ。親知らずを抜こうと私が難儀していると、鏡の中の私は呆れたように溜息を吐いた。
「自分の体でツケを払うのはもっと後で良いだろう。今君にそうされるとこっちは困るんだ」
やはり向こうとこちらの体は連動しているらしい。ならば別れ際に爪の一つでも剝いでやろうか。こちらと向こう、二重の悲鳴が部屋に響くのを想像しながら部屋を見回すと、いつの間にか新しい扉が生えてきている。繁殖サイクルが早いらしい。
扉の大きさは、先ほどよりも少し小さくなっているようだった。この短期間で身を守るために進化を遂げたのだろうか。本体と一緒に小さくなった取っ手は、確かに掴んで捻り上げることが難しくなっていた。この調子で小さくなり続けたら、最後のパーツを持ち帰るころには自分の体を縮めなくてはいけないかもしれない。私は小さくなっても生存に有利にはならないと認識させるため、扉の土手っ腹に蹴りを入れた。このまま小さくなられては困るという事をご理解いただけただろうか。
泡を吹いて痙攣している扉を一瞥し、私は身をかがめて扉の中へ入って行った。
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