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塵の先は例の部屋だった。体が埃っぽくなったような気がして、私は床に這いつくばって咽る。服を着替えたい。髪も結びなおしたい。彼女が目覚める前に、身づくろいをしたかった。なのにこの部屋の姿見は、不愉快な笑みを浮かべたもう一人の私しか映してくれない。
諦めて埃を払う程度で妥協し、私は彼女の顔を覗き込む。顔色も表情も、この部屋に来た時から何一つ変わらない。
まだ目を覚まさない彼女の髪を、何となく向こうから持ち帰った櫛で梳いてみる。流水を梳くかの如く、一切引っかかることなく、滑らかに通る。装飾品の無い、誂えたてのの絹糸のような髪。私は時間の流れと共にリボンが似合わなくなったが、彼女は成長しても相変わらず、シンプルなリボン一つで髪を纏めるのが一番美しかった。
服装に対して派手すぎないように、パステルカラーのリボンを選ぶことが多かったし、彼女もそれを気に入っていたと思う。だが今の彼女には、どうしてだろうか白いリボンが似合う気がした。あの扉の向こうで手に取ったリボンが、灰になって消えてしまって、持って帰れなかったことが惜しい。トルソーのような椅子と、マネキンのような彼女。反応は無い。
「無駄なことしてないで、さっさと椅子を直しなよ」
私は渋々、櫛を歯車の隙間に差し込んだ。きりきりと音を立てて吸いこまれていく。歯車同士が引っかかってからくりの動きを阻害しているのなら、この櫛が引っかかりを解いてくれるだろうか。そんな淡い期待は裏切られ、からくりは静かにそこに存在するだけだった。
黒く染まった扉に向かうと、取っ手に妙な感触を覚えた。よく見ると、扉は黒くなっていたのではなく、全体に黒い蔦を絡めて開くことを拒んでいた。多くの真核生物が酸素代謝のため好気性細菌と共生したように、生存のために別の物質を取り込んだのだろう。
日々進化する扉に爪の先程の敬意を払いつつ、力任せに引き千切ろうと試みた。扉は少しの間抵抗したが、やがて体力の限界を迎えた。エアークッションを捻じったような音を立てながら、蔦は覆っていた取っ手諸共千切れて床に落ちた。
どのような甘言で共生を持ちかけたのかは今となっては知る由もないが、却って危害を被る機会を増やされた蔦が不服そうに葉を鳴らす。やがて報復とばかりに扉を締め上げ、哀れ扉は粉々に砕けた。先に進もうと歩を進めたが、床を埋め尽くした蔦は思っていたよりも滑りやすく、私は転んで、扉の先へ雪崩れ込むように倒れた。
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