夜想曲、転調

1/2
前へ
/2ページ
次へ
 スマートフォンのアラームが鳴り響き、俺は目が覚めた。  少し急かすようなテンポのそれは15分刻みに設定している三回目のアラーム音だった。  寝坊した……心の中で舌打ちし、飲み過ぎて少し痛む頭を叩く。  鳴りっぱなしのアラームをよそに、出勤の支度を始めるためソファから起き上がった。  楽しかった――。  俺は歯磨きと寝癖直しを同時に進めながら昨夜のことを思い出していた。  昨日は5度目の結婚記念日だった。  最初の頃は張り切って少し値の張る外食をしていたのだが、妻の「外だと落ち着かなくて酔えない」という要望もあって、最近では自宅での祝宴に切り替えていた。  普段お互いに仕事が忙しく、なかなか纏まった時間が取れないため結婚記念日は二人にとってとても、とても大事な時間だった。  妻からの幾度かの催促の連絡に都度謝りながら、どうしても処理しなくてはいけない書類を片付けて家に帰ったのが20時過ぎ。  待ちくたびれた様子の妻だったが、閉店間際に飛び込んだ店で買った土産の赤ワインをみて嬉しそうに微笑んだ。  まだ十分に開ききっていない、寝ぼけた目つきをした鏡の中の俺の口元が緩んだ。  愛車のMAZDA3で20分ほどの会社に到着し、自分の机に置かれているパソコンの電源を入れる。  会社は週休二日制で土曜の今日は本来休みなのだが、俺の仕事には関係なかった。他にも同じ境遇の者が数名出勤していて雑談や前準備をしている。 「おはようございます、どうしたんですか?」  後輩に声を掛けられ、俺は自分の口元がまだ緩んでいたことに気が付いた。いや、もしかしたらもっと酷くてニヤケていたのかもしれない。どちらにしても最悪だ。 「ああ、まあ昨日ちょっと、な」  それだけ言い、好奇心を煽られて何か言おうとしている後輩を残して喫煙室へ向かった。  ラッキーストライクを吸いながらスマートフォンを取り出し妻にメッセージを送る。昨日の楽しさを早く共有したかった。  妻の用意してくれていた料理はとても美味しく酒も進み、会話も弾んだ。  学生時代の話、新婚旅行の話、共通の友達の話。  流れるように会話は移りまた戻り、とりとめもなかったが妻も上機嫌で大いに盛り上がった。  少し待ったが既読にならなかった、まだ寝ているのだろう。  俺自身ワインを3本ほど空けた頃には連日の激務と深酒が祟り眠気を催してきたのは憶えている。  おそらく妻はそれ以上飲んでいただろうから仕方ない。  俺はスマートフォンをポケットに突っ込みラッキーストライクを揉み消して自分の机へと戻った。  昨日の結婚記念日に間に合わせるために途中で切り上げた仕事から片付けなくてはならない。  午後を少しまわり、ようやく仕事の区切りが見えてきた。  軽く伸びをし、空腹感を覚えて鞄から弁当を取り出す。  昨日遅くまで一緒に飲んでいたのに弁当を用意してくれている妻に感謝しつつ、包みを解き蓋を開けた。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

7人が本棚に入れています
本棚に追加