6人が本棚に入れています
本棚に追加
大事な落とし物
展望台へ上るチケット売り場に並ぶ私。
夏休み期間とはいえ、平日の夜なのでそんなに混んでいない。
ふと、隣の列で私の少し前に並んでいる人が気になった。そんなにガッシリしていないが、スラッと背が高い。それだけじゃ気になどしない。
なにが気になるかって?
夜とはいえこの真夏に長袖の薄めのパーカーを着ていらっしゃるところ。
まあ、近頃は性別問わず日焼けやお肌に気を遣う方も増えているし、すごく寒がりかもしれないし、腕に隠したいキズとかあるかもしれない。
とびきりオシャレでもない私に、人の服装にとやかく言う権利はないのだけど。
「暑そ……」
と、心の中で一言だけ感想を述べた。
暑がりな私には到底マネできないスタイルなので、気になったというわけだ。
さらに、私にチケットを買う順番が回ってくると、列が追い付きほぼ横並びになった。
覗こうとするほど気にしてないし、私も支払いにあたふたしていた。それでも、視界の端に入ってきた情報に思わず心の中でツッコミを入れた。
「いや、怪し……!」
パーカー暑そうだなと漠然と思ってたのに、いつの間にかフード被ってるし。
さらに、横まで来たらマスクと伊達っぽいメガネまでかけているのが見えたのだ。
そんなことを思っているうちに、その彼が先に支払いが終わった。私もおつりを受け取り、お財布に小銭をしまいながら展望台行きのエレベーターの方へ向かう。私の少し前を、怪しい彼が歩いていた。
「いや、嘘でしょ……」
私もおっちょこちょいなところがあると自覚しているが、彼もなかなかなのか?
あまりに絵に書いたように、少し後ろを歩く私に見守られながら彼のキーケースがポケットからするりと落ちた。彼は全く気付いていない。
知らない人に、ましてや怪しい人に声など掛けたくなかったが、さすがに見過ごせない。仕方なく、それを拾う。
「いやいやいや、嘘でしょ……」
拾ったキーケースには、私のバッグに付いているのと同じものが付いていた。
私の大好きな推しグループのグッズが……
あの彼も好きなのか?
それとも半ば強制的に彼女に付けられたとか…?
そんなことを考えている場合ではなかった!
キーケースなんて大事なもの、早く所有者のもとへ返さなければ。スタスタッと小走りで追い付き、ひと息深呼吸して声をかける。
「あ、あの……!コレ落としましたよ?」
もしかして自分か?
という感じで、ゆっくり彼が振り返る。
私が差し出しているキーケースを見て、メガネの奥の彼の瞳が一瞬見開いた。
『え、僕?あ、ありがとうございます……』
背の高さとは裏腹に、とても気まずそうに後半消え入りそうになっていく彼の声に疑問を感じた。
え、私のしたことおせっかいだったかな?
そこで初めて、迷惑だったかな?という不安から、彼の瞳をのぞき込むように直視した。
「……へ?!」
今度は、私が目を見開く番だった。
マスクやメガネやフードで隠す必要性の、その答えを知ってしまった私は、息を呑んだ。驚きすぎて、声が出ない。なんて言うのが正解なのかわからない。
生きているうちにこんなシチュエーションに出会うなんて、想像もしなかった。頭の中がぐるぐるしている。でも1周まわって答えが見つからず、私の思考は停止した。
私がのぞき込んだお顔は、さっきここに来る前に、日々の癒しとして観ていたMVの中で輝いていた人と同じだった。
衝撃的すぎて、ちょっと倒れそう。
でも、これが現実。
"私の推しが、私の目の前に立っている"
最初のコメントを投稿しよう!