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「うわ、これ足にくるな」
二人はスワンボートで湖上を漕いでいた。
「あんまり遠くに行くと帰れなくなるね」
いま、湖上はカップルのスワンボートだらけだ。あまり近くなるとおたがいきまりが悪いので、スワンボートの集団から離脱しようと沖にむかって一直線に漕いでいるところだった。
「あー、でも風が気持ちいいわね」
きょうは薄曇りで、日差しも弱い。汗をかくほどの気温でもなく、軽い運動をするにはちょうどいい天気だ。
「そうだね。おなかもいっぱいだし、眠くなってくるな」
「悠人君、帰りの運転もあるんだし、すこし横になって休んだら?」
「えー? ここで? いっしょに寝る?」
「ばか」
くだらないなあ、と玲奈は思った。でも、こんなくだらなさすら、抑圧されていた。外にでてはいけない。人に会ってはいけない。そんな社会生活の根本を、強制的に制限されたらだれだっておかしくなってくる。
自殺が多いと、看護師の佳奈がいっていた。たしかに気が滅入る。
玲奈には悠人がいてくれて、いっしょにいるだけでしあわせだから、不便はあるけれど、自殺に至る気持ちはわからない。
でもたしかに今の状況が、どこかの誰かを最悪の事態に追いつめているのだ。
(なんだか震災のときに似ている)
あのときも、被災しなかった人たちは、ひっそりと息をひそめていた。被災した人たちは、感情が不安定だった。なにかが誰かの引き金になってはいけない。そんな気持ちだった。
ここでスワンボートに乗っている人たちは、みんな笑顔だ。走ったりボールを追いかけている子どもたちも、それを見守る親たちも、みんな笑顔だ。
「やっぱりさー、外に出るって大事よね」
しみじみと玲奈がいった。
「そうだね。この状況でクラスターなんて発生しないだろうしね」
「きょう来れてよかった。悠人君、ありがとう」
「うん、俺もよかったよ。玲奈も楽しんでくれたし」
二人で顔を見あわせて、クスクスと笑い合った。
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