2020年6月

1/3
前へ
/76ページ
次へ

2020年6月

 緊急事態宣言は解除になったものの、いまだに双方の実家には行けていない。感染者の多い東京から、地方へ出かけていっていいものか、ためらいがあった。  もしかしたら、症状がないだけで感染しているのかもしれない、という疑惑はぬぐい切れない。 「もしもし、おかあさん」 「ああ、おつかれさま」  今日は出勤日だった。電車に乗るまで玲奈は母に電話している。 「なんか行きずらいよね」 「近所の人に見つからないように、こっそり来てこっそり帰ればいいんじゃないかな」 「ええー、犯罪者じゃあるまいし」 「でもね、こっちで感染した人は嫌がらせがひどいんだって。家に張り紙されたり、電話かかってきて、怒鳴られたり」 「まじで? そんなことになってるの?」 「佐々木さんがね、そういってた」  佐々木さんは母より十才ばかり年上の 近所のおばさんだ。 「でもさ、それほんとかなって思うのよね」  と母は続ける。 「会社にまでいたずら電話や、メールが来ていられなくなってやめたとか」 「うそー」 「学校でいじめられて、転校したとか」 「ほんとにー?」 「県外に引っ越したとか」 「まじでー?」 「あんまりもっともらしくいうから、知り合いなのって聞いちゃったのよ」 「知り合いだったの?」 「ちがうちがう。また聞きなのよ。あの人交流関係広いから。それなのにいいふらすんだもん。こうやって流言って拡散するんだなって思ったわよ」 「いちばんやっちゃダメなやつじゃん」 「だよねー。だからあの人信用できないのよ」  母は佐々木さんを信用していないらしい。待てよ。と玲奈は思った。 「もし帰って、佐々木さんに見つかったら何いわれるかわかんないじゃん。危なくない?」 「そこはちょっと危ないかもね」 「もうちょっと待ったほうがいいかな」 「そうねぇ。来月くらいになったら、状況が変わるかもしれないし、すこし様子見るか。なんかごめんね」 「いやー、おかあさんがあやまることじゃないよ。でもさ、進まなくてなんか焦る」 「それはわかるけど。思い通りにならないっていうのは、おもしろくないわよね」 「そう、それがウィルスのせいって、なんだろう。アルコールで死ぬくせに蔓延するって生意気だわー。腹立つ」 「ほんと、生意気だわ。踏みつぶしてやるわ」 「うん、こっちでも踏みつぶしておくね」 「たのんだよ」 「じゃあね」 「じゃあね」  しょうもない会話である。
/76ページ

最初のコメントを投稿しよう!

163人が本棚に入れています
本棚に追加