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2020年6月
緊急事態宣言は解除になったものの、いまだに双方の実家には行けていない。感染者の多い東京から、地方へ出かけていっていいものか、ためらいがあった。
もしかしたら、症状がないだけで感染しているのかもしれない、という疑惑はぬぐい切れない。
「もしもし、おかあさん」
「ああ、おつかれさま」
今日は出勤日だった。電車に乗るまで玲奈は母に電話している。
「なんか行きずらいよね」
「近所の人に見つからないように、こっそり来てこっそり帰ればいいんじゃないかな」
「ええー、犯罪者じゃあるまいし」
「でもね、こっちで感染した人は嫌がらせがひどいんだって。家に張り紙されたり、電話かかってきて、怒鳴られたり」
「まじで? そんなことになってるの?」
「佐々木さんがね、そういってた」
佐々木さんは母より十才ばかり年上の
近所のおばさんだ。
「でもさ、それほんとかなって思うのよね」
と母は続ける。
「会社にまでいたずら電話や、メールが来ていられなくなってやめたとか」
「うそー」
「学校でいじめられて、転校したとか」
「ほんとにー?」
「県外に引っ越したとか」
「まじでー?」
「あんまりもっともらしくいうから、知り合いなのって聞いちゃったのよ」
「知り合いだったの?」
「ちがうちがう。また聞きなのよ。あの人交流関係広いから。それなのにいいふらすんだもん。こうやって流言って拡散するんだなって思ったわよ」
「いちばんやっちゃダメなやつじゃん」
「だよねー。だからあの人信用できないのよ」
母は佐々木さんを信用していないらしい。待てよ。と玲奈は思った。
「もし帰って、佐々木さんに見つかったら何いわれるかわかんないじゃん。危なくない?」
「そこはちょっと危ないかもね」
「もうちょっと待ったほうがいいかな」
「そうねぇ。来月くらいになったら、状況が変わるかもしれないし、すこし様子見るか。なんかごめんね」
「いやー、おかあさんがあやまることじゃないよ。でもさ、進まなくてなんか焦る」
「それはわかるけど。思い通りにならないっていうのは、おもしろくないわよね」
「そう、それがウィルスのせいって、なんだろう。アルコールで死ぬくせに蔓延するって生意気だわー。腹立つ」
「ほんと、生意気だわ。踏みつぶしてやるわ」
「うん、こっちでも踏みつぶしておくね」
「たのんだよ」
「じゃあね」
「じゃあね」
しょうもない会話である。
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