2020年8月

1/8
前へ
/76ページ
次へ

2020年8月

 感染が拡大している。このままではお盆の帰省もあやしい。さすがに玲奈も焦ってきた。焦ってみたところで、自分でどうにかなる問題でもない。  悠人はというと、もはや焦りを突き抜けて悟りの境地である。 「なるようになるさ」  と、シャンソンの歌詞のようなことをいい出す始末だ。次に何をいい出すのかと、それはそれでおそろしい。結局二人で手をこまねいていた。  打開策がなくても、仕事はある。玲奈の会社では社員が半分ずつ出社している状態だ。  出社時間は、九時半と通常より少し遅い。通勤ラッシュを避けるためだ。玲奈が会社に着いたときには、すでに企画開発課長の真田の姿があった。 「あれっ? 課長、もういいんですか」 「ああ、だいじょうぶだよ。留守の間悪かったね」    真田課長の父が、新型ウィルスに感染して亡くなった。葬儀のために三日ほど休みをとっていたのだ。 「とんでもないです。お悔やみ申し上げます」 「ああ、ありがとう」  と真田課長は頭を下げた。 「いやー、まいったよ。陽性だって連絡があってから三日で亡くなったんだ。高齢者だから仕方ないっちゃ仕方ないんだけど」  死はいつでもすぐそこに潜んでいる。ふだんは巧妙に隠れているくせに、なにかのはずみにひょいっと顔を出すのだ。  そして 「おまえたちの命など、わたしの匙加減ひとつなのだ」  とあざ笑う。  あまりにも身近に現れた死に、玲奈は背筋が粟立つ思いだった。  震災当時、あちこちに乱雑にばらまかれた死が恐ろしかった。 (いやだな。またあんなふうにならないといいけど)  玲奈の会社では、感染者は出ていないが、悠人の会社では三人出たといっていた。フロアがちがうので悠人は濃厚接触者にはあてはまらなかった。  そのほかに、濃厚接触者に該当して、自宅待機している社員も何人かいるらしい。  いつどこで感染するかわからない。じわじわと侵食されていく。そんな空気が漂っていた。 「うちの親は、老人施設に預けていたんだよ。そこで集団感染したんだな。免疫の弱った高齢者ばかりだから、あっというまだよ」  パソコンを立ち上げながら課長がいった。 「安心して暮らせるように、預けたのにな。逆効果だったとは」 「不測の事態ですもん。仕方ないですよ」  課長は看取ることができなかったのだ。それを悔いている。ことば尻に表れていた。それを思いやることばが、玲奈は見つけられなかった。
/76ページ

最初のコメントを投稿しよう!

163人が本棚に入れています
本棚に追加