花火なんて、やっぱり嫌いだ

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 一年で一番忙しいこの時期に、のほほんと夏休みを過ごしている息子がいるなど、経営者としては体裁が悪いに決まってる。  だけど、嫌なものは嫌なのだ。  小さい頃に一度だけ母に連れられて行った工場の様子を思い出し、俺は大きく息をついた。  クラフト紙を貼り付けながら、休むことなく世間話に花を咲かせる近所のおばちゃん連中。  そんなところに年頃の男が入ってみろ。たちまち話のネタにされること間違いなしだ。  まさに飛んで火に入る夏の虫。あんなことやこんなことなど根掘り葉掘り聞かれて、面白おかしくからかわれるに違いない。  何が悲しくて、青春真っ盛りの高二の貴重な夏休みを、おばちゃんたちの餌食にされなきゃならんのだ。  それに、そもそも俺は、花火が嫌いだ。 「やなこった」  短い昼休憩を終え、再び作業場へと戻る家族たちの忙しない足音が消えた頃、ようやく俺はゆっくりベッドから立ち上がり、欠伸をしながら大きく伸びた。  明治時代に建てられたというこの家は、歩くたびに床が軋む。ガタつく引き戸を開けて廊下に出ると、湿気を含んだ重い空気が容赦なく身体にのしかかった。 「あっつ」  Tシャツを胸までめくり、腹を掻きながら階段を降りかけた俺は、目の前の光景に息を呑んだ。 「てっちゃん、おはよう」  視線の先には、淡い水色のエプロンをつけた、立花(たちばな)椿(つばき)が立っていた。 「な……んで?」  全ての時が止まり、俺の意識はただ一点に注がれる。 「早く降りといで。今潔子(きよこ)さんが、そうめんつゆキンキンに冷やしてるから」  潔子さんは、毎年繁忙期になると頼んでいる家政婦さんだ。 「ああ、うん。……じゃなくてっ」  くるりと踵を返す椿の背を、俺は慌てて追いかける。一段ずつ降りるのももどかしく、最後は三段跳びで着地した。
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