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「…ふむ、確かに。いつからこう呼ばれてるんだっけかなぁ」
今にも噛みつかんばかりの童子に対して、カヤはどこまでものんびりと宙を見上げる。
「生意気な新入りめ、これ以上言うなら灸の一つも据えてやろうぞ」
箒神が唸るようにそう言うと、童子はぎくりと身体を強ばらせた。
「まあまあ。お供え物が一つくらい無くなったって、いっちゃんは見て見ぬふりしてくれると思うよ」
"いっちゃん"とは、ここ伽久山神社の神主である、"伽久山出水"の愛称である。
彼女がまだ小さかった頃、神社に遊びに来た友達は皆「いっちゃん、いっちゃん」と彼女を慕い、カヤもそれを真似て呼び掛けたものだった。
その頃の癖が、今もうっかり口を付いて出てしまう。心の内で、カヤはこっそり苦笑した。
カヤの穏やかさに根負けしたらしい箒神は、不本意ながらも手を放す。
刹那、童子は風のように駆け抜けていった。
「全く、近頃の若いもんは心持ちがなっとらん。ワシらは居候の身の上だというに…」
「それはそうだろうけど、いっちゃんは皆のこと、迷惑には思ってないと思うよ。むしろあの子が来て喜んでるんじゃないかなぁ。これでまた賑やかになった、ってさ」
カヤの言葉に、箒神は細い目を見開いた。
「やはり、カヤ殿もそう思われますかな。神主殿には、ワシらの姿が見えておると。」
妖や精霊の姿は、普通であれば人間の目に映ることは無い。
しかし稀に、八百万の神々に近しい人間――例えば、代々続く神社の血筋を継ぐ者などには、見える事もあるようなのだ。
「うーん、姿が見えたり、声が聞こえたりなんかは、しないみたいだけど。でも子供の頃から、僕らの気配はなんとなく感じてるみたいなんだ。今もよく話しかけてくれるし」
物心ついた頃から、彼女はこの千年桜の世話をよくしてくれた。
その口から零れる言葉がカヤに向けられたものなのか、それともただの独り言なのか、いくら聞いたところで聞こえないのだから仕方がない。
「未だに"いっちゃん"なんて呼んでるってバレたら、怒るだろうなぁ」
「いやいや、幼き頃より見守ってきたカヤ殿には、それも許されるでしょうぞ」
豊かな自然が残るこの街でも、昔ながらの妖たちがのびのびと生きられる場所は、今ではほとんど無くなってしまった。
そんな中、この神社の周辺だけは、まるで時が止まったかのように澄んだ空気が満ち溢れ、その居心地の良さから、小さな妖や精霊たちが集まって来るのだ。
その清浄さの根源が、悠久の時を経て神性を帯びたこの桜であることは、言うまでもない。
そうした長い年月の中で、何体もの妖たちを受け入れてきたカヤは、いつの間にやら彼らの中心的、というより、保護者的存在になっていた。
「おや、噂をすれば、神主殿のお帰りのようじゃ」
箒神の言葉に、カヤも顔をあげる。
石段をゆっくりと登ってくる音。客人でも連れてきたのか、足音は二つ響いている。
頭の先から少しずつ姿を現す、二つの影。神主の出水と、もう一つは――
――!!
その姿をみとめるなり、カヤの表情が凍りついた。
出水に連れられ、境内に入って来た少女。中学生くらいだろうか。
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