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草履を引っ掛け、慌てて追いかけて来る出水。
――走ったらいけない?
少女は、何処か身体の具合でも悪いのだろうか。
カヤがそんなことを考えている間にも、紫波というらしい少女は桜を見上げ、感嘆の溜め息を漏らす。
「立派な桜だね…」
「平安時代からあったそうだからね。でも、ここ数年お花は咲かなくなってしまったけれど」
「えっ」
出水の言葉に、紫波は弾かれたように振り向く。
「お花、咲かなくなっちゃったの!?春になっても!?」
「ええ。…この桜も、もう歳だからねぇ。仕方のないことかも知れないわね」
「そっか…」
紫波はしょんぼりと俯き、それからまた桜を見上げた。
「残念。おばあちゃんに聞いてから、いつかお花見するの、楽しみにしてたんだけど…」
その眼は――その澄んだ瞳は、まるでカヤの眼を、真っ直ぐに見つめているようで。
「今年は、頑張って咲いてくれないかな。1度でいいから、見てみたいなぁ」
――その言葉が、笑顔が、カヤの心に深く、突き刺さる。
千年前から、決して癒えることの無い傷痕に。
「さ、紫波ちゃん。寒いから、もう中に入りましょう」
「うん…」
言われて、紫波はまだ桜を気にしつつも、出水に従って社に戻って行った。
――…
俯いたカヤの顔に、大地色の髪が影を落とす。
ごめん。ごめんね。
結局君に、花を見せられたことは1度も無い。
何度も此処に、会いに来てくれたのに――
北風が枝を揺らす。枯葉の漣と衣擦れの音。
――と。
「あの娘、何らかの呪をかけられているな」
風音の中、凛と澄み渡る声。
はっと現実に立ち返って、カヤは声の主を見やる。
桜の根元に、音も無く現れた人影。
幹にもたれつつ、紫波のいる社のほうを、じっと見つめていた。
すらりと長い手足、端正な顔立ち。白と金のしなやかな衣を纏ったその体躯から、隠形しきれぬ神気が滲み出ている。
そう、彼女もまた、伽久山神社の"人為らざる"住人の一人。
その姿をみとめるなり、カヤは小さく苦笑した。
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