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重い瞼を開けたら、目の前で火が燃えていた。
(焚き火……)
顔に赤々とした光があたっている感覚がある。すでに、夜のようだ。炎以外のすべてが闇に沈んでいる。ぼうっと火を見ているうちに目が慣れてきた。辺りを取り囲む影は木々で、ここは森の中らしい。
そのうちに、自分はいったい何を枕にしているのだろう、と疑問を覚えた。地面ではない。
ゆっくり体を起こす。
至近距離に、ひとがいた。
一言も発することなく、フィオナを見ていて、視線がぶつかった。
氷を思わせる、色素が薄くて透き通った水色の瞳。肌は白く滑らかで、秀でた額に通った鼻梁、引き結ばれた唇まで、どこを取っても類稀な造形をしている。髪は銀色。
泥に汚れた白の聖騎士の制服を身にまとっていてさえ、何ほども損なわれない際立った容貌。
「副団長の……」
「メルヴィン・グリフィスだ。動いて大丈夫か」
その声は、止まない雨の騒音の中で聞いたときとは、ずいぶん印象が違う。若く瑞々しいが、落ち着いている。耳が痺れそうな美声。
「大丈夫だと思います」
答えた側から、フィオナは体を支えていられなくてその場にずぶずぶと沈み込んだ。おそらく、長らく枕にしていただろう、彼の太腿へと。
(膝枕……? 膝枕って、なんで膝枕って言うんだろう。腿だよな)
まわらない頭で考えながら、寝返りを打つことすらできない、異常な体の重さを実感して、ため息を吐き出す。
「助けに来たはずなのに、助けられたみたいだな。ありがと」
「こちらこそ。あのままだと甚大な被害を出すところだった。君の働きには感謝している」
低く、染み込んでくるような声音に耳を傾けながら、フィオナは目を閉ざす。なんだか気持ち良いな、と思ったが次の瞬間猛烈な吐き気がこみ上げてきて、渾身の力を込めて寝返りを打ち、地面に転がった。
げほ、ごほ、と片腕だけで体を起こしながらうつ伏せで咳き込んでいると、そっと背中を撫でられる。加減が優しく、心地よさがじわりと広がってきた。
「治癒魔法、つかってくれてる?」
「気にしないように。ずいぶん水を飲んでいた。気持ち悪くなっても不思議はない」
「水をって……、まさか救助時の人工呼吸とか処置は全部あなたが?」
背中を撫でる手はそのままだったが、返事はすぐにはなかった。間をおいてから「他に誰もいない」とそっけない一言が返った。
しばしの沈黙の後、フィオナは地面にごろりと体を投げ出す。仰向けになってメルヴィンを見上げつつ、「だいぶ気分良くなってきた」と告げた。
視線を転じると、木立の向こうに、夜空が広がっていた。
「川に落ちて、だいぶ経っている?」
「伝導石を使って、連絡はつけている。ふたりとも無事と伝えた。すぐに死ぬほどの衰弱ではないし、雨も上がってしまえば、幸いにも今は夏だ。『夜間の捜索隊を出す必要は無い、朝になってから帰路について改めて相談したい』と言ってある」
問いかけに対して、十二分な説明。
フィオナは無言で頷き、目を閉ざした。疲れていた。そのまま眠りに落ちそうだったが、ふわりと体が浮いた。背中に腕の感触。メルヴィンの膝に抱き上げられている。
「……なんのつもりだ」
「炎すれすれ。寝返りひとつで飛び込んでしまう」
「あなたみたいな綺麗な男に言うのは自分でも気が引けるけど、私は女だぞ」
「うん」
「みだりに触れるな」
「焼死体にするわけにはいかない。朝まで無事でいると君のお兄さんに連絡済みだ」
話がついているのであれば、フィオナの名前や素性もとうに知っているに違いない。あらためて名乗る必要もないかと、目は瞑ったまま。
不意に、このままでは、このひとに抱かれたまま再び寝ることになると気づく。
体はしんどい。もう指の一本でさえ、動かしたくない。メルヴィンの腕の中にいた方が、地面で寝るよりずいぶん快適なのもわかる。炎に炙られる心配もない。
だが、目を閉ざす前に見た彼の絶世の麗人ぶりを思い出してしまえば、鼓動がおかしくなりそうだった。
その意味もわからぬまま、フィオナはわざわざ重い口を開いて、軽口を叩いた。
「しかし、副団長が最後だなんて。あなた、戦場でもそんな指示だすの? 味方を生き延びさせるためには、指揮官が死なないことが重要で……。演習だって考え方は同じじゃない? 新兵よりも、副団長の方がよほど育成にお金も時間もかかっている。死なれたら国の損失だ。それなのに、迷いなく、自分を後まわしに……」
「疲れているはずだ。君は寝なさい」
かわされた。それがわかって、フィオナは瞼をこじあけた。
「いいや、話は終わっていない。助からなかったらどうするつもりだったんだ」
「結果的に、私が最後だったことで、君を助けることができた。私の育成にかけられた金と時間が、君という優秀で気高い魔導士の命を救った」
「それは……、でも、そもそもなんであんなことに。あの状況を招いたのは、指揮官の判断ミスだろ」
「それについては、返す言葉もない。世話になった」
言葉数が、多くない。会話を続けるどころか、隙あらば終了させようとしてくる。
たしかにフィオナの体は疲れ切っていて、今すぐにでも意識を手放したがっていた。自然と瞼がふさがってしまう。もう少し、彼の声を聞いていたいのに。
何か話題はないかと知恵を巡らせている最中、服はどうなっているのだろう、とふと思いついた。
(脱がされてはいないみたいだけど……。そのせいか全然まだまだ生乾きだ。肌に近ければ近いほど。うっ、気づくと気持ち悪い)
あちこちじんわりと濡れている。その不快感から、フィオナはうっすらと目を開けて、メルヴィンの薄く透き通った瞳を見つめた。
「濡れていて、本当に気持ち悪いんだ。ぱんつ脱いで良い?」
メルヴィンの表情は完全なる「無」そのものだった。
一言。
「君はさっさと寝るように」
取り合うつもりはないとばかりに、メルヴィンは固く目を閉ざして、唇を引き結ぶ。
そこで話は終わった。
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