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釣りの少年
「ゴミはこの大きい袋にどんどん入れちゃって〜」
私の所属するサークル「お肉研究会」では夏にバーベキューをするのが恒例となっている。
私が入ったばかりの頃は、一応、お肉の研究ということを意識したバーベキューになっていた。
"バーベキューの勢いで焼く肉は果たしてどれくらい美味しさを引き出せているのか"
"豚肉の1番美味しい使い方~バーベキューの鉄板焼きそば編~"
というように毎回バーベキューのタイトルもあり、まさにお肉研究会として活動していた。
しかしそのバーベキューも、美味しいお肉が多めの、ただの飲み会になっていた。サークルなんて、いや、大学生なんてそんなもんだ。楽しく皆と飲んで騒げればいい。うちの大学には他にもいくつか研究会が存在するが、ほとんどが飲みサークルと化している。生き残っているのはロボット研究会くらいだろう。
私は、そんな「お肉研究会」のサークル長をしている。バーベキューも落ち着き始めたので、酔い潰れた皆に声をかけながら、ゴミを集めている最中だ。
「晴〜。空き缶とかはどこにまとめる?」
「ちょっと待ってて」
サークルの時に毎回持参しているトートバッグの中をあさる。タオルや絆創膏の波をかき分け、ゴミ袋へとたどり着いた。一枚取り出して、袋の口を広げ、軽く捲っておく。これで崩れない。
「じゃあ、空き缶はこの袋でお願い」
「いつも色々ありがとね。みんな晴がやってくれるからって甘えすぎだよね。少しは手伝えっての」
「いいのいいの。私が自分でサークル長やりたいって言ったんだから。こういうのなんか好きだし」
「たしかに。晴って母性あるもんね」
「ちょっと、最近私がふっくらし始めたのいじってない?」
「げっ!逃げろ〜!」
袋をシャカシャカさせながら走っていく萌香の背中を見送る。萌香はいつも私が1人で何かしていると、「手伝うよ」と言って一緒に片付けやら準備やらをやってくれる。
はっきり言って迷惑だ。私がせっかくサークル長としての立場を獲得したと言うのに。萌香はその立場を危ぶませてくる。私をサークル長から引きずり落とそうとしている、私を踏み台にして上にのし上が……
またこんな考えが浮かんでしまった。
萌香がそんな人じゃないことは分かっている。
優しさで手伝おうとしてくれるだけだ。萌香の表情に陰は一切伺えない。ありきたりな表現だが、萌香は"太陽みたいな子"だ。誰に対しても明るく笑顔で、彼女がいれば場の空気を心配することは無い。そんな萌香に対しても、私はさっきのような考えをしてしまったり、鋭い目つきを飛ばしてしまうことがある。
しかし、今まで立場というものに固執してきた私の人生ではそう思うことは仕方がないのだ。
「うわっ!睦月がゲロ吐いた〜!」
「ううっ…」
「誰かお水持ってき…サークル長!早っ!」
袋を睦月くんに渡して、ティッシュで口の周りを拭いてあげる。
「大丈夫?まだ出したかったら出しちゃって」
「うん…ありがとう…」
真矢くんが大きい目でこちらを見ている。
「晴って芯からサークル長だよな」
「それ、いい意味?」
「当たり前じゃん!晴みたいにリーダー気質のある人がやっぱやるべきだよな。俺やろうとしてたけど、やめといて良かったわ。絶対負けるもん」
「リーダー気質なんか全然ないよ。誰でもできるよこんなの」
「そうか?でも晴みたいな人と結婚したら幸せで安定した生活は送れるんだろうな」
何か気配を感じる。
「真矢は晴と結婚するんだ?」
真矢くんの後ろから萌香が鋭い視線を飛ばしている。真矢くんと萌香は付き合って2年目だ。
「げっ!逃げろっ!」
萌香に劣らず、真矢くんも"太陽みたいな子"だ。妬む気も起きない、隙のない素晴らしいカップルだ。2人は今まで喧嘩したことがないらしい。いい事だと思うが、いざ喧嘩をしたらあっけなく別れてしまいそうな雰囲気もある。
睦月くんの体調も落ち着き、バーベキューの片付けもほとんど終わった。
「今日のバーベキューお疲れ様でした。お金の方はまた後で回収するので、今日は解散で大丈夫です。みなさん気をつけて帰ってください」
すっかり舌に染み込んだ終了宣言をし、会は終わりを迎えた。煙の匂いの残った河川敷を離れ、それぞれ帰路についていく。
「晴!じゃあね!」
そう言う萌香の横では、睦月くんを支えている真矢くんが空いている方の右手でこちらに大きく手を振っている。手を振り返し、まとめたゴミ袋を車のトランクに詰める。全ての荷物を積み終え、タバコと携帯用の灰皿を片手に川の方向へ向かう。
あっという間に河川敷は水の流れる音だけになった。夏の夜。生ぬるい風が私の髪を浮かせ、煙と川と草の混ざった匂いが鼻を抜けていく。
百円ライターでタバコに火をつけ、肺に煙を入れていく。現在、夏休みど真ん中。明日の予定は特に無し。ゼミのメンバーの飲み会が明後日にあるのでその予約をしておくくらいだ。ゆっくりと煙を吐き出しながら、先ほど真矢くんに言われた言葉を思い出す。
「リーダー気質…か」
私はいわゆるリーダー向きの人間ではない。自然と皆をまとめたり、ひとつの方向に向けることのできる性質は持ち合わせていない。ただリーダーという椅子に座っているだけだ。みんなが嫌がってやらないことを、リーダーという椅子に座りながら行うことで、勘違いさせている。なので、肝心な時にはリーダーとしての行動ができない。そうなった時は、やっぱり萌香や真矢くんのような芯のある人に頼む他ない。
私もああいう人に生まれたら楽だったんだろうな、としょうもない幻想を描きながらもう一度煙を肺に入れ、吐き出した。煙がぬるい風で左側に流れていく。なんとなく煙を目で追うと、川の方で釣りをしている少年が見えた。こんな時間に1人で釣りなんて、よほどの釣り好きなのだろうか。タバコを携帯用の灰皿に捨て、少年の方向に足を進める。小学生3〜4年生くらいで、緑のキャップを深く被り、薄手の白い長袖、黒い半ズボン、サンダルという格好がだんだん見えてきた。釣りに集中しているというよりかは、ボーっとしているように見える。声をかけてみようか。リーダー風の私にとっては、とても勇気のいる行動だ。しかし、さすがに11時過ぎとなると心配になる。大丈夫。やってみよう。
「釣りしてるの?」
少年の目がこちらに向く。そのあまりにも憎しみに満ちた目に動揺して、言葉に詰まってしまう。
「そうだけど、なに」
ちゃんと子供らしい高くて可愛いらしさの残る声が聞こえ、動揺が少し落ち着いた。
「こんな夜遅くまでしてて大丈夫なの?」
「別にへいき」
「親御さんは知ってるの?」
「うん」
「けど危ないからそろそろ帰った方がいいよ。ここらへんは治安が良いわけでもないしさ」
「今何時?」
「今?えっと11時半だよ」
「じゃあまだ帰らない」
「なんで?」
「お姉さんに関係ない」
そう言われると何も言えない。今度こそ言葉に詰まってしまった。しかし、心配だ。とりあえずもう少し一緒にいてみようか。プカプカと水に浮いているウキを少年と同じように見つめてみる。水が流れて、ゆらゆら、ゆらゆら。なんだか心地の良い動きだ。ああ。ゆらゆら。
「いつまでいるの」
心地良い私の脳の中に、投げやりな少年の声が飛び込んできた。
「心配だから君が帰るまではいようかな」
「あっそ」
「君は今何年生なの?」
「4。そっちは」
「私は大学2年生。どう?大人でしょ?」
「べつに。大人なんてどうせ…」
「え?大人が何?」
「うるさい。なんでもない」
不思議な子だ。小学4年生の頃なんてもっと馬鹿みたいに明るいようなものなのに。いや、そんなことはないか。私は4年生の頃には自分の存在意義に対して、考え始めていたような気がする。ランドセルを背負った自分を思い出そうとした瞬間、視界の端でゆらゆらしたウキがピクンと反応した気がした。
「動いたよ!ほら!」
「えっ、あっ」
「ほら!巻いて巻いて!」
なぜだかとても興奮していた私は少年の手を上から握り、一緒に糸を巻いていた。少年の手はこんな蒸し暑い夏の夜だというのに冷たかった。私たちは暴れている魚の力に負け、無惨にも逃げられてしまった。
「逃げられちゃったね」
「…」
少年の感情を私は読み取ることができなかったが、それがなぜか上向きであるということだけは分かった。
「いままでで1番惜しかった」
「え?そうなの?」
なんだか少年は顔を赤らめてモジモジとしている。
「また手伝ってほしい」
まさかの言葉だった。今までの人生で私が受けてきた立場ありきの言葉とは違う。なんの椅子にも座っていない、ありのままの私に対して発せられた、あまりに素直で純粋な言葉だ。
「もちろん!私でよければ何回でも手伝うよ!」
「また明日、待ってる」
少年は綺麗な青色の自転車のカゴに釣竿を突っ込み、立ち漕ぎをしながら急いで帰っていった。
なまぬるい風が吹いて、目に溜まっていた涙を少しずらした。軽い足取りで車へと向かう。あのバーベキューでアルコールを取らなくて良かった。おかげで、少年の純粋な言葉を、無垢な私に直接ぶつけることができた。ゴミの匂いのただよう蒸し暑い車内を、初めて心地の良いものに感じた。
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