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麗華
一時間後、私は溜まっていたミステリーの仕事に没頭していた。
せっかくの誕生日だって言うのに、仕事仕事ッて。
悲しい仕事人間の性。だけど嫌な事は仕事をして忘れるしかない。全集中だ。
一気に短編を一本書き上げ、シャワーを浴びると気合いを入れ直し、次は翻訳の仕事に取り掛かった。
いくらやっても終わる気配はない。
バックでは流麗なクラシックのピアノ曲ショパン夜想曲第二番が流れていた。
大丈夫、スケジュール通りいけばなんとかなるはずだ。
本腰を入れてデスクへ向かった途端、着信音が響いた。
「マジかよ」なんなの。うるさいな。締め切りはまだ先のはず。編集担当から催促の電話には早すぎる。
一応、これまでも余裕を持って仕事を終わらせていた。AB型なのでスケジュールには煩さい。
目標通り事が進まないとイラついてくる。
着信画面には妹の『麗華』の名前が記されてあった。この忙しいのに。
なんの用なのだろう。
通話ボタンをタップし繋いだ。
「もしもし」私は不機嫌モード全開だ。
すぐにスピーカー機能にした。
『あ、もしもし、お姉ちゃん。なに、今仕事中ゥ?』
麗華のヤケに明るい声が流れた。
「まァ、ねえェ」少しは空気を読めよ。
『ほらァ、今度、お姉ちゃんに結婚する彼氏を紹介するッて言ったじゃん』
「え、ああァ」
そういえば先日そんな話しをしていた。
こっちはそれどころじゃないッていうのに。
『お姉ちゃんもあの浩紀って彼氏と結婚するッて言ってたじゃん』
「え、ハッハハ、ちょっとねェ」
あいにく無くなったんだよ。浩紀との結婚話しは。
妹に言われなくても充分プレッシャーは感じている。私だって来年は三十歳だ。周囲の女友達も次々と結婚し子供を授かり家庭を作っていく。残っているのは私を含めて数人だけだ。しかも全員、彼氏持ち。破局したのは私だけだ。
『ねえェ、じゃァ、今度の土曜日にでもダブルデートしない? ちゃんと彼氏も紹介したいし。お姉ちゃんの彼氏も見たいし』
「はァ」するか。ダブルデートなんて。
浩紀は別のセレブお嬢様と出来ちゃった婚だよ。……と真実を伝えることが出来ず。
「悪いけど、今あんたと呑気に話している気分じゃないのよ。忙しいの」
こっちはトラブル続きで最悪だって言うのに。思い出させるな。
『えェ、だって今日はお姉ちゃんの誕生日でしょ』
「ううゥ」なんだよ。覚えてたのか。
わが麗華よ。
『ハッピーバースデー。二十九歳、おめでとォー』
「わかった。わかったから。そんなにはしゃぐ歳かよ。じゃァ、仕事があるから切るよ」
このままならフルコーラス誕生日ソングを聞かされそうだ。
「じゃァね」適当に返事を濁し、そうそうに電話を切った。
「ああァ」もう頭が痛い。
だが直後にまた着信音だ。
「くぅ、何だよ。今度は」
まだ私はスマホを手に持ったままだった。
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