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ヒゲづら男の旅人
「なによ。またなの?」睨みつけるように着信画面を見ると【昴】と記されてあった。
「なによ。これ? スバルかしら」
それともコウか。誰なのだろう。まったく見覚えがない名前だ。いったいいつ登録したんだろう。もしかしたら昨夜か。
躊躇いがちにタップした。
「ハイ、もしもしィ?」
用心深く電話の相手を伺った。
『おォい、何だよ。杏華』
いきなりスピーカーから怒鳴り声が流れた。私の事を呼び捨てにしてヤケに馴れなれしく喋りかけてくる。
「ええェ?」誰だよ。この声は。まったく聞き覚えがない。ヤケに若い男性の声だ。
『せっかく起きたなら、オレのことも起こしてくれたッて良いだろう』
「あのォどなたでしょうか。間違い電話ですか」
私の知り合いにこんな馴れなれしくフレンドリーな彼氏はいない。まるで中高校生の悪友のノリだ。
『おい、ヒドいなァ。オレだよ』
「なんですか。オレオレ詐欺なら切りますよ」
『待てよ。杏華、切るなッて。
オレだよ。昴だよ。スバル!』
「ン、スバル? ッて誰だよ」
全然、思い当たる男がいない。だいたい私の周りにはこんなに図々しく柄の悪いヤツはいない。いや、待てよ。
一人だけ心当たりがあった。
『忘れたのかよ。ヒッデェな』
「ま、まさか、アンタ?」
『オレだよ。オレ。あの旅人だよ』
「ああァ! ラブホのヒゲづら男か」
やっぱりそうだ。私は思いっきり叫んでしまった。
『そう、やっと思い出した。杏華。あれから大変だったんだぜ。昨夜さんざん飲んで、ずっと酔っ払った杏華を介抱したんだからさァ』
「介抱ッて」思わず背筋がゾクッとした。
あんなゴリラーマンのヒゲづら男に介抱されて下着まで脱がされて。
『そう、暴れる杏華をベッドまで運んでさ』
「な、ベッドまで?」
考えただけで目眩がしてきそうだ。思わず鳥肌がたってくる。
『そうだよ。もう泣くわ。喚くわ。怒鳴るわ。暴れるわ。モノは投げるわ。引っ掻かれるしツネられるし殴られるし、蹴っぱくられるし。家まで送るッて言うのに、初めてだからラブホへ入ってみたいッて、ワガママ言うしィ』
一気に、ラッパーのように捲し立てた。
「な、何言ってるのよ。私からラブホへ誘ったって言うの」
酔っ払っていたのを良いことに無茶クチャ言うな。私からラブホへ誘うはずはない。
『そうだよ。オレはなんとかしてタクシーでマンションへ帰ろうって言ったのに強引にオレをラブホへ連れ込んだんだろォ』
「ウソつけェ。私が、そんなはしたないマネをするか」
どんだけ淫乱キャラだよ。
『そんな事言ったッて』
「ゴッホン」私は軽く咳払いをした。
少し落ち着こう。このままでは向こうのペースだ。
「だいたい何で、アンタが私のこの電話番号を知っているのよ」
スマホになにかしたのだろうか。
『え、だって交換したじゃん。それも忘れちゃったの?』
「ぬうぅ」ああァ忘れてる。すっかりね。
アンタの事なんか、脳内からまとめて消去済みなんだから。
『ッでさァ、ほら、昨日も言ったじゃん。頼み事があるって』
「はァ、頼み事?」イヤな予感しかしない。
「何よ。借金? 言っとくけど、アンタみたいな信用できない旅人に貸す金なんて一円もないわよ」
『いやいや、金もなんだけどさ。ちょっと会って話しを聴いてよ』
「な、なにィ、会ってェ?」冗談だろう。
金輪際、死んでも会うつもりはない。
『ピンポーン』
だがしかしその時、玄関のインターフォンが鳴り響いた。
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