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騎士の誓いは虚しさを残して②
「……あれ、護衛の意味あります? 私がやった方がまだ役立つと思うのですけど」
スザンナは心底呆れ返ったというように肩をすくめた。完全に小馬鹿にした口調で冷やかな視線を向けている。
「うーん、スザンナの方が護衛として役立つかどうか真偽の沙汰はともかく。あの調子では護衛の意味が無いかと……」
ローラは困り切ったように扉付近を見つめ、溜息をついた。それからまるで示し合わせたかのようにスザンナと顔を見合わせ、同時にアリアを見つめた。
「そうねぇ……」
アリアは苦笑せざるを得ない。視線は自然に話題の者へと向けられる。続いてローラ、スザンナも彼女たちの話題の対象を見やった。三人の冷やかな視線を一心に浴びる事となったのは、小麦色の肌に燃え盛るような緋色の髪、月光を湛えたようなグレーの瞳を持つあの男、ディラン・イーグレットだった。
だが、そこにはかつての精悍な美丈夫の面影はどこにもない。鋭い光を宿した双眸は幻を見ているかのように虚空を見上げている。引き締まっていた唇は緩み、ブツブツと何かを呟いている。少しの異変も見逃さぬよう、常に臨時戦闘態勢を取って任務に当たっていた彼は、呆けたようにして白昼夢の世界に生きている。呼びかけにも応じず、食事も喉を通らない様子だ。
『生花祭』でヘレナと出会って依頼、ずっと彼はこの調子だった。アリアの記憶が正しければ、ディランがヘレナに一目惚れをしてからアリアに暇を告げるまでの過程は、原作にもそのような感じでサラリと書かれていた。しかし、せいぜい三行程度。経緯の詳細は書かれていない。だからアリアは思うがままに行動してみる事にした。そもそもディランがこのように腑抜けになるのは、原作ヒロインの魅力がいかに素晴らしいのか、それを読者に理解して貰う為の演出手段に過ぎない。
……だからディランも、ある意味気の毒な役回りをさせられている訳なのよね。もう原作矯正力に翻弄されていて自分の意思も分らなくなっている状態だと思うから……
「恋の病、てやつね。もう重症よ……」
アリアは溜息混じりに答えた。
「フルール伯爵家の御令嬢でしたよね? ディラン卿の一目惚れの相手」
スザンナの問いに、アリアは頷く。
「有名ですよね。絶世の美少女で人格も才能も全てパーフェクトだとか」
「そんなに有名なの?」
「ええ、市井では大人気らしいですよ、慈善事業にも力を入れてらしてよく足を運んでるらしいです」
スザンナは声を弾ませる。
「癒しと浄化の力に優れていて、毎朝教会で御国の為にお祈りを捧げてくださっているとか。奇跡の聖女様、て言われてるみたいですね」
ローラも瞳を輝かせる。
「なるほど。そんな奇跡の存在なら、今まで真面目一筋だったディランが骨抜きになっても仕方ないわね」
ちょっぴり皮肉を込めてこたえると、アリアはさっさと護衛騎士を代えて貰おうと行動を起こす事にした。
……原作矯正力が働かない限り、行動あるのみだわ。『例え一生報われなくても心から愛する人の為に尽くしたい』だなんて言われて去られるなんて惨め過ぎるもの……
「さて、この状態ではディランも辛いでしょうし。専属護衛騎士が居ないと困るから。ローラ、スザンナ。近衛騎士団長のレグルスと、近衛騎士団総督のアルコイリス公爵に面会と相談がある事を伝えてちょうだい。出来るだけ早く対処したいわ」
と指示した。二人は大慌てで部屋を後にするのを見送ると、アリアはそっと溜息をつきディランを見つめる。相変わらず虚空を見上げ、ぼんやりしている。時折ブツブツ呟いているのは、「ヘレナ様……」と切なげに一目ぼれした女の名を呼んでいるのだ。原作通りの展開に、苦笑いしか出来ない。
『私は、もし許されるなら殿下がご結婚なされた後もずっとこの身を尽くす所存でここにおります!』
ムキになってそう語った彼を思い出す。
「……嘘つきね。でもほーら。私が言った通りになったでしょ?」
その声は彼には届かない事を知りつつ、アリアはディランに声をかけた。
事情を聞き、その日の内に這う這うの体でアルコイリス公爵と騎士団長が共にやって来たのは言うまでもない。
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