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番外編⑧ 早川さんと決戦の夜
仲直りした朝焼けからしばらく経ち、早川が無事に脱稿したある日。
間宮蒼大は新しい問題に直面していた。
それは、夜の営みについてである。
ようやく想いを交わした二人であったが、早川が一向に蒼大を抱こうとしないのだ。
蒼大は一人きりの風呂場で、泡立てたスポンジ片手に高らかに宣言する。
「今夜こそ……、決戦だ!」
それは、夜の営みを前にした若人ではなく、さながら歴戦の武将の姿であった。
*
早川は、困惑していた。
風呂上がり、愛してやまない恋人のもとへ戻ると、目の前にはピンク色の世界が広がっていたからだ。
そう、文字通りピンク色の。
「蒼大くん……」
その名を呼ぶと、可愛い恋人は嬉しそうに振り返る。
早川は、その腕の中にある物を二度見して、天を仰いだ。
「おかえり悠介さん! 早かったね」
「ごめん蒼大くん。僕、疲れてるのかもしれない。僕達の寝室がピンク色にプロジェクションマッピングされて、君がミラーボールをもってる幻覚が見えるんだ……」
「マジで!? 大丈夫? 目はすげぇ正常だけど、熱とかあったりする?」
「大丈夫。そうか、正常か。熱はない筈なんだけど……、この部屋暑くない……?」
「あっ! アロマキャンドル焚きすぎたかな!?」
蒼大の視線の先を辿れば、ベッドのサイドテーブルに、何かの儀式かと思う程無数のアロマキャンドルが焚かれていた。
「すぐ消すから……っ、あちっ!」
慌てて手を伸ばして火傷しそうになった蒼大に代わり、早川は横からその火達を吹き消す。若干煙臭くなった寝室にそのまま立ち尽くていると、今度は茶色の瓶に入ったドリンクを差し出された。
「はいっ! これ飲んで!」
「……ちなみに、何かきいていい?」
すると、笑顔の蒼大は元気よく答えた。
「バイアグラ!」
*
さて、なぜ俺はベッドの上に正座させられているのだろうか?
目の前には、せっかく苦労して入手した精力剤片手に青筋を立てる王子様がいる。
「このプロジェクターは?」
「悠平さんに借りました」
「このミラーボールは?」
「ルイちゃんとヒロくんに借りました」
「このキャンドルは?」
「コンシェルジュのお姉さん達に貰いました」
「なんで?」
「なんでって、ムードづくり……」
「なんの!?」
「な、なんのって……! そんなの決まってるじゃんかっ!!」
俺は、とうとう涙目になって叫んだ。
「悠介さんとエッチしたかったんだもん!」
ぐずぐずと鼻を鳴らしながら、体育座りで膝に顔を埋める。
すると、小さな溜息と共にふわりと頭を撫でられた。
「……もう、体は大丈夫なの?」
まるで壊れ物を触るかの様な指先につられて顔を上げれば、辛そうに歪むヘーゼルの瞳が俺を見下ろしていた。
意味がわからず首を傾げれば、早川さんは苦しそうに言った。
「あの夜、君を傷つけてしまったから……」
その言葉に、ようやく早川さんが花火の日のことを懸念していたことを知る。
「全然、平気だよ……」
俺は、とうとう目尻から零れる涙も気にせずに、真っ直ぐに彼を見上げて告げた。
「それより、悠介さんに触れてもらえないことの方がよっぽど嫌だよ……! こんなに触れ合ってなくて、悠介さんは平気なの……? 俺は、ずっと、ずっと……!」
抱いてほしかったのに。
そう言葉を紡いだ瞬間、景色が反転した。
「ありがとう。蒼大くん」
見慣れた天井を背に、早川さんは俺を片手で組み敷きながら微笑んだ。
「必死に堪えてる理性を壊してくれて」
その顔は穏やかに微笑んでいる筈なのに、その瞳は全く笑っていない。
(あれ? 俺、やばい……?)
自覚するには、遅すぎた。
彼の長い指先が、茶色の瓶を弄ぶように傾ける。
「ちなみに、これは誰に貰ったの?」
「…………菜月さんです」
ついに全て白状した次の瞬間、早川さんは瓶の中身を一気に飲み干した。
驚きで声も出せずにいれば、噛み付く様なキスに口を塞がれる。とろみのある液体と混ざった唾液が、舌に絡みつく。
思わず咽せる俺に、王子様は笑って言った。
「じゃあ、御要望にお答えしようか」
俺達の夜は、まだ始まったばかり。
***
本編に足りなかった糖分を注入したかっただけなのですが……、あれ?
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