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毎年この季節が来ると、父のことを思い出す。私が子供の頃に亡くなった父だ。これは私にとって決して良い思い出などではなく、どちらかと言えば思い出したくない類のものだ。それでも私はこの季節になると父のことを思い出して、それをつい恋人に話してしまったのだ。
「この辺って一緒に来たことなかったっけ」
「ないよ」
「本当に?なんか美味しい海鮮丼のお店があるとかでさ」
「ないってば。どうせ昔の女でしょ」
「春ちゃんだと思ったんだけどなあ」
まだぶつぶつ言っている和也を無視して、私は車の窓から入ってくる海風に絡まる髪をかきあげた。そろそろ買い換えようかと話している車はエアコンの効きも悪くて、窓を全開に下ろしている。穏やかな波の音が耳に優しかった。
「そろそろお昼だし、どっか食べてから行こうよ。ガイドブック調べて来たんだー」
「先に墓参り」
「なんで?早く行った方がゆっくりできるじゃん。お昼になると人増えてくるよ?」
「いいの。やなことは先に済ませたいタイプだから」
「春ちゃん、俺が付き合ってって言った時も同じこと言ってたよ」
「そうだっけ?」
「返事は今じゃなくていいって言ったら面倒なことは先に済ませたいからって。酷くない?」
「面倒だったんだろうね」
ひどいやと笑った和也からプロポーズされたのは今年の春、同棲を始めて2年目のことだ。その日は、社会人になってからずっと勤めていた会社に退職願を出して、祝杯だと和也とたらふく飲んだ次の朝だった。何でもかんでも押し付けてくる先輩と、それを訴えても適当にあしらう上司に腹を据えかねて退職願を叩きつけて来た。もちろん有給はしっかり消化するために来月末付での退職だ。引き止められたけれどあっさりと蹴ってやって少しだけ溜飲を下げた。
嫌なことはさっさと片付けてしまいたい性質の私は、ようやく退職が形になってとてもすっきりと目が覚めた。和也が朝ごはんを作ってくれて、一緒に食べながら今日は溜まった洗濯物を片付けようと思っていた。
「ねえ、結婚しよっか」
「いいんじゃない」
それは私の性格をよくよく熟知した彼らしいタイミングだったと思う。私はたいそうすっきりした気分だったので、それもいいかとオーケーした。それからはとんとん拍子に話が進み、和也と私は秋に結婚式を挙げることになったのだ。
父が亡くなっていることも事情があることも和也には話してあったので、結婚式の段取りは滞りなく進んだ。向こうの両親とも顔合わせをし、バージンロードは母と歩くことにしていた。和也は私の機嫌に敏感なタイプだったから、彼が何も聞いてこないことに託けて父に関する詳しい話はしなかった。だというのに、ふといつものように父のことを思い出した私がそれを口に出してしまい、和也が父のお墓参りをしようと言い出したのだった。
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