夜行人間運動

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最高気温が各地で40℃を越え始めたとお天気キャスターが困惑顔で伝えた時、男Aは夏の日中に活動することの不毛さと害悪に辟易していた。 冬はいい、重ね着に限度はないからだ。しかし夏はどうだ?暑さしのぎで薄着になるには限度がある。暑さを感じる皮膚や脳をぺろりと着脱できればいいが、そんなことできまい。 夏……。 気温が高い昼間に活動するから生産性は落ち、体調を崩し、やる気は失われ、汗水は延々と垂れ流され、最悪の場合には命までも落としてしまう。なんと虚しいことだろう。家の中で眠っていれば良いものを、悲しいかな、人は嬉々として炎天下の中に飛び出しいく。虫でも這うように流れ落ちる汗の玉をハンカチで拭き取りながら、汗は蒸発してはじめて体温を下げるという生理現象を自ら無駄足にしていることに気づいていない。汗腺もあまりのやるせなさに代わりに涙を流していることだろう。ほんの暑さしのぎと小遣いをはたいてかき氷を貪ろうが、胃腸が悲鳴をあげて尻が緩み余計脱水症状になってしまうのが関の山である。 この厚い熱の塊のように迫ってくる暑さをどうしたものか、男Aは考えた。 夏場は一切働かないとは言わない、そんな贅沢を言うつもりは毛頭ない。ただ、昼間は家の中で眠らせてくれ、代わりに夜間に働いてやる、と。 ただし、この社会はそうした願いを聞き入れるほど寛容ではないのが現実だ。夏場に5万人以上が熱中症で救急搬送されようが、これまで社会は変わらなかったのだから。ザリガニが田んぼの中で茹で上がったことが面白おかしくネットニュースになって終わりなのだ。誰かがそれをパエリアなんかにして美味しく食べるかもしれない。しかしそれだけだ。今度は自分が茹で上がるかもしれない、なんてことは誰も一切考えない。脳みそがボイルされて固まってしまうなんて誰も想像しない。 どうにかしてこの国の夏の活動時間を昼から夜に変えられないか……。 都心だけでの変化でもよかった。都心に芽生えた流行を地方人たちは虎視眈々と見張っており、いかにして最先端のブームを取り入れるかを息を潜めて待ち構えているからだ。 男Aはいくつかの案を出し、実行することにした。 第一案。 男Aは「夜行人間運動」を立ち上げて自分と同じような考えを持つ人々を募った。日中に国会やオフィス街、商店街などを練り歩き、いかに日中の活動が悪か、夏場における夜行人間化がいかに生産性を高めるかを訴えた。運動のモチーフには夜行生物で頭の良いフクロウを掲げ、人々の知性に訴えかけた。 しかし、日中活動抑制を訴える運動員の7割が皮肉にも過剰な日中活動により熱中症に倒れ、活動は志半ばで潰えることになってしまう。 成果とまではいかなかったが、世間はこの活動に少しざわついた。 第二案。 「夜は寝かせないぜ作戦」である。何も官能的なお誘い文句のことを言っているわけではない。 単純なことである。夜に十分な睡眠を摂ることができなければ、昼間に眠くなってしまうのが生物というもの。そうであるならば、強制的に夜に眠れないようにしてしまえといういささか暴力的な作戦である。男Aはこれまた活動に協力的な仲間を募り、国道を大音量の音楽(テンポがBPM100〜130だと好ましい)を流しながら車を走らせた。また、少々ヤンチャな非行青年たちにちょっとばかりのお小遣いを与えてバイクで爆走させることに成功する。 多くのパトカーがこれに出動し、皮肉にも騒音によって睡眠中の人間たちを覚醒させる片棒を担ぐことになる。人々は睡眠効率を低下させられ、次の日の出勤や外出の際、目の下にクマをこしらえ、充血していない人間はいなかったと言う。 続いて第三案は、第二案とのコンボ作戦である。 昨晩うまく眠れなかった人々に追い討ちをかけ、日中睡眠の気持ちよさに陶酔させてやろうと画策したのだ。男A含む活動家たちはヒーリング音楽を流しながらひんやり枕を脇に抱えて街を歩き、人々に枕を無償提供して日中睡眠へと誘った。人々は白昼堂々眠ってしまうことへの背徳感を覚えながら、抗いきれずすやすやと眠ってしまうのだった。 ただし、この献身的な活動に体力を削られ、活動家たちの8割が熱中症に倒れ、小脇に挟んでいたひんやり枕が彼らの茹で上がった頭を包むことになる。 世間は男Aを含む「夜行人間運動」を無視できないようになっていた。 第四案。 「夜行生物の可愛さのあまり皆起き出してしまう作戦」である。 男Aは動物園と交渉し、夜行生物のみを展示した移動式動物園を実現。アライグマやモモンガ、スローロリスやビーバーやカンガルーなどそうそうたる面々を引き連れて、夜行生物たちが人々が寝静まった深夜にいったいどんな楽しいことをしているのかを披露した。 また、腕利きの怪談師たちを招き、夜中怖い話を聞かせてやり、耳をもつ人は皆おしなべて真っ青になった。そうしてもはや暗いうちには安心して眠れないという体質をこしえらえていったのだ。 そうした「夜行人間運動」の結果、多くの人々が夜に活動するようになり、昼間に眠る身体に慣れていった。 すると飲食をはじめとするサービス業界は、昼間の暑い中営業するよりも、夜間営業を活発化させたほうが効率的だと考えるようになっていった。いわば、年末年始にだけ突如現れる深夜の特別な高揚感と活発さが、夏の夜に舞い降りたのである。よくよく考えれば、昼間の灼熱の太陽のもとせっせと汗水垂らして働いて寿命を縮める必要なんてどこにもないのだ。 人々の活動が日中から夜間に変われば、サービス業が夜間営業に移行し、それに伴って働く人の移動需要に応える形で公共交通機関の稼働時間が変わり、余計人々は夜型に移行していった。 政府は超サマータイムと称して、夏の間における活動の日中から夜間へのシフトチェンジを促した。 胸板の発達したカンガルーたちは、人間たちが突如夜間にやかましく活動しはじめたことにやや不満そうだったが、「夜行人間運動」が成功した瞬間だった……! そこで男Aは歓喜の中、目を覚ます。 頭がずきずきする。男Aは第一案を実行しようと思い立って外に出てみたものの、あまりの熱さに気を失ってしまっていたらしい。この国の夏は日毎に暑くなるばかりである。電力不足が叫ばれるも、誰も何一つ改善のための行動ができないくらいに暑いのだ。文字通り、人々の皮膚と脳みそは溶けかかっていた。 動物園では、尾の長いカンガルーたちがわずかばかりの木陰のオアシスを求めてぴょこぴょこ移動し、腹を上にして眠っていることだろう。彼らは今晩は何をしようかと夏の夜を楽しむために体力を温存しているのである。 男Aはうなだれた。 地表の熱は男Aの身体をじゅうじゅう焼いていた。分厚い熱の塊のようなものが男Aを立ち上がらせまいとしていた。周りを見ると、人々は皆、そんな分厚い熱の塊のようなものに圧殺されそうになりながらふらふらと歩いている。彼らは命懸けで昼間をしのいでいた。 昼間に疲弊しすぎた人間たちは、もはや夜に活動してやろうという意欲すら湧き起こらない。翌日の昼間に耐えられる体の準備に忙しいのだ。 そうして男Aの夏の夜をめぐる戦いは、疲弊と休息の目まぐるしいサイクルを繰り返しているうちに終わってしまう。
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