第18話 明石

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第18話 明石

 さて、東北での仕事は不可解な辻斬りのような形で終わり、みき様のもとでの修行に戻ったわけだが、そこでまた新たな出会いがあった。師匠宅で紹介されたのが、兄弟子の明石吉之助(あかし きちのすけ)という男だ。  どこか不吉な凄みのある一方、飄々として掴みづらい。妙に惹かれる人物だった。  あの夜の覆面の男に似ていないでもない。 「どうかしたか、光雄?」 「いえ、何でもありません」  不審げな師匠にそう応じる。どうやら、無意識に、兄弟子の顔を、必要以上にまじまじと見つめていたらしい。 「ふむ、光雄くんでしたか。私は、それほどいい男かね。師匠からは凶相だの死相だの、ひどい言われようなのですが」 「あ、いえ。どこかでお会いした気がして」 「そんな機会、ありましたかね?」  みき様の方をみて尋ねるその顔には、何の動揺も感情も読みとれない。 「おれが知るわけがなかろう。弟子とは名ばかり、好き勝手に出歩きやがる生臭坊主ならぬ生臭弟子めが。おかげで、すっかり紹介が遅くなったではないか」 「おや、それはひどい言われよう。この私が新時代の自由を謳歌(おうか)して遊びまわってでもおったかのようではありませんか」 「では、どこにおったのか言うてみよ」 「吉原におりました」 「……遊び呆けておるではないか。まさに生臭弟子だの。よいか、そういうことが良くないなどと言うつもりはない」  だが、と説教に入りかけた師匠を手で留めて言葉を続けた。 「まあ最後までお聞きください。御当主様の意向で、火伏せりを眺めておりました」 「あれの見張りか」 「ええ。なかなかの仕上がりでした。吉原の結界も、もうそろそろ限界でしょうな」  それを聞いて黙りこんだみき様が、話のわからぬ僕のことを思いだしてくれたらしい。ちらと、どういうことなのか話してくれた。  ……吉原はの、江戸の鬼門に位置するのよ。  いまは江戸も東京と呼ばれ、暦が変わるとともにそうしたことも忘れられつつある。しかし、二百年ものあいだ溜まり続けてきた悪い気は、(こご)って煮詰まって、ひとつの形を成しており、吉原のそれをおれたちは火伏せりと呼んでおるのさ。  もはや、ひとつの神格に近い。  化物、(あやかし)(もの)()などと神霊との境もあってなきが如し。ほれ、神事でも生け(にえ)を求めるようなこともあろう。人神と怨霊も紙一重、火伏せりも本質は他の蟲と変わらぬが、(よわい)二百年を経た古い蟲であり、神霊に準ずる力を持つ。穢土(えど)のケガレを吉原に封じ、それを一手に引き受けるのだからな。  それを代々の太夫(たゆう)が喰らってきたのだが。  ……と、そこまで語って口をつぐんだ。 「みき様?」 「ああ、すまぬな。太夫(たゆう)というのは、吉原の遊女のなかでも才知にたけ、芸事も寝屋も最高位のものに与えられる呼び名だわな。近頃は花魁(おいらん)と呼ぶことの方が多いか。  だが、吉原の狐太夫(きつねだゆう)は変わらず、その名で密かに継がれておる。近頃は洒落たつもりか、玉藻大夫(たまものたいふ)などと呼ばれもするようだの。それが……」 「身請けされるなど、驚きましたか」  涼しい顔で師匠の言葉を遮る明石の声は皮肉に満ちていた。 「明治の世になって、変われば変わるものですな。稲荷社(いなりしゃ)合祀(ごうし)され、吉原の囲いも剥がされるとか。ですが、急激な変化は(きし)みを生みます。火伏せりを喰う者がいなくなり、ひたすら肥え太りつつある」 「火伏せりを喰う。蟲喰いですか?」  との僕の問いかけに、明石はにやりと笑って、下卑(げび)た話を爽やかに語った。 「ある種の蟲喰いですね。ただまあ、遊女らしく、火伏せりの男根を下の口で食す。つまり、交合です」
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